第28話 束の間の勝利

天文18年(1549年) 7月 那古野城

 滝川 左近将監(一益)


 「皆の衆、よく戻った。特に出羽、左近、その方らの活躍には兄上から別途、感状が出ておる」

 「ははっ」


 数ヶ月前、信長さんが安祥への出陣を決めた大広間にまたしても集められた諸将。


 その上座には信長さんが座っており、例の派手な小袖を羽織って脇息きょうそくに片肘を付き、気怠そうに扇子をクルクルと弄びながら労いの言葉を口にした。


 先の安祥城での戦いから数ヶ月。俺達那古野勢の援軍は安祥城の防衛を見事に成功させ、末森からやってきた本隊に引き継いで那古野に帰ってきたのだ。


 信長さんの側にすのは、平手政秀さん。本来なら筆頭家老がそこに居るはずなのだが、ここ最近は次席家老の平手政秀が常に信長さんに帯同して政務を行なっている。


 「平手のじい。紙を寄越せ」

 「はっ。これを……」

 「うむ」


 その筆頭家老の林秀貞はというと、今は末森にて戦後処理。平手政秀だけは信長さんに呼ばれて俺達と帰ってきた。これまでの林秀貞に対する鬱憤と、此度の援軍が大高方面で足止めされ間に合わなかった事で信長さんは林秀貞に怒り心頭、側に侍すことを許さないらしい……。


 「まず左近。その方、松平勢の一手の侍大将を火縄にて打ち取ること6人、加えて松平総大将・本多平八郎を打ち取ったそうだな」

 「その通りでございまする」


 あの日、俺は安祥城で松平勢の大将・本多平八郎(忠高)を討ち取った。正確には、狙撃だが……。


 「さらに松平勢の混乱に乗じて今川勢を簗田政綱千秋季忠と協力して退けた功、三郎五郎兄上より、武勲一等、比肩するものなしと書かれてある。故に、後に褒美を出す」

 「はっ!! ありがとうございまする」


 織田信広さんに褒められた通り、先鋒の松平勢が大将を討ち取られたことと、侍大将の多くを失った事で混乱。逃げ出したところを俺と、本丸内で期を窺っていた俺と同じく那古野勢の千秋季忠と簗田広正の手勢で一気に追撃し、大手門側を担っていた今川勢を追い払うことができた。


 俺達の反撃と時を同じくして、大高方面の末森援軍もなんとか岡部元信、朝比奈泰朝を退却させることに成功。総大将の太原雪斎は予期せぬ負けの連続に、形勢不利と考えたのか、矢作川を越えて岡崎城まで退却。敗北寸前だった安祥城はなんとか陥落を免れたのだった。


 「次いで出羽っ!! 」

 「ははっ!! 」

 「儂はお主に大将を任せた時、安祥を守るのではなく、兄上を連れ戻せと言ったのだがな」

 「も、申し訳ございませぬ……」

 「で、あるか……。だが、お主にも兄上より感状が出ておる故、不問とする。その方、一手の大将・中野又兵衛を助くこと、虎口より退くこと引き波の如く、退き戦にて佐久間に比肩するものなし……とな」

 「は、ははぁっ!! 」


 無事安祥城を守り切ったというのに信長さんは顰めっ面で、変わらず手元の扇子をクルクルと回しイライラした様子。そのせいで、褒められたようで叱られたみたいな雰囲気の佐久間さんも若干、戸惑い気味だ。


 「本当であれば、汝等うぬらにはそのまま安祥に残って今川に靡いた西三河国人衆を織田に再度付かせる仕事をしてもらいたかったのだがな」

 「若様、無理を言ってはいけませぬ。大和守家が再び戦支度を始め、ここ那古野を窺っている状況では……」


 安祥城の補修や西三河の安定が儘ならぬままに援軍が尾張に戻ってきたのには訳があった。


 平手のじぃこと、平手政秀が言う通り、弾正忠家と対立するもう一つの織田家。大和守家が那古野を狙っているとの噂が流れ始めたからだ。


 この大和守家の織田達勝・信友親子の居る清洲城は、信長さんの那古野城の目と鼻の先くらい距離が近い。その為、三河に主力が居る状況で攻められると、とんでもなく困るのだ。


 「じぃ、それくらいわかっておるわ。だが、安祥城はもはや西三河に孤立しておる。陸にありながら海に囲まれた島同様じゃ。矢作川があるとはいえ、また攻められればもはや援軍など間に合わぬ。此度の大和守の噂も本当かどうか……」

 「ですが備えぬ訳にもいきますまい」

 「だから安祥など捨て、兄上を尾張に連れ帰るべきだったのだ……」


 信長さんの言う通り、今の安祥城は陸の孤島。さらに今は大和守家に対抗するために那古野も末森も援軍が出せなくなってしまった。


 「じぃ、大和守家が今川と組むこと……、あり得ぬか? 」

 「まさか。守護様を奉じる大和守家がその様な事ありえませぬ。第一に、それが守護様に知られれば大和守といえど許されぬでしょう」


 織田家の奉じる尾張守護・斯波家は今川家と遠江のことで因縁があるため、手を結ぶことは考えられないが……。この状況を考えるとあまりにも今川に有利すぎる……。


 大和守家と今川家が手を組んだとは考えたくはないが、少々まずい状況だぜ。そもそも太原雪斎の大高方面の軍の動きも妙だ。


 なぜ大高城や鳴海城を落とさず、あえて膠着状態で睨み合わせていたのか……。尾張が援軍騒ぎで混乱し、国内が手薄となった尾張へ密使を潜ませ、大和守家と取り決めをしたということなのか?


