第25話 安祥城の戦い(4)

天文18年(1549年) 3月 安祥城

 滝川 左近将監(一益)


 夜中だというのに見張り番だった守兵たちに援軍として熱烈に迎えられた俺達だったが、入城後の兵らはひとまず二の丸にて休息。


 大将・佐久間信盛と副将の俺は休む間もなくそのまま本丸の館へと案内された。


 俺たちが無人の部屋に通されると、遅れてやって来たのは織田信秀に似た顔の30前後の武士、織田三郎五郎信広さんだった。こんな夜中なのに夜着じゃないってことは、夜間の見回りにでも行ってたのかな?


 兄弟でも信長さんは顔が細面で、いわゆるイケメンな部類だったが、信広さんや父親の信秀さんはどちらかというとガテン系の”漢”といった顔立ちだ。まだ信行くんには会ったことないんだけど、彼も信長さんと同じお母さんだから細面な顔なのかな?


 「よく来てくれた、出羽介」

 「ははっ。若様から必ず三郎五郎様をお助けせよとの命を受けまして。那古野勢千名、駆け付けましてございまする」

 「そうか、三郎が……。正直、城兵たちの士気も下がっておったところ、まことに嬉しく思うぞ」


 若様からの援軍だと聞いた信広さんは一度天を仰いだ後、少し湿った声で俺と信盛さんをそう労った。


 信広さん、孤立無援の安祥に援軍を送ってくれた信長さんにうるっときちゃったみたいだねぇ。


 ただでさえ城を囲まれた上に、毎日やってくる今川軍はそのまま城を素通りし、織田の援軍を阻止する為に尾張方面に進んでいく。それを指を咥えて見ていることしかできなかった信広さんの心は、悔しさと情けなさでいまにも折れかかってたようだ。


 そしてやっぱりというか……案の定、末森から出たはずの援軍(那古野の林秀貞も含む)は大高城・鳴海砦で今川家とにらみ合いに陥ってここまで辿り着いた者はいないらしい。これについてはあとで滝川忍衆に様子を見に行かせるつもりだ。


 あんなに啖呵を切っておいて、林秀貞は今頃一体どんな顔をしているだろうねぇ。まぁ、とりあえずは当初の予想通り、向こうの援軍は今川の主力部隊を正面突破では来れないだろう。


 「して、そちらの御仁は? 見慣れぬ旗印、丸に竪木瓜の方かな? 」

 「はっ。三郎様配下、市江城主・滝川左近将監で御座います」


 市江城は城と呼ぶには粗末な物で精々、砦といったところだし、仮想敵である長島願証寺に地理的に近いため滝川領の拠点は蟹江に置いている。


 とはいえ、蟹江港に近い城はまだ建築途中だし、今は仕方なしに市江城主を名乗っている俺。


 やっぱり武力と権力があっててなんぼのこの戦国時代。”何処どこ城主”だったり、”何とか守”みたいな官位や立場を強調して自分に箔をつけないと信用されないし、部下も付いてこない……。


 他家に舐められたらやっていけない……けっこうツラい世の中なんだよねぇ。


 しっかし、新しい部下も雇わなきゃだし、鉄砲衆・忍衆にはお給金がかかるし、蟹江も整備しなきゃいけないしで我が滝川家は常に金欠だぁ。やはり、金策のためにも手柄を挙げなければならんっ!!


