第26話 安祥城の戦い(5)

天文18年(1549年) 3月 安祥城

 本宮 甚九郎


 鎧についた霜が肌を伝い、いまだ春が遠いことを実感する冷え込んだ今朝方。


 昨日までの松平の攻城が手緩いとまでは言わないが、楽であったと感じるほどの今川・松平による合同の城攻めが始まった。


 これまでと打って変わって、北の大手門には松平勢のみならず、上之郷の鵜殿、引馬の飯尾、駿河の蒲原の旗が、南の虎口には二俣の松井、犬居の天野など今川主力の旗印がいくつも立ちのぼる。


 昨日など、大手門前では松平勢大将・本多平八郎の攻めの号令のみが響き渡っており、それが昼頃にはまるで潮が引くかのようにするすると後方の今川陣へと退却してゆくのを櫓の上で不思議に思ったが、今朝の総攻めによって訳がわかった。


 どうやら今川方は一度足並みを揃え、今朝から一気に安祥城を落とそうという考えに変わったようだ。


 今日の私は馬廻として本陣を固める役目ゆえ、その攻めの苛烈さを実際に見ているわけではない。


 だが、城の防衛のためにあるじ不在となった床几がいくつもある本陣陣幕の内を見れば安祥城の苦境を推し量ることができよう。我らは重臣達さえも前線指揮に駆り出さなければならない状況なのだ。


 そんな本丸本陣にて配を振るう三郎五郎様だが、その下には次々と曲輪を守る諸将からの伝令が走り込んできている。武将の討ち死こそないものの、すべての戦線が劣勢のようだ。


 「申し上げまするっ!! 虎口の中野又兵衛様が負傷。佐久間出羽介様が殿しんがりにて二の丸方面へじわじわと下がっております」

 「伝令っ!! 大手門前、前田隊が退却っ!! 松平勢・酒井隊を退けましたが、本多・大久保の手勢が門を破り、三の丸に迫っておりまするっ!! 」

 「三郎五郎様、虎口には我ら池田家が向かいまする」

 「うむ、頼む勝三郎池田恒興出羽介佐久間信盛が二の丸内に退くまで助けてやってくれ」

 「はっ!! 」


 返事と共に具足を鳴らし、足早に陣幕から出ていく勝三郎様。


 しかし、小豆坂で三郎五郎様と活躍した中野様が手傷を負うとは……。彼の御仁は安祥城の兵たちとも親しく曲輪の責任者としても信任が厚いお方、兵たちの動揺も計り知れない。


 だが問題は、中野様のあとを引き継いで殿しんがりを務める佐久間出羽介様。見た目は熊のように大きく髭が立派な歴戦の猛者といった風格だが、この陣幕に残っている滝川左近様よりいくつか年若いそうだ。


 撤退戦の殿しんがりとは死も覚悟せねばならぬ難しいお役目。戦線が崩壊しないように味方を鼓舞しつつ、時を稼いで少しづつ下がらねばならない……。叔父・佐久間大学允盛重様は老獪で戦上手と噂だが、池田様が援軍に行くとはいえ、お若い出羽介様は上手く退けるであろうか……。


 「申し上げまするっ!! 三の丸を松平勢が占拠。本丸方面へ進み始めました!! 」


 勝三郎様が出て行った直後。またもや大手門・三の丸の守りを担う、赤川彦右衛門様の旗印を背負った伝令が飛び込んできてそう声高に告げるのだった。


 「やはり正面の松平の勢いが強いか……」

 「城内に入って来たのなら狭間からの火縄銃は脅威となりましょう。我ら滝川家にお任せくだされ」


 陣幕に残っているのはもはや大将の三郎五郎様と本陣守護の役を池田様と務めておられた滝川様のみ。


 「そうだな……。先鋒の松平の勢いを抑えられれば三の丸側は持ちこたえるかもしれぬ。頼んだぞ。それと……、本宮甚九郎っ!!」

 「ははっ」

 「幾人か弓達者のものを連れて左近と共にけ。火縄は弾込めに時間が掛かると聞く。その間は弓で狭間から射掛けるのだ」

 「かしこまりました。では……」


 私まで本陣を離れるとなると三郎五郎様の周りが手薄になるが、もはやそのような事を言っている場合ではないか……。


 本陣の事は気になるが、滝川様と城内を進むにつれ、戦の喧騒が大きく聞こえてくる。そうして進むうち、私の意識は本陣に残したあるじの事から、自然と自らが握る大弓とまだ見えぬ標的へと移り変わっていった。


