第5話 ウサギとハムスター

「マスターは酷いですっ! 僕は……僕はっ、本気で悩んだんですよ!」

「あー、いや、だから悪かったって。あんたがそこまで思い詰めていたなんて思わなかったんだよ。だから少し落ち着けって、な?」

「も、もう二度と他の従者を入れるなんて騙したりしません?」

「しないしない」


 涙目で嘆くブイの後ろの壁には、現在聖剣が立て掛けてある。彼の前の椅子に腰掛け魔王っぽく足を組む俺は、さっきから内心気が気じゃない。


「じゃあずっと僕達二人だけの勇者パーティーでいてくれます?」

「あーそれは無理。俺はさっさと抜けるわ。勇者頑張れよー」

「そ、そんな、マスターッ!」


 ブイが叫ぶと同時に聖剣が明るく光った。

 魔王の俺にはその光はちと眩しいぜ。地肌にヒリヒリくる。

 だって剣的には魔王討伐のための力を解放しているんだからな。言うまでもなく俺との相性は最っっっ悪。

 勇者の心というか感情一つで聖剣はその秘めたる力を発揮する。強き心が邪悪を討ち滅ぼすんだーって少年漫画の典型例が嬉しくない事にまさにここにあるんだよ。


「ブイ、俺は安眠妨害レベルの眩しい光は苦手なんだ。だからこれ以上その剣を光らせ続けるなら、それごと俺の前から消えてくれ」

「――っ」


 鋭い言葉は効果覿面てきめんだった。彼の方も少し前までは背後での変化がまさか自分のせいだとは思ってもいなかったようで、チカチカしているなとは思っていても気にしなかったらしい。指摘したら驚いていた。……っておい普通気になるだろって感じだがこの男に普通を期待するだけ無駄かもしれない。

 彼は俺の冷たい表情にごめんなさいと消え入る声で肩を竦めた。気持ちが沈んだからか聖剣から光が消える。


 今のこの部屋には俺とブイだけだ。


 カリフラワー神官長やウサギ獣人達はいない。

 まあ、出て行ってもらったからいないのは当然だ。


 さっき俺からの促しで自分の他のウサギ獣人を嫌々ながらも何とか選ぼうとしたブイは、眉間に深くシワを寄せて同族達の顔をしばらく見つめた。見つめて見つめて見つめ続け……とうとう『マスター、僕には無理です』と泣き出した。

 そこまでは想定内。


 だがしかし『あなたの命令を聞けないこんな不甲斐ない従者を、……っ、ど、どうかお許し下さいっ』と勇者ブイが土下座して感情的になった途端に聖剣が力を放出した。


 正負の別はなく感情レベルが一定値を超えるとそれに呼応するんだろう。たぶん血圧200とかではない。たぶん。

 想定外にも皆のいる前で急に光り始めたもんだから、言うまでもなく一同はぎょっとしてざわついた。

 俺は柄にもなく……はないが兎に角焦った。このままにしておけば俺が偽勇者だって誰かが気付く。露見してしまう。何しろ剣は明らかにブイに合わせて反応している。


『ブイ』


 俺は短く呼んで顔だけを上げた彼と真っ直ぐ目を合わせた。彼はいつにない俺の淡白な眼差しに明らかに狼狽えた。

 聖剣から光が薄れたのを認めた俺はもう後は何も言わずにブイから視線を外す。

 はーーーーっマジ良かったーーーーって内心思ってたな。

 偽物とバレて袋叩きは勘弁だもん。ま、そうなったら叩かれる前に逃げるが勝ちだ。


『あー、ところでウサギな諸君ら、もう家に帰ってくれて構わない。今更で申し訳ないがこれ以上従者は必要ないからさ』

『ゆ、勇者様!? しかしそれでは……』

『神官長、俺の仲間は勇者たる俺が決める。旅の仲間は自ずと俺へと導かれるだろう。あとウサギはもう間に合ってるから』


 じっと厚い白眉の下の目(のあるだろう位置)を見つめて待つ。


『……わかりました。皆の者、下がりなさい』


 神官長の言葉にウサギ獣人達はガッカリしたようだが誰も文句を言わず従った。もしも不満があったらカリフラワーでも齧っておくれ。

 俺と部屋に残ったブイが戸惑いを浮かべながらも床から立ち上がる。


『あ、あの、マスター、全員返して良かったのですか?』

『ああ、最初からその気はなかったからな』

『最初、から……?』


 同族達がいなくなってホッとしたようにしていたブイの顔が絶望的になる。俺の寝不足の意趣返しと捉えたかは知らないが、俺の意地悪だとは気付いたようで、彼は赤と金のオッドアイにうりゅ~っと小さな子供が泣くみたいに涙を盛り上がらせて俺を責め、聖剣をまた光らせた。

