第2話 復讐を始めましょう

 薄暮を迎えた王都の大通りは、喧騒で満ちていた。


 仕事を終えた人々は家路を急ぎ、あるいは建ち並ぶ飯屋に一杯を求めて吸い込まれるように消えていく。道端に並ぶ屋台からは食欲を刺激する芳しい香りが漂い、路地裏からは人慣れしすぎた野良猫がそのおこぼれに預かろうと、虎視眈々と機会を窺っている。


 そんな雑踏の中を、銀灰色の少女が歩いていた。


「姫」


 ともすれば、行き交う人々の波に呑まれてしまいそうな。そんな頼りない少女の背に、呼び声がかかる。けれど少女に気付いた様子はなく、足が止まる気配もない。


「姫様」


 再度投げかけられる声。けれどやはり、少女は気付かない。

 はぁ、と溜息一つ。


「おい、才霞」


 三度。今度はどこか苛立たしげに呼ばれ、少女――才霞はようやく振り返った。


「どうしたの? 翔理」


 驚くこともなく、ただ不思議そうに。

 表情一つ変えず小首を傾げた才霞に、一歩後ろに控えていた翔理は大きく溜息をついた。


「あのな……どうしたのじゃないだろ、『姫様』」


 改めてそう呼ぶ翔理に、才霞は「あ……」と気付く。


 ――そうだ。今日からはわたしが『姫様』だった。


「えと……ごめんなさい、翔理。その、まだ呼ばれ慣れてなくて」


 姫様という、『彼女』を指していたその呼び方に。

 言葉に迷いながらも暗にそう告げると、翔理は小さく嘆息する。


「慣れてくれなきゃ困る。これからはあんたが俺の『姫様』なんだから」


 その言葉に、才霞は場違いながらも心臓が高鳴るのを感じた。

 こういう時、簡単には動いてくれない自身の表情筋に、少しだけ感謝する。


「いい。これから慣れていけば」


 雑踏に流されるように歩き出す翔理の隣に並んで、才霞もまた歩みを再開させた。


 ――やっぱり、この立ち位置のほうが落ち着く。


 刻々と夕闇が迫る王都は騒がしく、才霞と翔理――次代の王候補とその騎士の存在を気に留める人はいない。


「わたし、上手く『彩華』になれていたかしら」


 前を見たまま、ぽつりと尋ねる。その問いに、翔理もまた才霞を見ずに応える。


「上々だろ。少なくとも気付いた奴はいなかった」


 彩華の花守であった翔理がいうのだから、きっと間違いではない。

 その一言に、才霞はホッと胸を撫で下ろしながら数刻前のことを思い出していた。







「王華を以て、我、『さいか』は歳王杜岐に対し、華遊びを所望する」


 厳正なる国王選定の儀に現れた闖入者の宣言に、玉座の間は一瞬で色めき立った。


 ――まさか。

 ――死んだはずでは。


 天窓から柔らかな陽光が降り注ぐ空間に、耳障りなざわめきが反響する。


 突き刺さるのは、好奇と疑いの視線。斜め後ろに控える翔理が、不快そうに眉を顰めた。


 才霞は表情一つ変えず、身じろぎ一つせず。その場に佇んだまま、その様子を視界の端で捉えていた。


 まるで針のむしろね、なんて、心のどこかで他人事のように思う。

 そんな時だった。


「みな、静かに」


 響いた穏やかな声に、玉座の間が静まり返った。まるで波が引いていくかのようだった。


 見れば椅子を倒して立ち上がった青年が、座卓の向こうから回り込んで、前に進み出てきていた。


「本当に、彩華?」


 緩く弧を描いた唇から発せられたのは、意外にも平坦な声だった。少なくとも、先程の垣間見えた驚愕や動揺といった感情は、表情や声色から読み取れない。


 平静で、淡々とした問いかけ。

 そして探るような視線だった。


 これが歳王杜岐――先王の長子。文武両道で人当たりも良く、次代の王の最有力候補。しかし一方で、その奔放な性格から快く思わない臣下も少なくない。


 またの名を、『道楽王子』。


 初めて見た彩華の従兄弟は、華のある青年だった。


 歳は十七。歳の頃は才霞と彩華の一つ上で、翔理の一つ下。才霞たちによく似た銀の髪に、目にも鮮やかな黄緑の瞳。人目を引く容姿だが、それよりも右目を覆う黒の眼帯に目が行く。その下に何が隠されているのか――残念ながら事前に頭に叩き込んだ情報の中にはない。


