第15話  腹の子は?

王宮の敷地内にある聖教会は、建国当初に建てられたものになるため建物自体が非常に古びているし、祭壇が設けられた主聖堂自体もかなり小さい。王家の人々が祈る神聖な場所とされている為に、人の出入りは最小限となっている。


 王家の人間が祈りを捧げるにしては上物の教会が貧相な見た目をしているのだが、この教会は地下がかなり広い作りをしていた。


 秘密の通路が王宮の主要な場所まで繋がっているし、万が一に備えて備蓄できるように倉庫のような場所も幾部屋か設けられている。納骨堂、霊廟室の他にも、小聖堂がやたらと多い作りをしているのは、有事の際の避難所としての役割を持っているからなのだろう。


「報告書にも書いたんだけど、フレデリーク嬢は確かに乙女ではなくなっていた。だけど、腹の中に子供などは育っていなかったよ」


 ベイルはアレックスの前に紅茶を置くと、自分の用意した分に手をつけながら皮肉な笑みを口元に浮かべた。


「女性はね、ストレスなんかで月のものが止まってしまうことが良くあることなんだ。フレデリーク嬢は何かの理由で月のものが止まり、自分が妊娠してしまったのではないかと勘違いしてしまったんじゃないのかな?」


「侍女の話によると、腹も少しずつ大きくなっているようだったと言っていたのだが?」

「ああ、それも良くあることなんだよ」


 人間はストレスや思い込みなどで様々な症状を発症するのだという。親しい人が病で死んだから自分も同じ病で死ぬかもしれないという恐れは、同じ病を招き入れることになる。過度の緊張やストレスは全身に真っ赤な膨疹を引き起こし、それが喉の内部にまで広がれば、喉が塞がり窒息死を招くこともあるという。


「女性としては男性との行為の結果、子供を授かるということは良くあることだ。だけど、それは一度で授かる人もいれば、数多の行為を行なっても授からない人もいる。自分は妊娠したかもしれないと思い込む女性は世の中にはそれは多くいるんだけど、その思い込みが強ければ強いほど、例え妊娠をしていなかったとしても月のものが止まる。悪阻の症状が現れたり、腹が膨れてきたりするなんてことは普通に起こったりするわけさ」


 ベイルは大きなため息を吐き出しながら言い出した。


「人間の体は不可思議で謎に満ちている。女性の体は神秘と言っても良いと僕なんかは思うんだが、聖宗会からするとそれは『悪』に塗り替えられるわけさ。僕は帝国に行った時に、妊娠しないまま腹が大きくなったという女性が『異端審問』に連れて行かれる現場に遭遇したことがあるよ。なんでもその女性は、男性との関係が今まで一度もなかったと言うのに、姉が妊娠して苦しむ姿を見て、自分まで同じ症状が出るようになってしまった。悪阻で苦しむ姉の姿を見てとても心配した妹は、姉の症状に同調しただけのことなのだけれど、悪魔の子を授かったとして殺されてしまったよ」


 それは今の帝国では良くあることだ。

 男であれ女であれ、何かが変わっていると思われた途端に異端者として奇異な目で見られるようになる。そうして、人々の噂を聞きつけた教会側は『異端審問』にかけるわけだ。


「それで?昨日は派手に動いていたみたいだけど、収穫はあったのかな?」

「いや、ない」


 社交界の花とも言われたフレデリークは、公爵家の嫡男であるアレックスの婚約者となった時には鼻高々となってはいたものの、フレデリークが婚約者となった後も、氷の小公子の氷は溶けないまま。


 アレックスの婚約者の座を狙っていた貴族令嬢たちはそんなフレデリークを嘲笑っていたのだが、そんな彼女たちを歯牙にもかけないフレデリークはアレックスに当てつけるようにして、多くの貴族令息たちを自分の取り巻きとして引き連れて歩くようになったのだ。


 取り巻きの貴族令息たちとしては、将来、公爵夫人となるフレデリークに顔を売っておこうという判断から近づいた者も居るし、氷の小公子の鼻を明かしてやろういう考えから近づいている酔狂な者もいた。