 そこで連動を指摘してやったりして、現在に至る。


「ブイ、そのつもりはなかったんだろうが、もう冗談抜きに嘘パーティーだってバレかねないボカはするなよ? 俺だって我が身が可愛いんだ、もしやらかしたら即刻主従解消で俺は去る」

「わ、わかりました。本当にごめんなさい」

「わかればいいよ。俺ももう意地悪はしないって約束する」


 項垂れて足元を見つめていたブイは喜びの表情でぱっと顔を上げる。


「じゃ、じゃあ一緒に眠っても……?」

「どうしてそこ行くん!? はー、馬鹿言うなって」

「で、でも意地悪はしないって……」

「ああん? いつも拒否ってるのは意地悪してるからとでも!? 単に従者の非常識を注意してるだけだ」

「え? 非常識? 同室で自分の主人と同衾するのは当然なのでは?」

「同衾!? 言い方……。なあずっと疑問なんだが、どうして夜に俺の部屋に来んの?」


 寝首を掻くためか? そうなんだろう? ここは正直に述べよ。


「マスターができたのに独り寝する必要が?」

「は? どういうこと?」


 俺がキョトンとするとブイは合点したようにポンと手槌を打った。


「ああそうですよね、失念していました。僕達ウサギ獣人は家族や仲間内なら集団で寝るのが習慣なので、仕える主人ができたならその方と一緒に眠るんです」

「へえ、そんな習慣があるのかー。なら俺は適用外で」

「なっ何でですか! マスターは僕が嫌いなんですか?」

「あんたは別に嫌いじゃないが、その剣を持って近付かれるのは生理的に嫌だ」

「生理的に……。で、ですけど目を離して大事な聖剣を盗まれたら一大事ですし」

「別に良いだろう? むしろ好都合」

「え……?」


 ハッまずい、人間なら聖剣を嫌ったり雑には扱わない。ひれ伏して崇める。こんな態度だと俺が魔族だってバレるかもしれない……っていや実は既にバレてるのか? 違うのか? 本当に真実はどっちなんだ? ええいわからんっ。


「い、いやさあ俺は偽勇者だから、やっぱり自分の物みたいに扱うのは心苦しいんだよ。だからなるべく傍に置きたくない。わかってくれ」

「そう、ですか……すみません、そこまで考えが及びませんでした。でしたら、――この聖剣を誰かに売り払いましょう!」


 は?


「それで僕の物でもなくなります。その上で勇者旅には必要なのでその相手から剣をレンタルしてもらえば問題解決です! マスターも心置きなく振るえますよね!」


 レンタル聖剣勇者とか、すこぶるカッコ悪い。


「駄目だろうそれは。勇者あんたの役目が終わったら剣は勝手に神殿の台座に戻るのに。それじゃ詐欺と変わらない。それなら冒険旅の間だけの期間限定で剣や装備に企業ロゴ……はないか、名前や紋章入れまーすってスポンサー募れ」

「なるほど! マスターはさすがですね! 僕は色々と不備を見落としていました。じゃあ早速募りましょう!」

「おう頑張れよ。あんたの好きにするといい。俺はどの道抜けるしな」

「マスタ~~」

「はは、なんてのはまあ冗談だ」


 今のところは。

 神殿を出てある程度離れたら、俺はさっさとどこかに消えるつもりなのは本当だ。勇者は勇者の、俺は俺の旅路を行くがベスト。今すぐ逃げられないわけでもなかったが、できるだけ穏便に不審を抱かれずにここを去りたいから留まっていた。魔族とバレて追手を差し向けられるのは御免だからな。ま、滞在の最大の理由は前にも述べたが快適だからだけど~。


「ブイ、安心しろって、他のウサギ従者は本当に取らないからさ。あと言っておくと、今後は夜に忍び込んできたら即刻主従解消な」

「そんなっ」

「従者が主人の安眠を妨げるつもりか?」

「そ、れは……。はい、わかりました。なら今晩はすぐ外の廊下に居る事にします」

「はははは。今日はもう部屋に戻れ。マスター命令なこれ」

「うう……はい」


 夕食を共にしてブイとは今後の偽パーティーでの冒険旅についても真面目に話し合っておきたかったんだが、それは延期しよう。笑顔でぶん殴りそうだから。無論聖剣ごとご退室願った。

 去り際に、廊下でもバルコニーでも天井裏でも床下でも主従解消だって宣言が効いたのか、その夜ブイは出会ってから初めて忍んで来なかった。因みにいちいち細かく指定しないとならないのがまた彼が曲者だと思わせる理由の一つだ。





 

 翌日、本日も漏れなく三ツ星の朝食を頬張りながら、俺は何故かでっかいハムスター……じゃなかった、眼鏡の若手オメガ(仮)神官の面倒を見ていた。


 栗色をしたふわふわ癖っ毛の彼は俺の毛布を被って食卓とは別の長椅子の上に丸まっている。そうしていると本当にでっかいハムスターみたいだ。

 どうしてこうなったのか?

