第8話 情報屋『雨降り屋』

 廃棄区。見捨てられた地区、要らないものを捨てる場所。故に廃棄区。


 いつからそう呼ばれるようになった貧民街の一角にある大衆酒場。その地下階段を、才霞と翔理はゆっくりと下っていた。


「翔理、足下に気を付けてね」

「姫様こそ。踏み外しても背ではキャッチできませんからね」


 陽の光は一切差し込まず、頼りになるのは等間隔で壁に設置されたランプの薄明かりだけ。まるで闇の底が口を開けて待っているような――そんな薄気味悪さを感じながら、才霞は先導する翔理の背を追う。


 ほどなくして、才霞たちは古びた木の扉の前に辿り着いた。

 ギギギと立て付けの悪い扉を、翔理が力任せに開ける。


「やぁ、お久しぶり。待っていたよ」


 その先に、一人の青年がまるで占い師のように座っていた。


 目深に被った黒いフード付きローブに、目を覆い隠す長い前髪。病的なまでに青白い肌。その見た目からは不気味な印象を受けるが、口元はにんまりと深い笑みをたたえていて、友好的な印象を抱かせる。


 情報屋『あめふり』。


 といってもその名も、本人が名乗っている通り名みたいな者で、本名は誰も知らない。知りたければ、和藤国の平均的な生涯年収はたいても足りない額を支払わなければいけないという噂である。大から小まで様々な情報を常に集めていて、才霞たちも幼い頃に情報料としていくらかもらった覚えがある。


「久しぶりね、畢。元気だったかしら?」

「そりゃもうおかげさまで。姫様も息災のようでなにより」


 姫様。才霞を指すものではないその呼び方に、翔理が刀の柄に手を掛けた。警戒心が肌から伝わる。


「翔理。畢が知らないわけはないでしょ。大丈夫よ」


 才霞は翔理の袖を引けば、翔理は不承不承と言った様子で構えを解く。

 そうそう、と畢は満足げに頷いた。


「才霞ちゃんの好きな食べ物から誰にも言えないあーんな秘密まで。知りたいことはなーんでも、この畢におまかせあれ。……翔理くん、才霞ちゃんのスリーサイズ、知りたい?」

「なっ……し、知るか!」

「あれ、そう? それとももう実測済みとか?」

「知らん! ……お前、斬られたいのか」


 翔理が再び刀に手を掛け、腰を落とす。畢は気にした様子もなくキシシと歯を見せて笑い――


「それで、そこに隠れている王子さまはいくら払ってくれるのかな?」


 才霞の背後に目を向ける。正確には、扉の影に隠れている二人に。


「やれやれ、お見通しだったか」

「この畢に、分からぬことはございませぬ故」


 残念がる素振りもなく、扉の影から杜岐と舜夜が現れる。

 現時点で実質、この国の頂点に座す二人を前に、立ち上がった畢は深々と優美な礼を取った。


「はじめまして、杜岐様、舜夜様。情報はさながら、空から滴る雨の如く。ここは出すもの出せばどんな情報でも手に入る『雨降り屋』にございます」


 その紹介文句に杜岐は頷いて才霞を見た。


「なるほど。僕はお財布、というわけか……」


 当然とばかりに、才霞もまた頷いた。


 才霞は廃棄区生まれの廃棄区育ちだ。そして幼くして城から放逐された彩華と翔理もまた、人目を避け、廃棄区の片隅でひっそりと育った。成長に伴い、日銭を稼ぐ術を覚え、何とか毎日食べることはできていたが、それが最低限。今も持ち合わせはほとんどなく、畢から必要な情報を買うだけのお金など、当然あるわけがないのだ。


 弥生家の問題は、国の問題でもある。

 だったら、払うところから払ってもらおうというのが、才霞の考えだった。


 お財布扱いに納得していないのか、くしゃくしゃと頭を掻く杜岐に向けて、畢はにんまりと人の良さそうな笑みを浮かべる。


「必要なものはなんなりと揃っております。さて、いくらまでお積みになりますか?」


 人の良さそうな、悪魔の笑みだった。






「それじゃ、僕らは一足先に城に戻るよ。部下に指示を出さなきゃいけないからね」


 そう告げる杜岐に、才霞は無言で頷いた。


 畢の情報で、件の少年を買ったのは、八津山やつやまという街外れに大きな屋敷を構える資産家の男だということが判明した。杜岐は早速、その男について探りを入れてくれるらしい。


「えぇ。わたしでは何も出来ないから。お願いするわ」


 平坦な声、変わらぬ無表情。全くお願いしているような態度ではない才霞に、しかし何故だか杜岐は虚を突かれたような顔をした。ぱちぱちとまばたきして、それからフッと微笑む。


「そんなことないよ。進展があったのは、君が雨降り屋の存在を知っていたからだ。何も出来ないなんてことはない」


 そうかしら、と。内心で呟く才霞を見下ろして、杜岐はやはり優しく笑う。


「それじゃあ、また城で」


 そう言って杜岐は、舜夜と共に廃棄区を去っていく。


「……わたしたちはもう少し情報を集めてみましょう」


 才霞は呟いて、踵を返した。


 生まれてからつい先日までを過ごした廃棄区には、多くの顔見知りがいる。無論、彩華が姫だとは知らず、才霞が彩華の身代わりに王選抜戦に挑んでいることも知らないが、口を緩めてくれる人もいるかもしれない。


 そんなことをぼんやりと考えていると、才霞の隣に――いつぶりだろうか。翔理が並んだ。


「……随分と親しげだな」


 不機嫌そうな声に、才霞は思わず目を丸くして翔理を見上げた。


「杜岐は悪い人ではないもの」

「姫様を殺したのにか」


 忌々しげな声だった。

 才霞は口を噤んだ。そう言われてしまったら、もう何も言えなかった。


「それは……」


 続く言葉が、出て来ない。何かを言おうとして口を開き、けれど何も言えなくて。

 服を掴もうとした手は、何も掴めずに擦り抜ける。


 ざわざわと、雑踏だけが流れていった。


 纏わり付く空気は澱んでいて、何が交じっているかも分からない臭いが鼻を突く。

 故郷の臭い。慣れた空気。


 けれど行き交う人たちはみな、身綺麗な才霞と翔理に胡乱げな眼差しを向けてくる。


 一ヶ月。たった一ヶ月、されど一ヶ月。何不自由ない城暮らしは、確実に彩華と翔理の何かを変えつつあった。


(『許さないで』)


 脳裏に、彩華の言葉が響く。

 呪いのように、最期の言葉が響く。


「わたしは――」


 けれどその続きが紡がれることはなかった。


「――!?」


 背後から伸びてきた無骨な手が、才霞の口を塞ぐ。そのまま才霞は一瞬で、音もなく人混みの中に引きずり込まれる。


「……才霞? 才霞!?」


 翔理が自身の隣からいつもの気配が失われていると気付いた時、才霞の姿はどこにもなく。


 忍び寄る夕闇に、名を呼ぶ声がたただた虚しく響いた。

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