第15話 僕と、
あまりにも唐突な、そして真実を突く言葉に、才霞は思わずハクを撫でる手を止めた。
「……な……何を言っているの? 私は『サイカ』よ」
声が上擦る。動揺を隠しきれない。これじゃ、彩華になれない。
「うん。でも『歳王彩華』じゃないだろ?」
その間にも、ハクは才霞から離れない。
そんな少女と一匹を見て、杜岐は優しく微笑んでいた。
「最初から違和感はあったよ。確かに君は彩華に瓜二つだ。顔も、声も。でもどこか違う。僕の記憶の中の彩華は幼いけれど、それでもこうも変わるものなのかってね。何より――」
杜岐はハクの背を撫でる。
「ハクは彩華に懐かなかったんだ」
獣は、臭いを嗅ぎ分ける。
それを指摘されてしまえば、もう言い逃れはできない。
誤魔化すのを潔く諦め、才霞は「そうよ」と認めた。
「その通りよ。わたしは歳王彩華じゃないわ。彩華から王華を託されただけの、ただの偽物よ」
始祖王の血を引く正当な所持者に限り、生涯で一度だけ、王華を他人に譲渡・委任することができる。
王族のみが知る秘密なの、と彩華は言っていた。杜岐もおそらく知っているのだろ。才霞の告白に驚くこともなく、ハクの背に顔を乗せて、楽しげに尋ねてきた。
「本当の名はなんていうんだい?」
「……才霞」
「……んん?」
杜岐が首を捻る。さすがに分かりづらかったのだろう。
「才霞。名無しのわたしに、彩華が名付けてくれたの」
そこまで言って杜岐はようやく「あぁ!」と声を上げた。才霞と彩華が同じ発音の名前だと、合点がいったのだろう。
「どういう字を書くんだ?」
なおも尋ねてくる杜岐に、才霞は戸惑う。
この人は、どうしてこんなにもわたしのことを聞いてくるのだろう――と。
ややあってから、才霞は答えた。
「……才能の才に、霞って書くわ」
彩華と初めて会った時に、彼女がしてくれた説明を彩華はそのままなぞった。
あの時彩華に拾われた才霞はそのまま彼女と翔理と共に暮らすようになり、彩華は才霞に字を教えてくれた。才はともかく霞の字が難しくて、書けるようになるまで随分と時間がかかったのを覚えている。
「才ある霞か。いいね名だね。似合ってる。美しい名前だ」
その言葉に、才霞は胸が温かくなるのを感じた。彩華の付けてくれた名前が褒められるのは、純粋に嬉しかった。
でもそういう褒め方をする杜岐は、意外に軽薄だとも思った。
なんて返していいか分からず、才霞はハクの毛皮に顔を埋め、ひたすらになで続けていた。
そんな才霞に、杜岐はバルコニーの手すりに寄り掛かり、三度尋ねる。
「……君は、どうして華遊びを降りなかったんだ?」
その問いには、少しの躊躇いのようなものを感じた。
「彩華に花を託されたから?」
「…………」
「君は王になりたいわけじゃないだろ?」
才霞はすぐには答えられなかった。
杜岐の指摘は正しかった。
才霞は王になりたいわけじゃない。ただ王になるという手段が最も相応しかったから、王になることを選んだだけだ。
――彩華の復讐のために。
「許せないから」
吐き出した声は、まるで自分のものではないような暗い色を帯びていた。
杜岐の柳眉が、ピクリと跳ねる。
「彩華を城から追い出した人たちが許せない。追い出されることがなければ、彩華が病気になることもなかった。死ぬこともなかった。彩華も、彩華のお母さんも」
「でもだったら、何も王を目指す必要もないだろ?」
――そうね。
そうね、と才霞は肯定する。
「彩華は死んだわ。毎年、たくさんの人が死ぬ、いつもの病気で」
杜岐が、口を閉ざす。
彩華はハクの身体に顔を埋めたまま、唇を噛んだ。
「いつもの……いつもの話よ。何年経っても、何十年経っても、国はなんにもしてくれない。たくさんの人が死ぬと分かっていて、ずっとそのまま。民草の命に、興味はないなんて、言わんばかりに」
「…………」
「その一人として、彩華は死んだのよ」
彩華は、恨んでいた。
毎年多くの人々の命が奪われていくと分かりつつ、何もしないこの国を。
変えたいと思っていた。王になって。その資格が、彩華にはあった。
けれど、彩華にはもうそれができない。
だから才霞が、その役目を引き継いだのだ。
「……すまなかった」
目を伏せ、杜岐は詫びた。
瞬間、才霞は自身を苛んでいた熱がスッと引いていくのを感じた。
「あなたのせいじゃ、ないもの」
才霞は首を振る。
「間接的には、あなたのせいかもしれないけど」
彩華を城から追放したのは、杜岐を支持する一部のものたちが勝手を働いたのだということは分かっている。彩華の追放は、杜岐の意志ではない。
そして杜岐は、ただの王子だ。
今でこそ王の名代として国政を執り行う立場にいるが、国に蔓延る病を放置し続けたのは王であり、この国そのものだ。
だから杜岐は悪くない。
悪くないけれど、戦わなくてはいけない。
だって杜岐は、彩華が目指した玉座に奪おうとしているのだから。
「……そっか」
びゅうと風が吹く。
「君は、そういう子なんだね」
その言葉に、どんな感情が込められていたのかは分からない。片目を隠す眼帯と、夜風に靡く銀髪が頬にかかって、その表情を読めなくしていた。
才霞はハクから身を離し、そんな横顔をじっと見つめていた。
「――ねぇ才霞」
杜岐が振り返って、笑う。彩華ではない、才霞を呼んで。
その軽薄でどこか悪戯っぽさを秘めた笑みは、彩華を思い出させた。
そして杜岐は、尋ねた。
「僕と結婚しない?」
彩花、散り散り、遊びませ 倖月一嘉 @kouduki1ka
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