 それは、安眠できて朝少し早くに目が覚めたのもあって、俺は神殿の敷地内を歩いてみようって思ってそうした。中央神殿は敷地が結構広くて日本の屋外テーマパークくらいはある。当然庭も充実している。

 魔法を使わずに抜けられる無難な逃走経路を見繕うのが目的で、純粋に庭園を散歩したかったわけじゃない。

 だから死角になりそうな生垣の裏とかを覗いて歩いていたんだが、そのせいで神官の彼に見つかってしまった。

 いや、この場合は見つけてしまったと言った方が適切かもしれない。


 以前初見で思ったように彼は、オメガだった。


 そうだよ(仮)じゃなくて本物だったんだよ。


 しかも、よりにもよってヒートしていた。


 発情期ってやつだ。故にこそ、散歩道から離れた誰も来ないような隅っこまで来て隠れていたんだろう。


 蹲って震えていた神官は、気まずい顔で見下ろす俺を涙目な赤い顔で見上げて気の毒なくらいに絶望の表情になった。


 髪の毛より少しだけ濃い茶色の瞳が見開かれ、それがまた小動物っぽさを強めている。彼は獣耳も尻尾もない人族、つまり普通の人間なのに不思議なものだよ。


 俺には想像もできないが、ヒート中のオメガはその強い衝動を堪えたい場合は相当苦しくて大変らしい。その手のフェロモンを俺は全く感じないので何とも思わないがオメガバースな人々は影響を受けるから、彼のように隠れていないと要らん相手を誘ってしまい身が危うい時もあるようだ。

 うーん、と悩んでから俺は一応問い掛けてみた。


『あのさ、お宅さ、このままだとまずいのか? それ、ヒートだよな?』


 こくりと彼は頷いた。


『そうか。オメガって周りは知ってんの?』


 これにもこくりと頷く。


『なら自分の部屋に籠ってないと駄目な期間なのに、どうして出仕してんの?』

『ほ、本当はヒートになる期間ではなかったのですが、夜に聖堂で祈りを捧げていたら、何故だかなってしまいまして……。近くに強いアルファがいたのかもしれません。それでその方のフェロモンの影響を……』


 はい、謎は全て解けた!


 アルファって、絶対ブイだろ。


 部屋で大人しくしていたと思ってたら、別のとこで迷惑かけてたのか。アルファフェロモン垂れ流しながら夜に出歩くとか不品行だな。


『へえ、そうか。何か御免なハムスター君』

『ハムスター?』

『あ、いや、気にするな。それじゃ今日はこれからどうするんだ?』

『宿舎に帰るにも、他の神官に見つかると少々まずいので、夜までここに隠れています。幸いここはほとんど誰も通りませんし通ったとしても花壇の花の匂いが強いですから平気かと。勇者様も影響を受ける前にもう行って下さい』

『へ? いや俺は――』


 そんな時だ。


『お、なんかいい匂いがする。花の匂いも交じってるけどその匂いじゃないよなこれ?』

『あっ、オメガのヒートの匂いじゃないか?』

『……そうかも。どうする? もしかしてセロンか? でも確かまだヒート期間じゃないはずだよな』

『なら別の新手のオメガがいるのかも。どこか近くだな。探してみようぜ。隔離してやらないと』

『ああ……って、お前興奮して羽目外すなよ? 神殿を放逐されるからな?』

『わ、わかってるって。そっちこそな!』


 他の神官か或いは常駐の兵士だろう声が向こうから近付いてきた。姿はまだ見ていないからどちらかはわからない。


『ど、どうしよう……同僚達だと思います』

『ならもしかして、お宅がセロン?』

『はい……』


 セロンと言う名のオメガ神官は明らかに恐怖のようなものでガタガタと震えた。大貴族や王族に見初められたり金持ちがパトロンだったりするオメガは栄華を極めるが、彼のように神殿などで地道に働いて暮らしているオメガもいる。性格もあるだろうが身分なんかも関係するようだ。とは言え神殿にいるなら外の暮らしよりは安心だろう。神官達なら弁えているだろうし。

