第27話 滝川屋敷にて

天文18年(1549年) 4月 那古野城下

 織田 喜六郎(秀孝) 小姓名:津田喜六


 「喜六郎様、お迎えに上がりました」


 末森の私室にて、傅役・青山与左衛門や滝川家老・篠岡平右衛門らから学んだ軍学についての書付をしていると、那古野からの迎えの声が聞こえた。


 「今日の迎えは塙九郎左衛門(直政)か」

 「へぃ。よぉお気づきで……」


 襖を開けるとそこには丸っこい顔で人好きのする笑みを浮かべた若武者が控えていた。


 この者、着物こそ綺麗だが、口調は武士というより賭場の破落戸と言った悪さだ。それでいて喋りに訛り癖がある。


 「お主と五郎左では声の高さが違うからようわかる」

 「五郎左の口調を真似したんですが、似ておりゃあせんでしたかねぇ」

 「ふっ。その妙な訛り癖では品の良い五郎左にはなれんぞ」

 「はっはっは。こりゃまた手厳しい」


 そういうと自らの額をぴしゃりと叩いて戯ける九郎左衛門。私のことを腫れ物を扱うように接する末森の者らと違う九郎左衛門は私のお気に入りの一人だ。


 「では本日も滝川屋敷に向かいましょうかね」

 「うむ。よろしく頼む」


 父上に頼み込み、滝川家の小姓として励むこととなって数ヶ月。末森での手習いもある故、毎日とはいかないが那古野の滝川屋敷に赴いて小姓として滝川家の政務に取り組んでいる。


 この塙九郎左衛門直政と今日は当番ではないので居ないが丹羽五郎左衛門長秀は三郎兄上が付けてくれた那古野までの護衛だ。


 2人ともまだ年若いが兄上の馬廻を務める武辺者。だが、丹羽五郎左衛門も九郎左衛門と同様に、私を1人の武士として扱ってくれる心根の良い男達だ。


 末森を出て一刻ほど。熱田や最近栄え始めた蟹江の商人、町衆が行き交う那古野城下の滝川屋敷に着いた。


 だが、私を以前、那古野に護衛した河尻与兵衛秀隆や滝川左近はここ尾張に居ない。三河安祥城を守る三郎五郎兄上の援軍として出陣中なのだ。


 「お待ちしておりました。喜六郎様」

 「うむ。此度もよろしくお願い申す」

 「……。では、これよりは津田喜六ということで」

 「はっ! よろしくお願い致します。御家老様っ!! 」


 屋敷に着けば滝川家老・篠岡平右衛門殿が補佐・佐治新助を伴って迎えてくれた。側から見れば奇妙に思えるこのやり取りも、ここ数ヶ月で恒例行事となった。


 このやり取りをした後は、私は織田喜六郎ではなく、小姓・津田喜六として滝川家に仕えるのだ。


 「では平右衛門殿、あっしはこれにて……。夕刻には五郎左が迎えに来る手筈故」

 「塙様、毎度ありがとうございます」

 「いやぁなんのなんの。左近将監様がお戻りになられた際はよろしくお伝えください」


 九郎左衛門はまた、人好きのする笑顔で平右衛門殿殿に挨拶をすると、颯爽と滝川屋敷の門をくぐって賑わう街へと消えていった。


 大方、馴染みの女の所へ寄ってから兄上の居る那古野城へ戻るのだろう。父親は守護様直臣、本人も真面目で品行方正な五郎左丹羽長秀と違い、九郎左衛門は主人信長に似て放蕩癖があるからなぁ。


 三郎兄上も時々、政務を放り出して野駆けや城下の破落戸達と相撲を取ったり河原で石投げ合戦をしたりと、次期当主としては少々自由な振る舞いをするため、九郎左衛門は兄上と馬が合うようだ。


 一方で五郎左が私の護衛を担う日は、三郎兄上の馬廻の仕事の大変さを話してくれる。品行方正な五郎左からすれば兄上の馬廻役は相当大変なようで、毎度疲れた顔で私を迎えに来るのが印象的だ。


 「平右衛門様、そろそろ殿からの知らせが着く頃かと……」

 「そうだな。よし、そろそろ喜六にも滝川家の家業を知ってもらう頃合いか。新助、お前はお方様をお呼びしてくれ」

 「ははっ」


 滝川家が織田家において重要な御家である理由は主に三つある。


 一つは堺商人に伝手があること。左近自身が堺の鋳物・鍛冶を扱う商家にて修行していたことから、左近を通じて織田家は上方と商いができる。


 二つ目は、滝川家が火縄銃の扱いに長けていること。家臣の中には火縄銃の有用性を知らぬものもまだ多いが、父上や三郎兄上はその威力を評価し、運用法によっては戦の在り方を変えると考えている。事実、東海の弓取りと評される傑物、今川治部大輔義元もその有用性を認め、少数ではあるが扱うと聞いた。


 最後に、滝川家は甲賀忍びに伝手があり、配下にも多数の忍びを抱えていることである。


 「では、今日は喜六に当家の家業をお見せすることとします。たしか今日は魚屋の助五郎の日、我らも台所へ参りましょうか」


 そういって先導する平右衛門殿は私を屋敷の奥にある台所へと案内する。朝餉の支度はとうに終わっているのか、ほとんどの家人達は居ないが数人の侍女達が魚を売りに来た魚屋らしき男とやり取りしているようであった。


 「助五郎さんの持ってくる物はいつも新鮮で良いわぁ。この前もお方様が物凄く褒めてらっしゃって……」

 「いやぁそれは嬉しいことで。知多や伊勢にも赴いて、目利きしてきた甲斐があるってものです」

 「ではまた、良いものが入ったらお願いしますね」

 「はい。毎度おおきに……」


 馴染みの魚屋なのか侍女たち商いが終わると台所から各々居なくなった。静かになった台所に残ったのは売れ残った荷をせっせと荷車へと移すために荷造りする魚屋の助五郎という男だけ。


 「助五郎、お役目ご苦労」


 侍女達が下がるのを見計らっていた平右衛門殿が荷造りをする男へ話しかけた。


 私に家業をみせると言っていたが、まさか、この魚屋の前掛けをつけた男が甲賀忍びであるのか?