 しばし無言の歩みを進めていた私と滝川様であったが、途上で滝川家の雑賀様、津田様ら鉄砲衆の方々、私の配下である弓達者幾人かと合流し本丸と三の丸を繋ぐ木橋を覗ける狭間へとたどり着いた。


 「甚九郎殿は安祥一の弓達者だそうだな。よろしく頼むよ。弾込め中は無防備になる故な」

 「いえ。某など、たいしたものでは……」


 弾正忠家直臣で城持ち、援軍の副将だというのにこの滝川様は実に気さくな御方だ。直臣、陪臣というだけで露骨に態度を変える方もいるが、この方は陪臣の某にも他の諸将と変わらぬ対応でお話しくださる。


 「なぁにを言うか。甚九郎殿の”武力値”は並ではござらん。それだけ値が高ければ、そんじょそこらの雑兵など一捻りよ」

 「はぁ……。ありがとうございまする」


 それだけ言うと火縄銃を袋から出してなにやら狙撃の準備というものを始めた滝川様。


 たしかに弓には自信があるが、滝川様の仰った”武力値”とはいったいなんだ? 褒められたということはわかるのだが……。


 言われた意味が分からず困惑する表情で火縄を手入れする滝川様を眺める私だったが、狭間の向こうに松平旗指物が見えてきた。


 「各々方、標的松平勢が見えて参りました……」

 「おうっ。ついに来たか……。まずは集団撃ちで相手の勢いを殺す。差配は孫六郎に任せるぞ。その後は乱れた戦線を立て直しに出てきたお偉方を俺が狙撃する。よいな」

 「おうっ! 任されたっ」


 鉄砲衆を纏めるのは滝川様が信を置く雑賀孫六郎様。このお二方は主従というより友と呼べる間柄のように見える。


 「彦九郎よ、一番おいしいところを任せるんだ。しっかり一番偉そうな武士を狙い撃てよ」

 「任せろ。滝川式狙撃の真骨頂をみせてやろう」


 辺りに火縄の硝煙の匂いが立ち込める中、我ら安祥織田家の反撃が始まった。



*******

天文18年(1549年) 3月 岡崎安祥城 三の丸

 本多 平八郎(忠高)


 「兄上、我ら松平勢に続き、三の丸に今川勢が集まってきております。堀に取り付いて本丸に入るつもりなのかと……」


 本丸へと続く木橋と堀を登り攻め立てる松平勢を指揮する儂の元にやってきたのは弟の本多忠真。槍の名手でその腕は儂をも凌ぐほど。


 儂が本多の家長であるために、穂先に止まろうとした蜻蛉がおのずと斬れたという逸話を持つ本多家家宝の槍”蜻蛉切”を使ってはおるが、亡くなった父がこの槍を儂ではなく、忠真に譲るべきか迷うた程の腕前だ。


 「ふん。彼奴等、松平の手柄を阻止するつもりか? 」

 「どうでしょうか……。長門守鵜殿長照より山田景隆や飯尾豊前守(乗連)の方が我らの功を邪魔しようと躍起なようでしたが」

 「長門守は治部大輔様の甥御。山田や飯尾のように手柄を焦るような立場ではないからな。奴らは我ら松平にたかる蝿よ……。だが、どちらにせよ我ら松平で安祥を落としたと言えるほどの戦果を上げなければ立場はないのだ。もっと我らも前へ出るぞっ」


 山田や飯尾はこの戦の後、三河を差配する奉行となるらしいからな。ここで手柄を挙げて雪斎和尚に名を売り、三河で更なる権力を手にしようと躍起なのだろう。


 「ところで、雪斎和尚はどこにいる。昨夜の軍議には居ったが……」

「和尚は指揮を長門守に任せ、自身は矢作川近くに陣を張って西の備中守らの備えを取っている様です。西で織田と睨み合う岡部丹波守(元信)の援軍に向かった備中守は、どうやら知多の水野家に背後を取られたそうで……」


 丹波守と備中守は戦上手と聞くが、背後を取られるとはな。そういえば安祥に入ったという援軍も知多半島を抜けてきたのではないかと昨日の軍議で鵜殿長門守長照が申しておったわ。


 知多の水野家は織田方に味方すると決まったか……。和尚の脅しにも屈さず立場を貫くとは……。水野下野守信元、見直したわ。


 「ほう? 水野は今川に抗うか。羨ましいのぉ……」

 

 城攻めの最中ではあったが、三の丸を落とし一段落、先鋒を大久保家に変わったことで忠真と会話する余裕があったのはそこまでであった。


 ズダダダァッッッン!!