「えぇ、そうよ」


 その二つ名から聞いていた噂とは違って、随分と落ち着いて見える。そんな第一印象を抱きながら、才霞は胸元にそっと手を当てた。そこにある一輪の白椿の痣を見せつけるように。


 王華。


 それは王族の身体のどこかに現れる、花模様の痣。遙かな昔、この倭藤国を作った建国の父と、彼に力を貸し与えたとされる花の女神の契約の証だ。


 建国よりおよそ千年。時が移ろい、血は薄まれど、彼の女神が与えたとされる力は今日に至るまで子々孫々と受け継がれ、王族は身体のどこかに王華を宿して生まれてくる。


 故に王華は、国を統べるに相応しい資質がある――王足る資格があると認められた証だとされる。


 逆に言えば、王華を宿してなければ、王族とは認められないという風習さえあるほどに。


 才霞の胸に咲く白椿の花。

 それは確かに、かつて才霞の胸に咲き誇っていたものだった。


 白銀の髪に瞳。そして王華。彩華であることを示すこれ以上ない証に、再び小さなどよめきが起こる。


 そうよ、と才霞は湧き上がる激情に内心で頷き、杜岐を見据える。


「歳王杜岐。あなたの玉座を確かなものにするために、十年前、あなたを支持する臣下に命を狙われ城を追われた、歳王彩華よ」


 一息に紡がれたその怨嗟の言葉に、杜岐がぐっと息を呑んだ。それから静かに、口を開いた。


「……随分と印象が変わったね、彩華」

「そうね。色々あったから」

「……お母上は?」

「死んだわ」


 躊躇いなく答えた。


「冬の流行病で。もう八年も前になるわ」


 隠すことでもなかった。彼女が死んだのは事実だ。きっと彩華も、才霞と同じように平然と答えただろう。


 十年前、歳王彩華は城を追われた。


 亡き王弟の娘。先王の姪。

 彩華は幼い頃から聡明だった。しかしその聡明さ故に、杜岐の王位を危ぶんだ一部の臣下たちが暴挙に出て、彩華を亡き者にしようとした。


 結果として、王弟一家に仕えていた水無月家は、翔理を除いて死亡した。そしてその二年後、彩華の母も病没した。


 残ったのは彩華と翔理。たった二人だった。


「それは大変だったね」


 杜岐は呟いた。憐憫も同情も感じられない、乾いた声だった。


「そうね、大変だったわ。市井は」


 才霞もまた、同じように応えた。


 そんな才霞を見て、杜岐は少しだけ首を傾げた。口元には、代わらぬ緩やかな笑みが浮かんでいた。


「目的は、復讐?」

「そう尋ねるだけの自覚は、あるのね」


 怒りに声を荒げるわけでもなく、嘲笑を浮かべるわけでもなく才霞は返した。

 そうだね、と。やはり杜岐は平然と言った。


「君がこの国を恨まない理由の方がないからね」


 その一言で、理解した。

 杜岐は、どうして彩華が国を欲しいのか、理解していると。


 理解した上で、平然と言える。それが歳王杜岐という男だった。


「杜岐」


 才霞は彼を見据えて、その名を呼んだ。才霞で居れば一生相見えることすらなかった人の名を呼ぶのは、少しだけ変な感じがした。


「わたしは、この国を許さないわ。わたしを城から追放した人たちを、翔理の家族を殺した人たちを、母を見殺しにしたこの国を」


 彩華を死に追いやった、全てを。



 ――許さない。



「だからわたしは、王になるわ」


 どこかたどたどしく、舌っ足らずに。それでも才霞は言葉を紡ぐ。

 それが、才霞の演じる歳王彩華だ。


「だから――杜岐」


 ゴォーンと、低く深く、鐘が鳴る。

 四十八番目の鐘の音。その余韻が消え去った瞬間、卓上に置かれた札の山と、杜岐の首筋の王華、そして才霞の胸元の王華が一際大きく輝いた。


 光は僅かな燐光を残し、後には静寂だけが残る。

 ここに、役者は揃った。


「始めましょう。王を決める、神の遊戯を」


 才霞は彩華の身代わりとして王になり、全てに復讐する。

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