 「これはこれは、平右衛門様。そちらの御仁は? 」

 「これは殿の小姓・津田喜六だ。当家の家業を見せてやろうと思うてな」


 助五郎と呼ばれた男は一瞬、私に目をやると、なにか納得したようにうなずくと、再び平右衛門殿に向き直り、懐からなにか書付のようなものを手渡した。


 「ふふっ。たしかに弾正忠の若様に似ておられる……。では、平右衛門様、殿から預かった書付に御座います。安祥城の援軍は間に合ったと……」


 この男、私を見て三郎兄上に似ていると言ったか? 普通であれば、ただの町人が兄上の顔を見知っているなど考えられない。あるとすればこの男、忍びのお役目で三郎兄上を見たことがあるということ。つまりは滝川忍びは他家だけではなく、織田家中にも潜ませてあるのか?


 「それはよかった。だが、今後の事も考えるともう少し今川家への忍びを増やすか」

 「その辺りはお方様とお決めくだされ。某はこれにて失礼……」

 「うむ。また頼むぞ」


 自分は役目を終えたとばかりに助五郎は荷を纏めると、ごろごろと荷車を引いて屋敷を出ていった。


 それにしても父上すらまだ得ていない三河の戦況を左近達は忍びを介して常にやり取りしておるのか……。末森から援軍が出てからまだ20日ほどしか経っておらぬし、その戦況も大高で足止めされているという情報のみ。


 肝心の安祥城も今川に味方する国人衆の領地に囲まれたというのにこうも易々と情報を得られるとは……。


 「どうやら安祥城にて今川勢を退けたようですな。じきに末森勢も安祥まで進めるだろうと。殿も大将首を挙げ、他にも幾人か討ち取ったそうですぞ。はっはっは」


 助五郎から渡された書付を読んだ平右衛門殿は、左近が手柄を挙げたと聞いて満面の笑みだ。普段は滝川家老として冷静な官吏のような男だが、こと左近の事となると表情が柔らかくなる。


 「ではこれをお方様にも知らせましょう。忍びの差配についてもお決めいただかなければなりませぬ」

 「お方様が忍び差配を決めるのですか? 」


 先ほどの助五郎との会話でも申していたが、忍び差配をお方様が決めるとは……? 忍び上がりの家老・平右衛門が差配するのではないのか?


お方様滝川お涼は甲賀でも名うての忍び。常人には忍びとしての才が御座いました。男であったならば甲賀筆頭の望月家が養子としただろうと言われるほどの……」


 平右衛門の言葉は、普段、侍女達と着物を並べあれこれ姦しくしたり、左近と楽しそうに街に出掛けるお涼殿からはまったく想像できない……。


 「平右衛門さん! 彦九郎さんから書付があったと聞きましたが……」


 私が平右衛門の話を聞いて驚いて呆けていると、急に私の側からお方様の声がしてさらに驚かされた。私が屋敷を歩いていると時々、まったく足音がしないのにお方様が曲がり角から現れることがあったが、それは忍びだったからか……。


 「ちょうど受け取ったところで御座いました。どうぞこれを」

 「あら、喜六さんに家業を見せてよかったのかしら? 」

 「殿からは時を見て教えるようにと申し付けられております」

 「あら、ちょうどいいわ。喜六さんが来る日は忍びの修練ができないから腕が鈍って仕方なかったのよねぇ。これで心置きなくできるわ」


 なんだかお方様の言葉に平右衛門殿が引き攣った顔をしているが、一体どんな修練をしようとしてるんだ? 


 「喜六さんもよかったら一緒にどう? 彦九郎さんも小さい頃は一緒に修練していたのよ? 」

 「お、お方様、それは……」


 お方様の申し出に、平右衛門殿が全力でやめておいた方がいいと言った顔をお方様に見えないように私にしてくるが、断るわけにはいかないだろう。それに幼い左近がしていた修練をすれば、私も左近のように強くなれるかもしれない。


 「お方様、ぜひよろしくお願い致します! 」


 私の返事を聞いて、思わずといった具合で天を仰ぐ平右衛門殿。そんなに厳しい修練なのだろうか……。


 「よし!! じゃあまずは庭に植えてある麻を飛び越える修行からね。でも植えてしばらく経ってるから、背丈が屋敷の塀くらいはあるかしら……。でも、彦九郎も最初から出来てたし大丈夫よね! さぁ、早速行きましょう」


 だから言わんこっちゃないといった具合で、庭へとぐんぐん進むお方様と連れてゆかれる私を見つめる平右衛門殿。


 その細い体のどこから力が出てくるんだという怪力で私を連れてゆくお方様に引きずられながら、軽い気持ちで修練に参加する事を願った自分を恨むのだった。

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