第32話 敵達の思惑

 「…特に理由はない…としか…」


 「な…ん…!!」


アオキの返答は完全に挑発としか思えなかった。あまりにも配慮に欠けた言葉であり、アオキとヒマワリを取り巻く空気をひやりとしたものに変わる。俺は無い筈の背筋が凍り付く感覚を味わった。


 (ヤバい…!!)


ヒマワリはマスク越しでもはっきりわかるくらい表情を歪め、そして矢の暴発を防ぐ留め金を外し、引き金に指をかける。


 「何の理由も無かっただと…?なら…私がお前を!今ここで…ただムカついたってだけで殺しても…何の文句もないわよね…!!」


先ほどまでの激昂の叫びから打って変わってヒマワリの声は氷のように冷たく鋭くなっており、それが逆に彼女の殺意が確かなことを示していた。そして彼女は引き金に指をかける。


 「やめろ!!ヒマワ…」


俺はヒマワリを制止すべく彼女のもとへ向かうが間に合わず、バシンという鋭い音と共に矢が放たれた。


 「ハア…ハア…」


彼女は激情を抑え込むように荒い息をし肩をがっくりと落とす。矢を放った弩がするりと手から離れ、ささくれたアスファルトに音を立てて落ちる。


 「私は…お前らみたいな外道にはならない…人の命を…なんとも思わないような…そんな外道には…」


矢はアオキの僅かに右側のアスファルトに突き刺さっていた。彼女は寸でのところで殺人者にはならなかったのだ。そんな様子をヤマブキは涼しい顔で見ている。多分弾道計算とかでヒマワリが外すことがわかっていたのだろう。


 「私が何故政府を裏切ったのか説明していなかったな」


周囲に漂う重苦しい静寂を切り裂くように、アオキは何かを悟ったような静かな語り口で語りだした


 「私はもうこんな意味のないことを続けたくなかった。だから裏切ることにしたのだ。」


アオキは深いため息とともに続きを話す。


 「巨大ドローンが家屋を解体してもこの国の国民は幸せにならない、まして地球環境が改善することはない。何故このような無駄なことをするか?それは無駄であったほうが我々に都合がいいのだ」


 「無駄のほうがいいだと?」


 「我々のサラリーは税金から支払われているということは知っているな?」


 「税金から支払われるなら何だっていうんだ?」


 「人は基本的に他人を何かを与えることよって対価を得る。その何かとは物品かもしれないし行いかもしれない。そしてその対価がどれくらいであるかを決定するのは市場だ。与えるものに価値があれば対価は上がりそうでなければ対価は下がる。誰も必要としないものは淘汰されるが、それが健全な資本主義というものだ」


アオキは再びため息をついた、こんなことを説明しなければならないことを嘆いているように。


 「だが、税は違う。税とは権力者による“金を支払え”という命令。必要のないものを供給しても対価を得ることができる」


 「それは、市場原理では解決しない問題があるからだろう?どんなに治安がよくったって警察は必要なはずだ。そういう必要なことに対して皆で負担するのはおかしなことでは無いだろう?」


アオキは皮肉ったようないじわるな笑みを返すとこう答えた。


 「“必要”か…その“必要”が本当に対価を払う価値があるかを誰どのように決めている?」


 「そ…それは…政府の偉い人とか専門家とかが話し合って決めてるんじゃないのか?」


俺はなんだか怪しげな含みを持つアオキに気おされながらも何とか答える。


 「ならば…その政府の偉い人や専門家が全く意味のないことに最もらしい理屈をつけて“必要”をでっち上げれば、彼らはいくらでも対価を得られるのではないか?」


 「なっ…そんな横暴!?常識的に考えて通るわけ無いだろう!」


アオキは口を歪めさらに凄惨な笑みを浮かべるとこう答えた。


 「クサマキ・ケンジロウ…我々役人にとって優秀な人材とはな、“問題を上手く解決する人材”ではなく“問題を上手く作り出す人材”なのだ。そうやって我々は予算を確保し、出世する。我々はそうやって食っている、そうやってしか食っていけない」


つまりアオキのような人間はその横暴を通す“プロ”だと?


 「ふふふっふ…ははははは…そうか…そういうことだったのね…」


突然の笑い声に驚くと、その声の主はパンジーさんだった。安全な場所で隠れていたはずのパンジーさんは気のふれた様な笑い声をあげながらゆらりとゆらりと不安定にこちらに歩み寄る。そんな様子のパンジーさんの後を困惑した様子でウルシノとウラジロさんが続く「済まねえ、止めようとしたんだが」と付け加えながら。


 「アタシが、活動家として仲間たちを救うために通した法案…結果的には仲間たちを傷つけてしまったのに…改められることがなかった…誰も取り合ってくれなかったのは…ふふふ…最初からそうなるって知ってたのね?」


パンジーさんはまるで壊れた笑い袋のように乾いた笑いを浮かべて言う。


 「その通りだ、性的少数者差別禁止法が当事者を救うことがないことなど最初からわかっていた。むしろ傷つける可能性すら考慮していた。だからこそ推奨された。傷ついた人が増えるならそれを救う名目でされなる予算とポストを得ることができる。我々にとっては最もコストパフォーマンスの良いやり方だ。民間ならばいずれ市場原理に淘汰されるが我々は違う。予算が足りなくなれば増税すればいい」


