第29話 尾張の因縁

天文18年(1549年) 7月 斯波家屋敷

織田 大和守(信友)


 武衛斯波義統様の呼び出しを受け、戦支度で忙しいところ、わざわざ清洲城内の守護館へとやってきた。小姓に案内された儂は、上座に座す、背が低く色白で華美な着物を着た男へと恭しく平伏する。


 「弾正忠が三河の安祥城を今川に奪われたそうだな」

 「はっ。どうやらそのようでございます」


 儂を急に呼び出して一体なにを言い出すのかと思えば弾正忠のことか……。


 「その方、戦支度をしておるらしいのぉ。弾正忠への援軍の支度をしておるのか? 」


 ここ尾張において斯波家は守護という肩書はあるが、守護代である我ら大和守家の傀儡なのだ。傀儡は傀儡らしく、書や絵だけ描いておれば良いものを……。


 「いえ、そういうわけでは……」


 そもそも、なぜ儂がわざわざ弾正忠に援軍を出さねばならぬのだ。奴は家臣のくせに主家である我が大和守家を蔑ろにする不届者だぞ。


 「では何のための戦支度か」

 「はっ、それは……」


 なんのためかと言われると答えに窮するな。急な呼び出し故、言い訳を考えておかなかったのは儂の失態だ。いかに傀儡とはいえ、他の直臣や侍女らから三河の情勢が耳に入ることを忘れておったわ。


 「大和守……。その方、よもや弾正忠と戦をしようというのではあるまいな? 」


 見事な鷹の絵が描かれた手元の扇子を仰ぎながら、ねっとりとした目で儂を窺ってくる守護様。


 そもそも今しておる戦支度は儂と今川との約定によるもの。三河に攻め込む今川勢の為、弾正忠を尾張に留め置き、三河に援軍を出させぬ為の陽動なのだ。


 だが、これを守護様に知られるわけにはいかぬ。


 「まさかそのようなこと……」

 「我が斯波家は越前を朝倉に、遠江を今川に簒奪されたことを忘れぬ。今川と戦う弾正忠を支援することはあれど、戦は許さんぞ? それは今川に利することと同じじゃ」


 いかに傀儡とはいえ尾張守護職の威光は強い。守護代として守護様に従っているという体裁を崩すわけにはいかぬのだ。


 故に、此度の今川との密約を守護様に知られ、騒がれては困る。特に伊勢守家や弾正忠家に逃げ込まれでもしたら大和守家の立場がまずいからな。


 「今川との戦に忙しい弾正忠家に代わって北伊勢や願証寺一向門徒、美濃の斎藤家などに備えての戦支度に御座います。武衛様におかれましては、御心配召されぬよう……」

 「ふむ……。なら良いがのぉ。もうよい、下がってよいぞ」

 「ははっ」


 手元の扇子を儂に向けて払うような仕草をしながら退出の許しを出す守護様に、改めて頭を下げ儂はその場を後にした。


 此度の密約は大和守家の反逆とも取れるかもしれぬが、そもそも儂の養父であった前守護代(織田達勝)やこれまでの歴代守護代も皆、三河、遠江への遠征には反対の立場。越前も遠江ももはや朝倉家、今川家が支配して長い。


 美濃や伊勢、三河と言った周辺にも敵が居るというのに、守護様の意向に従ってわざわざ遠征をしてまで今川家とやりあう必要などない。


 それより大和守家に反抗的な弾正忠家、伊勢守家を潰し、儂がこの尾張をまとめ上げる方が重要じゃ。幸い、弾正忠嫡男の三郎はうつけと評判。


 うまくいけば家督争いで御家が割れ、もしうつけ殿が後を継いだとしても容易に取り込めよう。そも、儂の家老・坂井大膳が織田勘十郎と周囲の者らを焚きつけてうつけ殿と対立するように手を打っておるしな。


 屋敷をあとにし、足早に儂の屋敷へと戻ると家老の坂井大膳と重臣の河尻左馬丞、織田三位、坂井甚介といった養父・達勝の代から大和守家を支える者らが戻りを待っていた。


 「お待ちしておりました、大和守様。して、守護様はなんと? 」


 狐のように細い顔の坂井大膳が、その糸目を儂に向け、左馬丞らを代表して問いかけてきた。


 此度の今川との密約をまとめた責任者として、守護様に気取られたかを相当気にしておるようだ。自ら今川家と戦った先代守護・義達様ならいざ知らず、戦場に立たぬ今の武衛様に戦支度の機微が分かるとは思えんがな。