 雷が落ちたかの様な轟音が大久保家が攻める木橋の方から轟いて聞こえると同時に、兵達の動揺が伝わってきた。


 「何事だ!! 」


 儂と忠真で辺りの足軽大将らを呼んでも、城攻めの喧騒と一定の間隔で響き渡る先ほどの轟音で要領が掴めぬ。


 ズダダダァッッッン!!


 動揺広がる兵達を収め、何度目かわからぬ轟音が鳴り響いたところ、ようやく大久保家の伝令が我らの元へと辿り着いた。


 「平八郎様、先鋒を指揮していた大久保平右衛門忠員様が火縄に撃たれ負傷、新八郎様が平右衛門様を連れて退却中!! 大久保隊は七郎左衛門忠勝様がなんとか指揮しております」

 「なにっ!? ここで手勢の多い大久保家に抜けられてはまずい。忠真すぐに向かうぞ!! 」

 「はっ!! しかし兄上、あまり前に出過ぎぬように。狭い城内ではどこから敵が来るか、それにあの音はおそらく今川家で見た火縄銃なる飛び道具かと……」


 忠真の忠告はもっともだが松平はここで手柄を挙げねば明日はないのだ。我らの手によってなんとしても先へ進まねばならない。


 動揺広がる兵達の間を抜け、辿り着いた先では火縄や矢が飛び交う中、なんとか城攻めを続ける兵達と恐れ慄き退こうとする兵達がぶつかり合う混乱の中でなんとか指揮を続けようとする七郎左衛門の姿が見えた。


 「これを立て直すは、もはや不可能……。忠実!! 七郎左衛門をここから退かせるぞ」

 「はっ!! 」


 混乱極まる兵達の中をなんとか七郎左衛門に近づこうと進むがなかなか進めぬ。どうやら敵は侍大将などの指示役を重点的に撃ち、残された雑兵達が混乱する様に仕向けている様だ……。


 「七郎左衛門っ!! こちらに来い!! もはや退くべきじゃっ!! 」


 弟の忠実とは逸れたが、ようやく七郎左衛門の近くに辿り着き、声を掛けたその瞬間。儂は嫌な気配を感じ咄嗟に七郎左衛門をしゃがみ込ませ、抱える様に庇った。


 ズダダダァッッッン!!


 「ぐはぁっ……!! 」

 「へ、平八郎殿ぉっ!! 」


 轟く轟音と共に儂の右肩に強烈な衝撃があった。タタラを踏み、なんとかその場に踏みとどまったが、焼け付く様な痛みが右半身を覆い尽くす。


 「はぁ……はぁ……。七郎左衛門、敵の射手はやり手よのぉ。指揮官をよく見て狙っておる……。はぁはぁ…、お主はこの蜻蛉切を持って忠実とすぐにここを離れよ。儂の子、忠勝にこれを渡してくれ……」

 「し、しかし平八郎殿は……」


 ズダダダァッッッン!!


 2度目の轟音が鳴り響き、今度は儂の身体の左肩辺りを撃たれた。


 痛みで朦朧とする意識の中、抱えた七郎左衛門をなんとか立ち上がらせ動揺を収めるために出せる限りの大声で叫ぶ。


 「ぐっ……!! 混乱は後方にも広がるはず、お主は早く行けぇぃっ!! 」

 「は、ははっ!! 」


 2度目の衝撃が左肩にあったが弾は儂を貫通せず、庇った七郎左衛門は守れた様だ……。儂の霞む視界から、家宝”蜻蛉切”を握って走り去る七郎左衛門が雑兵達に紛れて見えなくなった。


 もはや腕も上げられず、腰の刀さえも抜けず、死を覚悟した儂は、この見事な狙撃を果たした敵の旗印だけでも一目見ようと本丸城壁へ振り向き、轟音轟く城壁を仰ぎ見た。


 その刹那……。


 ズダダダァッッッン!!


 兵達が次は自分が轟音に撃たれて死ぬのではないかと逃げ惑う戦場に、儂を狙う三度みたび目の轟音が響き渡った。


 額を何かが貫いた衝撃で天を仰ぎ見た儂が最後に見たものは、その背に丸に竪木瓜の旗印をはためかせ、煙を上げる火縄銃を構える、見慣れぬ鎧南蛮具足を纏う若い狙撃手であった。

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