“問題を上手く作り出す”こうやって金を集め地位を得ていると?だが…


 「だが…そんな、不誠実なことをしていたら…政治家もかかわっていたんだろう?彼らは選挙に落ちてしまうはずだ。そうやって落選させればいずれ改めざるを得ない…だろ?」


パンジーはそんな俺の指摘に肩をがっくりと落とし地面にうなだれながら答える。


 「選挙には落ちないわ…だって私たち援助を口実に補助金をもらってるんだから。それ目当てにまた投票するわよ」


 「補助金は良い…多くを得ることができる。分配するためのポストも予算も…それ以上に…奪ったものを僅かに返しているだけなのに、有難がる。そうやって人々は自ら望んで財産権を放棄し支配される。実によくできたシステムだ」


 「だってしょうがないでしょう…ただでさえ生活が苦しいのよ…でもそれが増税でさらに苦しくなって…うううぅ…アタシは…アタシたちはバカだった…」


涙をぼろぼろと流しながら絞り出すように言う、まるで後悔と絶望があふれ出しているようだった。


 「それで、あんたはいったい何がしたいのよ?情報をリークしたり、ヘイト買うような発言したり。わざわざ名古屋くんだりにまで出向いてきて、罪を償う為に殺されにでも来たの?」


重苦しい雰囲気を切り裂くようにヤマブキがぶっきらぼうに尋ねた。それを聞いてうなだれていたヒマワリがピクリと肩を震わせた。返答次第ではさっきの続きが始まってしまうかもしれない。


 「私はお前たちにこのシステムを破壊してほしいのだ」


 「は!反政府のテロリストにでもなれって?」


アオキはヤマブキの言葉に首を振る。


 「暴力では解決できない。暴力で権力を簒奪したものは必ずこの構造を継承する」


 「ならば?」


 「我らを飢えさせろ!さすれば我らは互いに食らいあう」


 「飢えさせる?」


 「それは徴税権の剥奪。すなわち減税をしろということですか?」


俺の疑問に答えるようにフリダヤがアオキに尋ねた。


 「その通りだ。クサマキ・ケンジロウの肉体を巡るこの騒動に我々環境省が介入したのは、厚労省に対して優位に立とうとしたため。そしてその目的は厚労省から予算を奪うためだ。我々統治機構の飢えには限りがなく。同じ釜の飯を食った仲間さえその牙にかける。ならば今以上に飢えさせれば互いに食らいあい自壊する」


 「自壊するっていうのは?」


いかに政府が問題あるとは言え国そのものが壊れてしまうのは問題だ。


 「統治機構が支配力を行使するための法や規制を維持することができなくなり、それらが改廃される。それらに紐づいている政府系組織は解体。結果統治機構は影響力を縮減させ、支配力を失い今までのような横暴ができなくなる。自由や幸福はその先にしかない。そして…」


アオキは天を仰ぎ見る。


 「私は統治機構の中で人の魂が腐っていく様を何度も見てきた、私自身の魂も含めて。私はこの構造を破壊できるのは統治機構の内部の人間では無いと悟った。我々にとって必要なのは味方ではなく共存可能な敵なのだ」


 「必要なのは味方ではなく“敵”」


アオキは俺たちを見据える。


 「私はお前たちが相応しい“敵”かを見極めるためにここに来た」


 「それで?お眼鏡にはかないましたか?」


ヤマブキが皮肉っぽく言った。


 「まずまずといったところだ。少なくとも暴力を肯定する者たちではないことがわかった。私はお前たちの目論見が達成される事を望む。それがこの構造を破壊する一歩になるころを祈ろう」


アオキはそういって霞が関へ帰って行った。


 「…最後まで偉そうなやつだったわね…」


ヒマワリは去るアオキを見てそうつぶやいた。


俺にとっては敵でヒマワリにとっては仇でパンジーさんとも因縁のある奴だったが、俺個人としては嫌いになれない人だったな。


しかし、なんとも大きな話になってしまった。最初は俺とヤクザ屋さんのいざこざだと思っていたのに、国家レベルの問題になってしまったぞ、それに…


とりあえずアオキが嘘をついていないことが分かったが、これからどうしようか?皆話の余韻に浸っているのか何も行動をしようとしない。仕方がないここは…


 「あー…とりあえず、五日後に備えて皆で飯でも食う?俺、いいと所とか知らないけど、もしよかったらパンジーさんの店いくとかさぁ…」


俺の発言に一瞬重苦し空気が流れたが、ヤマブキがその巨体をむくりと動かしこちらに向き直る。


 「それもいいわね、でもその前にやることがある」


ヤマブキのその発言に呼応するようにウラジロさんが俺の背後に回る。まるで逃がさないように取り囲んでるみたいだ。


 「な…なんだよ」


 「フリダヤを連れて行くことはできない。獣が目覚める前に封じ込まなくては」

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