第12話 屋敷での暮らし

 窓から差し込む朝日で、カトリーヌは目を覚ました。見慣れない茶色の天井を見て、すぐにベッドから飛び降りる。


 慌てて、昨晩受け取った服に着替えた。屋敷で暮らすロレーユの一人が用意してくれた、質素な物である。


 この屋敷には現在、30名ほどが暮らしているそうだ。中には屋敷の掃除や食事の支度をする使用人もいるが、その全員がロレーユである。


「ここで暮らす以上、わたくしも、ちゃんとみんなの役に立たなきゃ」


 姿見を見ながら、くるりと一回転する。麻でできた服はお世辞にも着心地がいいとは言えないが、王宮で見る自分より、ずっといきいきとして見えた。


 一人での外出は禁じられており、外へ出かける際は誰かに護衛を依頼することになっている。

 そして出かける時はシアンのマントを羽織り、フードで耳を隠すことで、ロレーユの少女として振る舞う。


 長い髪を邪魔にならないよう一つに束ね、そのまま部屋を出る。まだ朝早いからか、屋敷は静かだ。

 ここで暮らすロレーユたちは、外で働いているわけではない。ただ、ここはロレーユの相談所や避難所としての役割があり、日々発生するトラブルに対処する必要がある。


「まずは、朝食よね。一階の居間でとることになっている、とは聞いたけれど」


 特に時間の指定はなく、食事をしたい時は今の隣にある厨房に声をかけるように、とのことだ。


「せっかく、フリッツ様と一緒に食事をするチャンスだもの。フリッツ様が下りてくるまで、居間で待機しなきゃ」


 隣に座って一緒に朝食をとる。何気ない日常を共に過ごせることを想像すると、口角が上がって仕方ない。

 カトリーヌは鼻歌交じりに居間へと向かった。





「カトリーヌ様、おはようございます」


 厨房を覗くと、中にマリアがいた。厨房にはマリアの他に、初老の女性が二人ほどいる。


「どうしてそこにいるの?」

「仕事を手伝わせてほしいと頼んだんです。何もせずここにいるのも申し訳ないですしね」


 先を越されたわ……!

 わたくしも、何かしなきゃ、とは思っていたのに。


 カトリーヌの胸中を察したのか、気にすることありませんよ、とマリアが微笑む。そしてすぐ、残念そうな表情を作った。


「その、実はもう、フリッツ様は朝食を済まされたのです」

「えっ?」

「というか、カトリーヌ様以外の方は皆さま、既に朝食を終えているんです。朝から用事がある方が多いようで……」

「……そんな」

「出かけられた方も多く、フリッツ様も、朝の見回りがあると……」


 てっきり、朝早いから屋敷内がまだ静かなのだと思っていた。


「……マリア、わたくしにできることはないかしら?」

「え?いや、カトリーヌ様に手伝っていただくようなことは……」

「わたくしも、なにかしたいの!」


 マリアは困惑した表情を浮かべた。


 そりゃあ、そうよね。離れにいる頃は、何かをしようなんて、全然言わなかったんだもの。


 はずれ姫といっても、マリアが侍女として身の回りのことはしてくれたし、質素ながらも食事は宮殿の厨房で用意されていた。

 生活するために自分がなにかをするなんて発想は、カトリーヌにはなかったのだ。


「そうですね。では、私と一緒にお菓子でも作りましょうか」

「お菓子?」

「はい。それなら後で、フリッツ様にも食べていただけると思いますよ」


 マリア、わたくしに気を遣いつつ、他の使用人にもちゃんと気を遣ってくれたんだわ。


 もしカトリーヌが食事や掃除を手伝えば、失敗した時に他人に迷惑をかけてしまう。しかし菓子であれば、失敗したところで誰も困らない。


「ええ。そうするわ。作り方を教えてくれるかしら?」

「はい、ぜひ。ではとりあえず、カトリーヌ様は朝食を済ませてきてください」


 マリアが、朝食がのったトレイを手に持った。テーブルまで運んでくれそうになったのを、慌てて受け取る。


「大丈夫よ、それくらい」


 少しだけ躊躇ったような表情を見せたが、マリアはすぐに仕事に戻った。


 普通の人は食事の用意も自分でするし、食器だって自分で運ぶのよね。

 わたくし、世間知らずだったのだわ。ロレーユのことだけじゃなくて、きっとわたくしは、市井の人の暮らしを全く知らないのね。


 大義を掲げ、民衆からの支持を得ようとしているのに、それではよくない。


「やるべきことは、たくさんあるわ」


 呟いて、カトリーヌは焼き立てのパンにかぶりついた。





「えっと……なんとか、できましたね?」


 焼き上がったクッキーを見て、マリアは引きつった顔で手を叩いた。


「……クッキーって、こんな色かしら」

「……特徴的で、印象に残るかと」

「無理によく言わないでいいわよ」


 簡単に作れますから、と言われ、カトリーヌはクッキーを作ることにしたのだ。

 途中までは一緒に作業をしていたのだが、途中でマリアが他の使用人に頼まれ、掃除の手伝いへ行ったのである。


「レシピを見て作ったのだけれど……」


 その際、マリアはクッキーの作り方を簡単にメモに書き残してくれた。

 それを見つつ、カトリーヌが一人でクッキーを作ったわけだが……。


「焼く時間も、ちゃんとレシピ通りにしましたか?」

「……ちょっとだけ長かったかもしれないわ。でも、レシピ通りの時間焼いてみたら、生焼けだったのよ。だから、もう少しと思って……」

「焼きすぎちゃった、ってことですよね」


 生焼けだと思った時に、すぐマリアに聞けばよかったんだわ。

 あともう少し焼けばいいだけだ、なんて一人で判断した結果がこれなんだもの。


「とてもフリッツ様に出せるようなものじゃないわね」


 美味しいよ、と言ってもらえることを期待していたけれど、これが美味しいはずがない。

 それに、健康に悪そうなものを出すわけにもいかない。


「大丈夫ですよ。今回は焼く時間をちょっと間違えてしまっただけです。次は、私がつきっきりで見てますから」

「マリア……」

「これは残念ですが、私が処分しておきますので」


 マリアがそう言ってクッキーに手を伸ばしかけた、その時。


「食べ物を捨てるなんて、どうかと思うよ」

「フリッツ様……!?」


 いつの間にか、厨房の入り口にフリッツが立っていた。


「喉が渇いたから、水をもらおうと思ったんだけど」

「水でしたら、すぐにわたくしが……!」


 水をコップに注ぐくらいなら、カトリーヌにもできる。

 慌てて水を用意し終わった時、フリッツの手には黒焦げのクッキーがあった。


「私のために作ってくれたんだね」

「……それは、そう、ですけれど……」


 頷くと、フリッツは何の迷いもなくクッキーを口へ運んだ。


「えっ、フリッツ様、そんなもの……!」


 フリッツは表情を変えずにクッキーを飲み込んだ。

 そして、微笑んでカトリーヌを見つめる。


「ちゃんと、気持ちは伝わったから」


 胸の奥が急激に熱くなって、上手く呼吸ができなくなる。

 カトリーヌの瞳から、静かに涙が零れ落ちた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る