第25話 冷たい墓所
「クサマキ・ケンジロウ…そうだ思い出した…」
今まで混乱状態であった箱の中の脳が初めて明瞭な発言をした。クサマキの義体とのリンクで一部始終を見ていたらしい。一度に沢山のことが起こりすぎて混乱する一同をよそに彼女は続ける。
「…彼を目覚めさせたのは私…なぜなら」
「え?」
「クサマキ・ケンジロウが体を取り戻すとき、人々がこの息苦しい世界から解放される」
箱の中の脳が突然奇妙なことを語りだした。俺が体を取り戻すと人々が解放される?意味が解らない何の関係がある?
「じゃあ、あの論文に書いてあったことは本当なの?特定遺伝子製剤製造規制法違反を回避して民生デイ・プレイグ抗ウイルス剤を製造することが可能だと?」
混乱する俺をよそにヤマブキが尋ねた。どうやら彼女は事情を知っているらしい。
「そう、クサマキ・ケンジロウの心臓とその意思が揃えば可能。現行法の改正を待つ必要は無い」
三つの大きな影の一つが老人の声で言った。影はやがて明瞭な像を結ぶ。果たしてそれは三つの能面だった。それぞれ老人、少年、女性の形をしている。
「統治機構の頸木を離れ自分の意志と能力で自分の生命と健康を守ることが出来る」
少年の面が、少年の声で言う。
「だから私が彼を目覚めさせた」
箱の中の脳が少年面に答えた。
「あんたが俺を…?俺の心臓があればってどういうことだ?っていうかアンタ何者だ?そこのお前たちも」
どうやら自分は話の中心のようだが全くついていけない。そもそも会話の面子が誰なのかさえ一切謎だ。
「私の名はモモイ、かつてここ名古屋の地下で医師をしていた女」
そう言うと箱の中の脳が語りだした。
私が医師として働いていたのは、愛知県でも有数の医療施設。私はその日も“冷安室”に保存されている“患者”に異常が無いか点検する作業を行っていた。
“冷安室”の暗く細い廊下を私は歩く。明かりは無い、フラッシュライトで足元を照らしながら、先を目指す。最奥にたどり着くと私は壁面に手をかざした。壁面には“小窓”のようなものが等間隔で縦横に並んでおり、私が手をかざすとそこからホログラムが表示された。
[名前:山本正 年齢:31歳 保存開始年月日:2056/3/29‥‥]
「山本さん異常なし…」
私は誰に聞かせるでもなく呟くと、職場支給の端末から表示されたチェックリストに「済」を入れてゆく。内容は殆ど読んでいない、どうせ常に“異常なし”なのだから。
ここ“冷安室”はクライオニクスを受けて冷凍保存されている患者が眠り続ける場所だ。壁面には患者を収める冷凍カプセルが埋め込められており、“小窓”一つ一つが対応するカプセルの情報を閲覧するための端末になっている。保存されている“患者”に異常が無いか点検するのが私の仕事だ。極低温保存によって生命活動が停止した患者に容体が変化することなどありえないが、患者であることは変わりないので一応、医師か看護師が割り当てられている。
「ケホ…」
ここ“冷安室”が冷えるせいか私は小さく咳込んだ。“小窓”一つから情報を表示する。カプセルには5歳の男の子が保存されていた。保存された年は2055年、きっと彼の両親は既に他界しているだろう。
ここで保存されている患者の中には既に患った病の治療法が確立されているものも多い。にも拘わらず目覚めさせることなく放置されている。引き取り手がいないのだ。目覚めさせる権利を持っているのは彼らの親族のみだが、ここまで時代が離れてしまうともはや他人だ。ただでさえ経済苦で生活が苦しいのに自分から縁遠い血縁者の世話をしたがる者なんていなかった。
ここは、目覚めさせる決断も殺す覚悟も出来ず、只々現状を留保し続けるだけの施設。技術を開発した企業は採算が合わぬとわかると即座に国に売却、今では政府外郭団体が公金をせしめる口実になっている。
いつもの様に午前中のうちに仕事を終え、施設の一角にあるオフィスに移動した。何もないことを確認するだけの仕事なのですぐ終わる。もう一日やることが無いのだがフルタイムで働くことになっているので定時まで時間を潰さなければならない。適当に動画でも見て時間を潰すのが常だが、この日は月一で申請しなければいけないデイ・プレイグ抗ウイルス剤の申請フォームを記入することにした。
「ケホ…」
もう寒い冷安室を出て暖かい部屋に居るのに咳が止まらない、それに何だか熱っぽい。私は備え付けのオムニプリンターを操作し、市販の解熱剤を購入し出力すると服用した。今日は体調不良を理由に早退しようか?そう一瞬迷ったが、入力フォームを書ききることにした。
「…」
煩雑な入力作業を進めていると「何でこんな事やらなくちゃならないのだろう」という感覚が去来する。
(市販薬と同じように好きにオムニプリンターから出力できればこんな面倒なこと…)
デイ・プレイグ関連の薬品は特定遺伝子製剤製造規制法により厚生労働省直轄の政府機関経由でしか入手できない。使用されているレトロウイルスの遺伝情報は公的機関が管理すべきという名目だ。申請すれば無料で入手出来るとはいえ、必要な時に必要なだけ手に入るわけでは無いので、常に過不足や無駄が問題になっている。