 「そうか。お主が服部左京進(友貞)を討ったと噂の……。これは心強い。この戦が終われば、しかと、弟を支えてやってくれ」

 「はっ。お任せくだされ」

 「とはいえ、このいくさ……、なかなか厳しいことは知っておろう」


 溜息と共に困ったような顔で俺と信盛さんにそう言う信広さん。


 「安祥を囲む今川・松平勢はおおよそ四千。そのうちの松平勢の千程は特に厄介で、損害を恐れることなく攻めてくるのだ。当主不在のところを今川から武力で脅され、竹千代を取り返そうと必死な様だな」

 「当主は暗殺されたとか……」

 「ほう……。左近は耳がはやいな」

 「拙者ちと甲賀者に伝手がありまして、此度も幾人か今川勢に潜ませております」

 「あとで詳しく教えてもらうぞ……」

 「ははっ」


 忍びについては今回の為というより、いずれ起こる桶狭間の戦いのために忍ばせてあったんだが役に立ったぜ。お陰で信広さんからちょっと呆れ顔で呼び出しくらった。


 忍びと聞くと、乱波らんぱ素っ波すっぱだと蔑んで扱う武士も多いが、内心は知らないがそんな態度を表面に出さない。そして役に立つなら使ってしまえと言わんばかりに利に聡いところは弟の信長さんに似てるねぇ。


 「この暗殺に織田家は関わっていない。少なくとも俺はその様な手は取らぬからな。おそらく今川家の仕業ではないかと睨んでおる」

 「なるほど……。それで松平家は必死で三郎五郎様、もしくは安祥城と引き換えに織田から幼い当主を取り戻そうとしているのですな? 」

 「おそらくな。我ら織田家が松平によって安祥城に押し込まれている間に、西三河の国人衆を今川方に鞍替えさせようというのだろう。証拠に今川は松平ほど積極的に攻めてこぬわ」


 安祥城の囲いを松平勢を主力として使い、今川は三千ほどを後詰として残す。五、六千程の今川部隊が織田家援軍を足止め、千ないし二千程の兵で西三河の織田寄りだった国人衆を脅して今川に鞍替えさせようという魂胆か……。


 「なるほど……。国人衆を鞍替えさせる為の時間稼ぎのため、今川勢は安祥城は取り囲むが落とすのには時間をかける。逆に先鋒の松平は早く竹千代を取り返すために無理攻めを行い、勝手に疲弊し、戦後は今川に従うしかなくなるということですな」

 「出羽介の言う通り。これを描いたは今川家宰・太原雪斎よ。げに、恐ろしき御仁よな……」

 「今川の黒衣の宰相……。今は安祥を囲う陣にいるのでしょうか? 」

 「いや、今川の陣に雪斎の旗印はない。今川は鵜殿、新野の旗が、主力の松平には大久保、本多、酒井などだ」


 おぉ!! 雪斎がいないなんてラッキーだ。絶対ステータス高いに決まってるからね。でも松平といえば未来の家康の家臣達だよな? 能力が低いわけがないだろうけど、どうなんだろう……。


 「先鋒の松平勢をなんとかできれば、なし崩し的に後方の今川勢も退却させることができるかもしれぬ。雪斎や朝比奈などの重鎮が居ない今ならば隙があるやも……」

 「では三郎五郎様。我ら援軍も手伝います故、明日の配置を考えましょうぞ」


 信広さん的には安祥城を脱出して尾張に逃げる選択肢はないようだね。信長さんには”安祥城を守れ”ではなくて、”生きて連れ戻せ”と言われたんだけどなぁ……。


 たとえ撃退がうまくいったとしてその後はどうするつもりだろう。安祥以外の国人衆は今川に取られ、陸の孤島となったこの城をいつまでも守り切ることが出来るだろか……。


 信長さんはそういった広域戦略的な点も含めて、信広さんを連れ戻せという指示を出したんじゃないかなぁ、大将の信盛さん。


 帰ってから信長さんに怒られても、俺知らないからね?