 総勢、8名の令息たちとなるのだが、昨日のうちに人を派遣して、事情聴取を行っている。8名中3名が聖宗会のシンパとなる家紋の出であった為、この3名については罪状をでっち上げて身柄の拘束まで行ったのではあるが、結果は、惨憺たるものだった。


「私としては8名のうちの誰かがフレデリークと親密な関係を結んだ人間であると考えたのだが、フレデリークは聖女の末裔ということになるだろう?更には私が後にいるということもあって、さすがに閨を共にするようなことはしていないと皆が断言しているようだ」


「取り巻きではないとすると、誰がフレデリーク嬢を寝とったのだろうな?」

「その言い方はどうかと思うのだが」


 貴族社会において、自分の婚約者を寝取られるということは大きな恥辱となるらしい。今まで何の瑕疵もついたことがないアレックスが、どうやら大事な婚約者を寝取られたらしい。しかもその婚約者が死んでいるというのだから、あいつも哀れな男だよな!という眼差しで見られているし、裏でコソコソ囁かれてもいる。


 アレックスは、十年前に『聖女の涙』が紛失したという話そのものが狂言であり、元々、聖宗教の総本山で保管されていたのではないかと考えている。


 聖女を信奉する改革派の足元を挫くのと、宗教の自由を唱えるリンドルフ王国を瓦解させるために、聖宗会は『聖女の涙』を王国に持ち込むことを決意したのではないだろうか。


 聖宗会のシンパである貴族を利用して、聖女の末裔と言われるフレデリークに、幸運をもたらす石だとか、ラッキーアイテム程度の扱いで『聖女の涙』をプレゼントして、その後、枢機卿が『聖女の涙』が王国にあるという情報を手に入れたと喧伝しながら王国入りすることになる。


「フレデリークお嬢様が『聖女の涙』を持っていました!」

 と、ヴァーメルダム伯爵家に勤める使用人の一人に密告させれば、大手を振るって伯爵家の捜査を開始することが出来るのだ。


 フレデリークが例え『聖女の涙』を捨ててしまっても問題ない、彼らが持っている本物の『聖女の涙』を伯爵家に持ち込んで、

「聖女の涙を発見した!」

 と、喧伝すれば良いのだから。


 伯爵家の人間は『異端審問』にかけて、改革派が尊い存在とする『聖女』の末裔を根絶やしにすることが出来るし、

「帝国から宝を盗んだリンドルフ王国を決して許してはならない!リンドルフ王家は神に背いた反逆者の使徒である!」

 とでも宣言して、戦争をふっかける切り札にもなるわけだ。


 とりあえず一つ問題なのは、マルーシュカの私物の中に紛れ込まれていた『聖女の涙』が本物であったということ。あの後、エルンスト王子が確認したところ、確実に、間違いなく、あれは聖遺物であるらしい。


 何故、本物の『聖女の涙』が伯爵家に持ち込まれたのか?何故、マルーシュカの荷物の中に紛れ込んでいたのか?


 真相を知るため、『聖女の涙』を持ち込んだ奴を探し出すために、取り巻き八人(うち三人は特別厳しく)聴取を行ったのだが、

「これ、結果はシロだと思いますよ〜」

 という側近のブラームの言う通り、今回の取り巻き8名に限って言えば『聖女の涙』について関わりはないのではないか?という考えに至っている。


「どうやら手詰まりのようだね?これからどうするの?」

 探るような視線を送られても、表情ひとつ動かさないアレックスは、

「家に帰る」

 と、言い出した。

「家に帰る?君がかい?」

「私が家に帰って何かまずいことでもあるのか?」

「いや、そうじゃないけれど・・」


 ベイル医師はつくづくと、美麗な顔立ちをしているのに無表情、丸椅子に座っても姿勢が良いまま、氷の彫像のように微動だにしない小公子を眺めると、

「ずいぶん人間らしいことを言うじゃないか」

 と、呆れたように言い出したのだった。

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