その時私はあることを閃いた、いやこれは魔が差したというのだろう。
(例のレトロウイルスの遺伝情報、ウチの患者の中に残ってたりして。)
私は書きかけの入力フォームをよそに件のレトロウイルスの名称でクライオニクスを受けた患者の治療記録を検索する。
「あ…」
それはあっさり見つかった。2043年、心臓の難病が原因で冷凍保存された男性「クサマキ・ケンジロウ」。件のレトロウイルスを用いた遺伝子導入が行われたことを示す治療記録が表示される。当時の技術では治療することができなかった為やむなくクライオニクスで未来に希望を託したようだ。だが、現在では治療が可能な疾患に過ぎない。彼もまた忘れられた人間の一人。
「でも…これって…」
私は特定遺伝子製剤製造規制法の条文を検索し確認した。そこにははっきりと「特定の“病原体”の遺伝子情報」と記載されている。そう、この法律は“病原体”の遺伝子の使用のみ禁止しているのだ、“人”の遺伝情報の使用は禁止されていない。
レトロウイルスは自身のゲノムを宿主のゲノムに挿入することによって、宿主の細胞小器官を借用し自身の複製を作り繁殖する。その性質を利用して特定の遺伝情報を人の細胞に送り込み、遺伝子が原因の病気を治療しようと言うのがこの治療法だ。つまり彼の細胞、この場合は心臓の組織の細胞の遺伝子にはデイ・プレイグの発作を抑え生命を救うことの出来る遺伝情報が保存されているという事である。彼自身の遺伝情報として。
(じゃあ、もし彼が目覚めて自分の遺伝情報の使用を許諾したら…作れてしまうと言うの“民生デイ・プレイグ抗ウイルス剤”が…!!)
デイ・プレイグ抗ウイルス剤の配給権の独占は厚労省の最も大きな利権だ、自分もかの省の政府外郭団体に身を置く身分として主に弓退くような行いは出来ない、出来ないが…
私は書きかけのフォームを見た、何のために書かなければならないのかわからないような煩雑なドキュメント。更にフォームを入力しても薬がすぐに手に入るわけでは無い、申請が受理されるのにまる一日以上かかる。人工知能に任せれば一瞬かつ正確に済ませられるはずだが、重要な作業の為人の手で行う必要があるとかで時間も精度も無駄だらけだ。そのせいで、必要な人の手には届かず、不要な人の手には余るというような理不尽な状況が横行している。もし民生デイ・プレイグ抗ウイルス剤があれば、さっき出力した解熱剤のように必要な時に必要なだけ必要な人が薬を手に入れることができるはず。そうすれば…
その考えに至った瞬間、眩暈がして腰かけていた椅子から転げ落ちそうになった。解熱剤で下がったはずの熱がぶり返して来たようだった。その日はもう仕事どころではなかった、体調不良を理由に家に帰ると自分の知りえてしまった重大な事実から逃避するようにベッドに突っ伏して、寝た。
明くる日にはもう熱はすっかり引いていた。だが、昨日知ってしまったことが頭から離れなず、私の意識を茫洋とさせた。心ここにあらずといった感じで患者の状態をチェックしていると件のクサマキの“棺”当たる。彼の状態を確認、いつも通り異常なし。これは裏返せば適切な処置さえすればいつでも彼を目覚めさせることができるという事。端末を操作してクサマキの面会記録を見る。直近の記録は勿論のこと冷凍された直後すらない、例の五歳の男の子は冷凍直後は両親が毎日のように来ていたのに。「クサマキ・ケンジロウ」は恐らく天涯孤独の身なのだ。当然、彼には目覚めを望む子孫はいない。恐らく、彼を目覚めさせる権利を持った人間はこの世にはいない。
(ならば…勝手に…)
そんな邪な考えを私は頭を振って打ち消した。自分が属する厚労省を裏切ることは出来ない、それにこれは違法だ。
(余計なことは忘れよう。私はクサマキ何て知らなかった、そういうことにしよう)
人は大きなものに寄り縋っていないと生きることはできないのだ。そう自分を納得させると、仕事に戻る為残りの患者のリストを見る。まだ半分以上残っているが、大した量ではない。この分なら何時もの様に午前中には全部終わるだろう。
自分は一体何をやっているのだろう?この先いつまでこんな無意味なことを続ければいい?
そんな思いが胸に去来した時、私はもう決断していた。
これをやるのは一人では不可能、協力者が必要だ。何か違法行為に精通した者に協力してもらわなければ。
(公金で運用される組織には反社会勢力が関わることが多いと聞く、それを利用できれば、後は…)
目覚めさせた後の彼の身柄を保証する人物が必要だ。反社会勢力に任せてはどうなるかわからない。その人物は信用ができ、医療かそうでなければサイバネ技術に明るい人間である必要がある。
(幼馴染で大学の同期のウラジロなら、きっと、きっと協力してくれる)
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