 言葉数が少なくて周りに理解されないことが多い信長さんだけど、局地的な勝利だけじゃなく、大局を見て考えられる点はやっぱり、さすが歴史に名を残した偉人って感じだ。


 佐久間信盛も織田信広も優秀だけど、今の事しか考えられない……、あくまで現場指揮官として……という条件付きで優秀なんだということが今回でよくわかったよ。


 とはいえ、愚痴を言っても仕方ない。とにかく今は明日の防衛を考えるとしようかねぇ……。


*******

天文18年(1549年) 3月 岡崎安祥城周辺

 本多 平八郎(忠高)


 「かかれぇ!! かかれぇいっ!! 退くな、振り返るな、向かうはあの城門のみ!! 」


 儂は、先鋒として1番苛烈な戦いとなる大手門を攻める我が松平勢を叱咤激励し、なんとか取り纏めている。


 あの夜、雪斎和尚に「先鋒として戦い、あわよくば織田三郎五郎を捕縛しろ。さもなくば松平を潰す……」と脅されては、手を抜くことなどできぬ。


 広忠様の死後、時間があったならば織田に従属、または交渉で竹千代様を取り戻す方法もあったのだが……。


 あのように素早く岡崎城に乗り込まれ、武力で脅されては今川の手を借りるほかない。あの時の和尚の冷たい眼差し、そして今川の為なら冷徹な手段を躊躇いもなく行える和尚が心の底から恐ろしい。


 「平八郎っ! 今日の織田は何かが違うぞ。特に大手門、これまで見なかった旗印が幾つかある」

 「たしかに……。援軍でもあったのかもしれませぬ」


 老体に鞭打って此度の戦に参加している大久保新八郎忠俊殿の言う通り、安祥を取り囲んで数日、織田勢は疲弊し、反撃の余裕などなかったはずなのに今日は勢いがあるのは何故か……。


 「しかも、相変わらず今川方の攻めは手緩い……。今日もこの城を落とす気がないと見えますな」

 「ふん……。軍監の鵜殿長門守(長照)も若いながらなかなかの曲者じゃわ。我らが軍議でどれだけ今川方の怠慢をせっつこうにもあの笑顔でのらりと交わしよる」


 織田の援軍を堰き止めに西に向かった朝比奈備中守、西三河の国人衆を脅し、人質を出させに向かった雪斎和尚の代わりに軍監として残ったのは上之郷城主・鵜殿長門守長照だ。


 「さすがはあの治部大輔殿の甥といったところですかな」

 「七郎左衛門大久保忠俊の嫡男もあれぐらいの器量が欲しいくらいじゃわい」


 新八郎殿は厳しいのぉ。流石に七郎左衛門殿に駿河守護職の甥御と同じ器量を求めるのは酷というもの。


 それに、七郎左衛門殿も若いながらによくやってはいる。奴自身、譜代筆頭を務めた偉大な親父大久保忠俊を持って辛いとは思うがな。


 「御注進っ!! 御注進申し上げまするっ!! 」


 新八郎殿と足軽達に指示を出しながら会話していると、酒井家の旗指物を付けた使者が走り込んできた。我らの後ろに詰めていた酒井小五郎(忠次)の家の者の様だ。


 「酒井家の者がどうした」

 「ははっ!! 主人あるじ・小五郎様の陣に今川方からの使者が参りました!! 西三河の国人衆を巡っていた太原雪斎様が安祥に戻ってくるとのこと。松平勢は兵を退き、明朝総攻めに備える様にとの言伝ことづてで御座いまする」

 「くっ……。ようやく和尚の行脚が終わったか。ここまで松平ばかりに攻めさせておったくせに、ここにきて足並みを揃えようとは」

 「此度くだした西三河の国人衆に、今川が居らねば松平は何もできぬと見せつけるつもりなのでしょうな」

 「どこまでも儂らを虚仮こけにしおって……」


 新八郎殿の憤りは理解できる。儂もできることなら和尚に向かって文句の一つも言いたいところだが、ここまで用意周到に策を用いられると最早どうしようもない。


 「竹千代様を取り戻せたとしても、松平の立場は厳しいものとなりましょうな……」

 「……」


 雪斎和尚が帰ってくるであろう西の平野を眺めながらそう呟く儂に新八郎殿からは返事はない。


 しかし、ただその表情だけは、認めたくない事実を飲み込むしかないかの様な、眉間に皺が寄った、とても苦い表情だった。

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