第4話 一月目〈睦月〉:否である!

 人花札と呼ばれるように、華遊びの基本ルールは倭籐国わとうこくの伝統的な遊戯『花札』と同じだ。というよりも、順番で言えば、女神が他の神々と興じていた『華遊び』が先にあり、それを元に生まれ、人々の間に浸透したのが、『花札』である。


 才霞たちはまず、卓上に三枚の札を並べて伏せ、互いに一枚の札を選んだ。先手後手を決める『親決め』だ。選んだ札の月が早いほうが先手となる。


「僕が先手みたいだね」

「…………」


 一月札をひらりと翻す杜岐に、才霞は笑み一つ零さなかった。


 次に、双方の手札と場に、それぞれ八枚、計二十四枚を配った。これは進行役の神官・琉聖が行った。ただし配る前に、それぞれの『花守』に対応した札は、配る前に必ず手札に加えておく。これが華遊び特殊ルールの一つだ。


 彩華の花守は、六月の一位〈牡丹に蝶〉を司る、水無月翔理。対する杜岐の花守は、一月の一位〈松に鶴〉を司る、睦月舜夜しゅんやという青年だった。杜岐の背後に控える長身の青年。仕える主に合わせてしつらえているのだろうか。伝統的な倭装束が似合っていた。


 才霞は手元の札立に、配られた手札七枚を並べた。


 花守は王華所持者の専属騎士のことを指す。王華所持者という花を守る、絶対の盾であり、剣。翔理が絶対に才霞の味方であるように、舜夜は絶対に杜岐の味方だ。場に出されたとて、〈松に鶴〉が取れないことは確定事項。それに応じた戦略を考えなければいけない。


 ――ゲーム開始。


 花札は、十二月に分けられた四十八枚の絵札を揃えていくゲームだ。


 互いの順が巡る度に手札を一枚選び、場札に同じ月があった場合、合札として取得することが出来る。手札を出した後は山札を一枚捲り、これも場札に同じ月があれば、合札として取得できる。


 そうして札を取り合い、先に役を完成させた方が、役に応じた点数を取得する。

 それを繰り返すこと、十二回――十二月分。合計点が高かった方が、勝者となる。


 それが一般的な、花札のルール。


 ただしこれは、『人』花札だ。



 ――一巡目。先手・杜岐の番。


「神無月の三位にて、二位を取る」


 杜岐はまず〈紅葉のカス〉で〈紅葉に青短〉を取得することを選んだ。


 神無月の二位は、このゲームの進行役でもある神官、神無月琉聖だ。

 琉聖は見上げる杜岐に向かって、静かに頷き返した。


「是であります」


 その返事を受けて、杜岐は札を取る。合札となった二人が、杜岐の背後の壁際に立つ。


 そう――華遊びはただの花札ではない。


 札に意志がある。取られる札が、「是」か「否」を選ぶことができるのだ。


 杜岐が山札を一枚捲る。現れたのは、めくりは葉月の一位〈芒に月〉だった。強い。

 じっと盤面を見つめる才霞に、ニコと杜岐が口元を綻ばせる。


「長月の二位にて、三位を取得」


 才霞は淡々と宣言した。


「是」


 一音で応じたのは年若い青年だった。おそらく神官の琉聖と同じか、それより少し若いぐらい。金の髪と青い瞳が特徴的で、異国の地を感じさせた。


 確か長月は、外交官の一族だったか。


 頭の片隅でそんなことを考えながら、才霞は山札を捲った。出た札で文月の一位二位、猪と赤短を取得する。翔理は水無月の一位〈牡丹に蝶〉だ。猪鹿蝶という役が狙えるいい捲りだった。


 合札となった人たちが、才霞の後ろ側に移動する。その途中だった。


「久しいのう! 翔理!」


 白髪のひげ面に、筋骨隆々とした身体。背には身の丈ほどもある大剣。熊のような壮年男性が翔理に歩み寄り、その背をバシバシと勢いよく叩き始めた。


 相当な力なのか、翔理の細身が揺れる。

 突然のことに、才霞は目を丸くした。


 その視線の先で、息が詰まったのか、翔理がごほごほとむせ込んだ。

 すまんすまんと、これまた豪快に武人が笑う。


「大丈夫か、翔理。随分細っこく育ちおって」

「……えぇ、なんとか。相変わらずの馬鹿力ですね。雷公らいこう将軍、お久しぶりです」


 なんとか呼吸を整えた翔理が、武人――雷公将軍に向き直り、胸に手を当てて騎士の礼をした。


「そんな他人行儀な呼び方せんでも! 昔のように師匠~と読んでくれてええんじゃぞ!」

「……師匠とは呼びましたが、そんな気持ち悪い呼び方はしておりません。いい年して唇を尖らせないで下さい、気色悪い」


 まるで子供のように憤慨する雷公将軍を、翔理冷たくあしらう。ガッハッハとこれまた豪快に笑って、将軍は翔理の肩を抱いた。


 知り合いなの。喉元まで込み上げてきた疑問を、才霞は飲み込んだ。


 雷公将軍――名を、文月威鳴たけなり。武を司る文月の第一位にして、和藤国の将軍。その一撃は風を切り、雷のような音を轟かせることから付いた名が、雷公。王国一の武人と名高い人物だった。


