第3話 ゲーム開始

 城へ突入する時はどうなるものかと思ったが、無事、選定の儀に割り込めてよかった。


「――か。才霞」


 自分を呼ぶ何度目かの声に、才霞はゆるりと声を上げた。


 手の中には、紙に包まれた屋台飯が握られている。薄く焼いた小麦の生地に、切り落とした肉や野菜を濃厚なソースと共に挟んだ一品だ。名前は、なんとかサンド。西の異国発祥の食べ物らしいが、正式な名前を才霞は知らない。ただしばらく前から王都で流行りだして、最近ではすっかり屋台飯の定番となっていた。手頃で美味しくて、才霞はこれが割と好きだった。


 今しがた噛みちぎったばかりの夕飯を頬張りながら、才霞は翔理を見上げた。

 なにかしら、と目で尋ねれば、翔理はハァと小さく嘆息する。


「何じゃない……ほら、頬にソースが付いてる。ほんと手がかかる奴だな」


 そう言って翔理は、慣れた様子で才霞の頬に付いたソース指で拭った。それから躊躇いもなく、その指をペロリと舐めた。


 昔と変わらない仕草。廃棄区育ちで食べ方が綺麗じゃない才霞に、翔理はなんだかんだと世話を焼く。生きていたら才霞と同じぐらいの妹がいたという話だから、血の繋がらない妹のように思われているのかもしれない。


「相変わらず食べ物には目がないんだな、お前。そうして頬張ってると、リスかハムスターみたいだ」


 もぐもぐ、ごきゅん。憮然とする翔理に、才霞は口の中の物を飲み込んでから口を開いた。口に物がある内は、喋っちゃいけない。それは彩華に教えられたことだ。


「ごめんなさい」

「悪いなんて言ってない。お前も悪いだなんて思ってないだろ?」

「えぇ」


 悪びれもせずに頷けば、翔理は一際大きな溜息を吐く。


「しっかりしてくださいよ、姫様」

「えぇもちろん。わたしたちは、この国を壊すのだから」


 そう言って才霞は、サンドの残りに小さな口で齧りついた。食べ歩きながら、翔理も好きな屋台で好きな夕飯を買う。


 それは桜の花の舞う、三月の末の事だった。


 王都の夜は騒がしくて、買い食いをする才霞と翔理を気に留める人は誰もいない。


 もうすぐ、こんな風に並んで屋台飯を食べることもなくなれば、雑踏の中を平然と歩くこともなくなってしまう。


 そう思うと、少しだけ寂しさが込み上げた。







 迎えた四月――卯月の初日に、才霞は王候補として、花守・翔理を伴い王城の分厚い扉をくぐった。


 二人を出迎えたのは、幾ばくかの兵士と才霞の身の回りの世話をするという侍女数人だった。以前のように、才霞たちに向かってくる兵はいない。既に才霞は、王華を持つ正式な王候補として周知されていた。


 まずは客間へと案内する。侍女のその申し出を断り、才霞は玉座の間へ向かうように命じた。侍女は困惑しつつも、手ぶらの才霞たちを見て承諾する。


 客間へ置いてくる荷物などない。廃棄区で生きてきた才霞たちにとって、持ちうるのは好み一つだ。他には何も、持っていない。


 絢爛豪華な装飾の施された洋風の城を進みながら、才霞は思う。

 これから一年――いや、長ければ一生を才霞たちは王城で過ごすことになる。


 もう、市井に戻ることは、ない。


 蝶番が擦れる重く苦しい音と共に、玉座の間が開く。


「待っていたよ、彩華」


 そこに居たのは、王候補・歳王杜岐。


 そして両壁に沿ってずらりと並ぶ、代々王家に仕える十二氏族の面々――その内の三十九人だった。


 才霞は進む。昨日と同じく玉座の前には小さな座卓と、その上に一つの山札が置かれていた。違うのは杜岐が上座ではなく、向かって左側に立って、才霞たちの到着を待っていることだった。


 才霞は杜岐の正面――玉座に向かって右側に立った。

 互いに椅子を引き、着席する。

 才霞の背後には翔理が、杜岐の背後には背の高い青年が控えた。


 長い白髪の神官が、上座に立つ。


「神無月が一位、父の楼高ろうこうに代わり此度の遊戯の進行を務めさせていただきます、神無月が二位、琉聖りゅうせいと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」


 十二氏族が一つ、神無月家の琉聖と名乗る神官は、眼鏡を掛けた神経質そうな男性だった。肘を肩の高さまで上げ、合わせた両手と共に神官・琉聖が礼をする。つられて頭を下げそうになり、才霞は踏み留まる。杜岐は微動だにしなかった。


「これより、王選定のための『華遊び』について、ルールの確認をいたします」


 その宣言に、空気がピリッと引き締まった。


「ルールは『ありあり』、期間は十二月になります。双方、異議はありませんか?」


 神官・琉聖が杜岐を見て、才霞を見て、先に杜岐が応える。


「ないよ」

「一つ質問いいかしら」


 才霞は小さく手を上げた。


「どうぞ、彩華様」


 神官が彩華を呼ぶ。才霞が彩華であると疑ってすらいない声音に、才霞は身体の奥がぐにゃりと動くのを感じる。


「水無月家は翔理一人しかいないわ。合札が絶対にできない。でも現状、ゲームから除外されてはいないわ。その場合、翔理は永遠にわたしの手札に残ってしまうの?」


 琉聖は事務的に回答する。


「女神の御名の元に、特例を定めることができます。除外なり、別の扱いを王候補の間で合意なさいませ」


「除外はしないわ」


 迷うことなく才霞は選択した。

 水無月翔理は、彩華才霞の騎士だ。何があっても、手放すなどあり得ない。


 翔理は、才霞を守るのだ。


 そんな才霞を見て、杜岐はふむと考え込む。


「じゃあこういうのはどうかな。最初から彼を取り札として扱う代わりに、君は一枚手札を減らした状態でスタートするというのは」


 座卓に頬杖を突いて、にこりと。妙案だとばかりに笑む杜岐に、才霞は少しだけ虚を突かれた。


 瞬時に思考を巡らす。


「……それだとあなたは、十二月全部を通して、水無月の一位である翔理を取れないことになるわ」


 逆に才霞は、これから行われる十二回の勝負全てにおいて、常に水無月の一位〈牡丹に蝶〉の札を獲得できる。それは大きなアドバンテージだ。


「構わないの?」

「構わないよ」


 言葉に詰まる才霞を前に、杜岐は分かっていると言わんばかりに、頷く。変わらず、微笑を浮かべたまま。


「よろしいでしょうか、杜岐様、彩華様」


 異議を唱える声はない。

 琉聖がしかと頷いた。


「それではお二方とも、お手を札にかざして下さい」


 その指示に従い、互いに右手を卓上の札にかざす。


 胸の王華が、じんわりと熱を帯びた気がした。それに呼応するように、花の女神の力が宿った特殊な札の山が、微かな光を帯びる。


「我、歳王杜岐は、王華を以て、王位を望む」

「我、歳王彩華は、王華を以て、王位を望む」


 鳴り響くのは、鐘の音一つ――一月目の始まりを告げる音。


「これより、花の女神の盟約の元、『華遊び』を開始いたします」


 そうして、王を決めるための遊戯が始まる。


 華遊び――別名『ひと花札はなふだ』。


 かつて花の女神が遊んだという、人を札に見立て取り合うゲームが

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