第16話  止葉の月

 アレックスが、自分の頭が回らない時によく利用するのが『マルーシュカ』なのだ。


 彼女は守秘義務の意味を十分に理解しているし、余計なことには口を出さない。一度見たことは忘れないし、洞察力がやたらと優れているし、自分にはない発想力も兼ね備えている。更には、誰もが結婚したいと乞い願うアレックスを前にしても感情を動かさない。美麗な顔にうっとりともしないし、なんなら嫌そうな表情を浮かべて眉を顰めるぐらいは普通に行う。


 忖度なしで意見を言ってもくれるので、アレックスとしてはかなり重宝している人物でもあるのだ。


「寝る準備が整った未婚の令嬢の部屋を急襲して、一体何を言い出すのかと思ったら、姉の検死報告書が出来たですか、そうですか」


 公爵夫人であるアレクシアとの晩餐を終え、入浴も済ませてあとは寝るだけといった様子のマルーシュカは、寝衣の上にショールを羽織っているだけの状態となっているけれど、アレックスに対して嫌味の一つも言いたかっただけなのだろう。自分の今の姿格好については全く頓着していないことをアレックスは知っている。


 姿勢を正して報告書を手に取ったマルーシュカは、姿勢を正したまま書類を読んでいる。その姿に違和感を覚えたアレックスが、怪訝な表情を浮かべながら問いかける。


「なんで背筋が伸びているんだ?」


 マルーシュカはマナーを捨てた。常に下働きの使用人と同じ仕事をしている彼女は、貴族の女性というよりは、平民と同等以下の態度でいた為に、書類を読む時には胡座をかくことだってあるし、膝を立てて肩肘をついていることもある。


 マナーゼロのマルーシュカが、令嬢のようにピンと背筋を伸ばして座っている。問いかけられたマルーシュカはつくづく嫌そうな表情を浮かべて言い出した。


「背中に棒が入っているからですよ」

「は?」

「背中に棒が入っているんです!」


 思わず立ち上がったアレックスがマルーシュカの背中の中央を触れてみると、確かに背中に棒が入っている。


「ぷっ」

 思わず噴き出して笑うと、

「笑いたいだけ笑えばいいんですよ!」

 と、胸を張ってマルーシュカは言い出した。


「アレクシア先生が私にマナーを教えてくださると言ってくれたんです。後々、平民となったとしても、商売をやるのであればマナーは必須。私はマナーを教えてもらえる、アレクシア先生は後々、公爵家に嫁に入る令嬢に教育を施す際の練習になる。先生は、私に対してお金まで払ってくれるって言うんですよ!棒の効果を短期間で発揮できれば銀貨一枚ですって!」


「ぷふふふふ」

「ちょっと!笑わないでくださいよ!」


 ちょっと覗いたところ、背中に入っているのは背中を掻くのに利用していると言っていた木の棒だった。後生大事に箱に入れて持ってきた木の棒が、こんなところで利用されているわけだ。


「お前、その木の棒が好き過ぎないか?どこにあった棒なんだ?」

「庭ですけどなにか?」


 もう堪えきれないと言った様子で、扉の前で控えていたブラームまで笑い出した。

 控えていた侍女は、

「お菓子を取ってまいります」

 と言って部屋の外に滑り出ているから、笑いを堪えることが出来なかったのかもしれない。



「気が散って仕方ないから、この木の棒は抜いていいか?」

「ええー?先生に寝る寸前まで木の棒は抜くなと言われたのに!」

「早く習得すれば銀貨一枚なんだろ?お前ならすぐに姿勢ぐらい習得出来るだろうに?」

「ええー〜?」


 そもそも七歳までは一応、それなりに、淑女教育は受けていたのだ。

 背中に手を突っ込んで木の棒を引き抜くと、途端にソファの上で胡座をかいたマルーシュカが栗色の髪を掻きむしり始めた。


「それでこそお前って感じがするな」

「それでこそって、どういうことなんですか?」


 マルーシュカが与えられた部屋は客間と寝室に分かれている、日当たりがとても良い二階にある部屋で、今は夜だから陽が差し込むことはないけれど、屋根には二人程度、警備の者が張り付いているはずだ。


 他国の王族が訪れた際に利用する部屋でもあるため、置かれた家具は最高級品。モダンでラグジュアリーなソファは特注品であり、ソファひとつで庶民の家一戸分の値段になるだろう。


 その高級ソファに胡座をかいて座っているマルーシュカは、

「それで?伯爵家のお嬢様が実際に妊娠していなかったとして、家族から相手にもされていなかった下働きの次女にアレックス様は何を問いかけたいのですか?」

 と、言い出したのだった。



      ◇◇◇



 アレックス様は自分の考えをまとめる際に、よく、私を利用する。

 市井絡みの案件の時には特に利用されることが多くって、相談料は一回につき、銀貨一枚を支払う約束が出来ている。


 アレックス様は銀貨一枚と、砂時計を鮮やかなタイルの装飾が施されたテーブルの上に置くと、砂時計を指先でひっくり返す。


 この砂時計は時間を計るものではなくて、周囲に防音の結界を施す魔道具の一つでもある。


 この世界には魔石を使った魔道具というものが存在するんだけど、この部屋にも幾つか似たような魔道具が設置されているんだよね。外敵の排除と身の安全を守るためのもので、古い、古いこの細工は百年以上前に施されたものなのだろう。


 公爵邸には幾つもこの細工が施されているのだけれど、この部屋は特に厳重に施されているので、公爵家に迎えた要人が泊まる部屋なんだろうなとは思っている。お菓子を取りに行った侍女さんはおそらく、話が終わるまでは帰って来ない。


 密談が出来る状況となったのを確認すると、アレックス様は今日までに分かったことと、自分の考えを話し出したのだが、どうやらアレックス様は、姉が取り巻きのうちの誰かと浮気をしていたのではないかと考えていたみたいね。


 私はテーブルの上に報告書を置くと、片膝を立て、頬杖をつきながら言い出した。


「姉が乙女ではなくなったのは、止葉の月の二十二日に行われた舞踏会の夜だと思います。その翌日は浮かれまくっていたようですし、体に花が咲いていたと、侍女ズが額を突き合わせて騒いでいたので、間違いないと思います」


「止葉の月の二十二日ですか・・」

 小公子の後に控えていたブラームが、胸ポケットに入れていた手帳のページを捲り出す。


 リンドルフ王国や周辺諸国は麦の成長を月名にするのが普通で、前の月は茎立と呼ぶし、最後に茎が出る一ヶ月後を止葉の月と呼ぶわけです。


 今から丁度三ヶ月前のことだけど、

「王家主催のデビュッタントの舞踏会が行われていますね」

 ブラームの言葉にアレックス様は眉を顰めた。

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