 「此度の戦支度は弾正忠家を攻めるためであるか聞かれたのみよ。我らと今川の密約には気づいておらん」

 「それは上々」「守護様に悟られるわけにはいきませぬからな」「あの方が気づくはずがありますまい」


 儂の返答に左馬丞や三位、甚介がほっとしたかのように各々、言葉を漏らした。


 「守護様にはなんと申したので? 」


 大膳だけは他の3人と違い気を緩めず、儂になんと返答したのか問いかけてきた。此奴の頭は使えるが、この心配性の気質だけはなんとかならぬかとよく思う。


 「大丈夫だ。美濃や北伊勢に備えるためだと申しておいた。御先代様ならまだしも、戦も知らぬ今の武衛に悟られることはない故、心配するな」

 「ははっ。であれば良いのですが……」

 「案ずるな。それに此度の支度は形だけのもの。本当に弾正忠を攻めるは、まだ、これからな……」


 癪に触るが、弾正忠の戦上手は儂も認めるほかない。弾正忠家は今川家との戦でここのところ負けが続いているとはいえ、奴と正面からやり合うのは得策ならず。


 それ故、奴の倅・勘十郎を大和守家が支援してお家騒動を起こし、次代の弾正忠家を傀儡とする算段なのだ。


 「弾正忠家といえば、大和守様。勘十郎家臣、津々木蔵人から文が戻って参りました。弾正忠家跡継ぎの件、大和守家の支援に感謝すると……」

 「ふふふ……、はっはっは。そうか! ついに勘十郎はうつけ殿を退けて、当主となる決断を下したか」

 「はっ。なんでも弾正忠は最近体調が優れぬとのこと。今川との負け戦の状況もあって、勘十郎殿もうつけの兄に斜陽の御家を任せるわけにはいかぬと思ったようで……」


 うつけの兄には御家を任せられぬか……。勘十郎め、甘っちょろい考えをしおって。うつけに代わって若造のお主織田信行が御家を継いだところでどうにもできんわ。


 御家騒動でも起きれば、勘十郎が末森あたりを掌握する間に我らは那古野、勝幡といった尾張西側の弾正忠家の城をそっくり奪うことだってできそうだな。


 「よいぞ、大膳。そのまま勘十郎の周囲を煽ってやれ。うつけの兄と家臣を二分するくらいにな……。それと那古野、勝幡周辺でうつけの兄から離反しそうな家臣が居ればこちらに誘え」

 「それはよいですな。機を見て寝返らせれば那古野城を奪えるやも。それに三郎殿の配下で引き抜ければ、跡継ぎとして失格とみなされ勘十郎殿が優位になるやもしれません」 

 「それはよいな。うまくいけば弾正忠が死ぬのを待たずに仕掛けることも可能だな……。武衛も次代の弾正忠が役に立たぬとわかれば戦をしても文句はあるまい」


 たしか蟹江あたりの領主は弾正忠家に仕えて浅かったはずだな。市江の服部左京進を討った剛の者とも聞く。そんな者も、仕えて早々にうつけ殿のお守りをさせられてさぞかし辟易しているはず。


 弾正忠家よりも家格も高い大和守家でそれなりの待遇で迎えると言えば、容易く寝返させることも出来よう……。


 「大膳、蟹江あたりの領主はまだ弾正忠家に仕えて浅かったはず。手をまわしてみろ」

 「ははっ」


 ただでさえ細かった糸目を更に細く歪め、笑みを浮かべて答えた大膳は、左馬丞ら三人を引き連れ、調略の手筈を整えるためか足早に部屋を出て行った。


 弾正忠・織田信秀の年齢が自分とほぼ変わらない年齢(正確には信秀が4,5歳年上)だったため、代替わりはまだ先だと思っていた尾張守護代・織田大和守信友。思っていたよりも早く、憎き弾正忠家を潰す機会が巡ってきたことに喜び、一人残された部屋でほくそ笑む彼は気付かなかった。


 守護代居室の天井には、忍びが覗ける小さき穴が開いていたことを……。壁に耳あり、障子に目あり、梁の上には……忍びあり。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る