 滝川忍び達も戦の間は尾張国内ではなく、三河や今川の部隊の諜報で手一杯であった。俺もまさか不倶戴天とも言える今川と織田大和守家が手を組むとは考えていなかったが……。


 「守護様に知られなければその手も取れるということだな」

 「そ、そんなまさか。有り得ませぬ……」


 信長さんの厳しい表情に、平手政秀もその最悪のパターンを想定したのか蒼白な顔で狼狽える。


 普段から献身的に信長さんに尽くそうとする平手さんからしたら、主人を裏切る様な、義理人情に欠ける行いをするなんて考えられないといったところかな?平手さん、見た目も中身も好々爺然としためっちゃいい人そうだからなぁ。


 その後、大和守家に対してどの様に対応してゆくのか話し合う事、一刻半ほど過ぎたころ。


 「末森より、火急の知らせでございまするっ!! 」


 大広間に走り込んできたのは近頃、若様の馬廻を務め始めたばかりの丹羽長秀さん。


 後の織田家重臣で米の様に欠かせぬ存在ということで、”米五郎左”と信長さんから評された優秀さんだ。父親と兄が尾張守護・斯波義統、大和守家に仕え、次男の長秀さんは元服と同時に弾正忠家に仕えることとなった彼の歳はまだ14.5と若い。


 “丹羽 五郎左衛門(長秀)"

 統率:80  武力:71  知略:82  政治:82

 “スキル”

・米五郎左 : 副将として出陣時、統率+2


 ステータスも見事に高いが、若いからステータスの数値通りの働きができるかは彼の器量次第だね。


 「なんだ、五郎左か。そんなに急いてどうした」


 軍議の途中に乱入してきた丹羽長秀に対して優しく問いかける信長さん。


 部下には結構厳しい信長さんだが、丹羽長秀とは一歳差で兄弟的な感覚なのか信長さんの対応が優しい。あれが信行くんであれば、兄弟仲良くできたのかもなぁなんて思ってしまうよね……。


 「はぁはぁ……、す、末森城に今川家宰・太原雪斎より使者が。あ、安祥のさ、三郎五郎様を捕らえた故、松平竹千代との人質交換の申し出が御座いましたっ!! 」

 「なんだと……」


 あまりにも急な出来事に持っていた扇子を取り落とし絶句する信長さん。


 「此度は水野家の刈谷、緒田城を今川方が攻め落としたとのこと。同時に攻められた安祥城も援軍の使者を出すいとまもなく……」

 「三郎五郎様が囚われるとは……」「これは、大和守家と計ったのか? 」「雪斎和尚恐るべし……」「水野下野守は無事なのか? 」


 丹羽長秀の告げる内容に、広間にいた諸将はざわめき立つ。安祥城は西三河に孤立しているという現実から目を背け、今川勢を退け三郎五郎様を救ったという勝利の余韻に浸っていた諸将たちはたちまち現実へと引き戻されたのだった。


 「末森にて玄蕃織田秀敏様、犬山城伊勢守家勘解由左衛門織田広良様が安祥に向けて出立の準備を進めております。殿からは、若様からも交渉供廻り役を出すようにとのことで御座います」


 織田玄蕃秀敏は信秀さんの従兄弟で尾張中村領という小領の領主なのだが、織田一門の中では年長で長老的な立ち位置の人だ。美濃とも繋がりがあって、織田家において他国との折衝役的なことを主としている。


 織田勘解由左衛門広良の方は、信秀弟の故・織田信康の子で、信長さんの従兄弟に当たる。兄・信清と共に岩倉城の織田伊勢守信安の後見役を務めている。現状、伊勢守家は弾正忠家、大和守家に対して中立的立場だ。


 今回の交渉はこの二人が大使みたいなもので、数人の随行員が供廻り役なのだが……、


 「左近、四郎左衛門簗田政綱汝等うぬらが務めよ。しかと、雪斎の顔を拝んでおけ」

 「「ははっ」」


 信長さんがにやりと笑って告げた名前。そうして選ばれたのは、俺でした……。


 ってなんで俺やねーん。いやぁ信長さん、どう考えても安祥城の防衛戦で活躍した俺はまずいでしょう。


 交渉材料に竹千代こと、将来の徳川家康がいるから松平家臣が来ることは必定。先の戦で本多忠勝の親父さんである本多忠高さんを討ち取っちゃった俺が居たら感情逆撫でしまくりだし……。


 実は”忠勝つながり”でも、本多さんじゃなくて大久保忠勝の方を狙った流れ弾だったんです……、とも言えないしな。


 というか、一町半は離れた城壁からの狙撃に気付いて咄嗟に味方を庇った本多忠高さんはどんな超人!?さすが戦国最強・本多忠勝のお父さん、恐るべし……。


 「これで今川は三河を手に入れ、尾張に接することとなった。いずれ大戦おおいくさとなろう……」


 使者の供廻りが決まり、諸将が此度の交渉についてざわめきが大きくなっていく広間で、考え込むようにぽつりと信長さんが言い放った呟きを、将来起こるであろう桶狭間の戦いを知る俺は、聞き逃さなかった。

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