 将軍は無表情のまま呆然と目を瞬かせる才霞に気付くと、翔理の肩を放して、才霞の前に傅いた。


「姫様もお久しゅうございます」

「……えぇ、久しぶりね」


 本当ははじめましてなのだけれど。

 余計な質問をしなくてよかったと思いながら、才霞は応じる。


「その節は御身をお守りすることができず、誠に申し訳なく。御身が無事であったこと、心から喜ばしく思います」


 それ以上下げたら、背骨が折れてしまうのではないか。そう心配になるほどに、将軍は頭を下げる。才霞なんてすっぽり隠れてしまいそうな大きな背が、やけに小さく見えた。


「いいのよ、わたしは今ここにいるのだから。顔を上げて」


 嘘ではなかった。


 彩華が城を追われたから才霞は才霞になれて、今ここにいる。

 ハッと小さく返事をし、将軍が立ち上がる。それから再び、翔理と肩を組んだ。一方的に。


「にしても生きておったなら、連絡の一つでも寄越せばいいものを。水くさいのう」

「……色々あったんですよ、色々」

「雷公将軍」


 渋面を作る雷公将軍に、涼やかな声が掛けられる。

 見れば杜岐が、相変わらずの穏やかな笑みでこちらを見ていた。


「君と翔理は師弟。積もる話もあるだろうけど、その辺りで」


 それに、と付け加えて、自身の背後に控える騎士を見る。


「兄弟子の舜夜も、混ざりたいだろうから」


 くすりと笑う。そんな主に、伝統的な倭装をした青年は、沈黙を返した。杜岐がふふ、と楽しげな笑みを零す。


「おぉこれはこれは、申し訳ありませぬ、杜岐様。つい嬉しくなってしもうて。ではまた後ほどな、翔理」


 そう言って将軍は翔理の頭を一撫でし、取り札として壁際に並ぶ。翔理は憮然とした面持ちで、乱れた髪を括り直した。


「さて、では続きといこう」


 杜岐、才霞、それからまた杜岐、才霞と順調に試合は進んで行く。


 ただただ黙々と、二人は札を取り合う。否と答える者はいなかった。まだ一月目。みな、様子を窺っているのだ。


 華遊びは、一年を掛けて行われる王選定の遊戯だ。その特殊なルールの一つに、一年十二ヶ月をかけて行うというものがある。


 十二月それぞれの一日から始まり、一月目の試合が終わっても、次の試合は翌月になるまで開催できない。神々は日毎に互いの順番を切り替え、一年をかけて勝負を行った――そんな逸話が由来の一つだが、試合に余白を設けるのには、もう一つ合理的な理由がある。



 ――四巡目。再び先手・杜岐の番。

 ここで試合が動いた。


「〈桐に鳳凰〉。三光だ」


 杜岐が〈芒に月〉〈松に鶴〉〈桐に鳳凰〉を揃え、役を完成させた。杜岐に十点が加算される――はずだった。


「こいこい」


 あまりにも予想外の一言に、才霞は思わず顔を上げた。その視線に気付いた杜岐が笑みを深め、才霞はふいと視線を逸らしてしまう。


『こいこい』とはそこで勝負を終わらせず、試合を続行することを意味する宣言だ。追加で役を作れれば得点が倍になる。ただし相手が先に役を完成させれば、自身の得点はゼロとなり、相手の得点が倍になる。


 要は、ある種の博打ギャンブルだ。


「主……」


 杜岐の背後に控えていた従者の青年――確か舜夜と言ったか――が苦言を呈するように杜岐を呼ぶ。杜岐はカラカラと笑った。


「まぁいいじゃないか。まだ勝負は始まったばかりなんだ」


 花札において、十点は十分に高得点の部類だ。だというのに強気にこいこいとは、先に役を作れる自身があるのか、あるいはただ遊んでいるだけなのか――


 読めない腹の内を探りながら、才霞は札を出す。

 一月目のこの試合、まだ才霞の手は尽きていない。



 ――四巡目、後手・才霞の番。

 卯月の一位札〈藤に不如帰ほととぎす〉を出し、才霞は四位のカスを取ることを選択した。


「否である!」


 しかしその瞬間、舌っ足らずな幼い声が玉座の間に響き渡った。

 才霞は声の方へ、ゆるりと首を回す。


 小さな女の子だった。


 淡い藤色の髪を二つにくくった少女が、控えの列からぴょんっと一歩、跳ねるように前へ飛び出す。そして玉座の間の中央から、才霞の傍に控える翔理にビシリと指を突きつけて、はっきりと宣言した。


「否である!」

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