 しかし彼の不安を拭えない様子を見るに、密かに嫌な目にも遭ってきたのかもしれない。

 これがアルファだと下剋上や成り上がりもよくあって、元奴隷が一国の覇権を握ったりもするようだから、オメガみたいな苦労とは無縁だろうな。

 ……そう考えると、謙虚なブイは珍しいアルファだよな。


『ええと、知り合いだけど見つからない方がいいんだ?』

『で、できれば、ですが……ヒートを見られるのは気まずいので』


 あー、だろうな。俺なら羞恥で死ねる。


『なああんた、俺を信じるか? 助けてやる』

『え……?』


 意外な申し出だったのか、一瞬ヒートも忘れたように彼は眼鏡の奥の両目をぱちくりと瞬いた。

 何も知らない彼からすれば俺も向こうの奴らと同じに見えているんだろう、困惑の色が強くなる。だがしかし、説明していたら確実に見つかる。


 向こうからの声が一段と近くなって我に返ったようだが、藁にも縋る思いだったのかこくりと頷いた。


 そんなわけで俺は彼を颯爽と肩に担ぐとひとっ走りして自分の部屋に連れてきたってわけ。これでも一応は魔王体だからこそ難なくできた芸当だ。

 床に下ろして長椅子を勧めたが、彼はフェロモンの影響無しな俺を怪訝そうにしていたからフェロモンの効かない体質だと教えると目を丸くしたっけ。

 そして、タイミング良くもその時ちょうど俺のお腹が鳴った。


「――えーと、セロン神官、あんたも何か食べれば?」

「い、いえ勇者様のお食事を減らすなどとんでもございません。恐れ多いです」

「いくら俺でもこんなに沢山は腹に入らないよ。ヒートだろうと空腹にはなるんだろう?」


 あの後すぐにベルを鳴らして朝食を用意してもらった。

 無論セロン神官には俺の部屋に隠れていてもらってだ。少しでもフェロモンが拡がるのを抑えようとしてか彼は毛布を被った。それでも嗅覚の鋭い者は気付くだろうとは言っていた。

 そんな彼も空腹だったのか、それとも俺の言葉と食卓の上の料理の皿から尤もだと思ったのかは知らないが、丸まっていた長椅子の上から毛布のままいそいそと寄ってきた。あー悪い、ひまわりの種は頼んでなかったな。

 白パンを手に取ってパクついている姿にやっぱりでっかいハムスターっぽいなと俺が勝手に和んでいると、廊下の方から騒々しい足音が近付いてきた。

 トントントンとノック音もかなり急かしている。


「マスター、起きていますか? いますよね、マスター!」


 誰かと思えばブイか。


「何だよ騒がしいな。起きてるよ! 今鍵開ける」


 セロン神官がいるから念のため鍵を掛けておいたんだよな。そのセロン神官はビク付いて部屋の扉を見つめた。


「ま、まさか外にいるのってアルファですか? あのオレンジ髪のウサギ獣人の」

「え? ブイ、俺の従者がアルファだってわかってたんだ?」

「それはもう初見でわかりました。どうして勇者様は全然平気なのか不思議に思ったものです』

「俺? 何で?」

「だって勇者様も見るからにオメガっぽいですし。お綺麗なお顔立ちです」

「あーはは、そうなんだ? それはどうも。両親に感謝だな」


 誉められているんだろうが、喜んでいいのか複雑だ。


「ですが、颯爽と私を救って下さった時の勇者様はとても格好良くて、実はアルファなのかもと思いました。だから同じアルファと平気で居られるのかと」

「へえ、なるほど。だが生憎俺は違う」

「はい。フェロモンの影響を受けない体質と聞いて納得です。私は相手のフェロモンに鋭敏なので羨ましいですよ。今だって、従者の方は興奮状態なのか扉越しでもアルファフェロモンが強烈で辛くて……うぅっ」


 彼は少し落ち着いていたはずの顔をまた真っ赤にした。


「あぁっ……くっ、うぅ」


 とか体を丸めて呼吸を荒くして変な声まで出す始末。


「おっおいしっかりしろ、今すぐ換気してやるからな!」

「お、おねっ、がぃ……しま、す」

「えっと悪いブイ、もうちょっとそこで待っててくれ!」


 部屋の外からは「えっえっ何事ですかマスター!?」とやや焦ったような声がする。


「いいから待ってろ!」

「ああっ……はあっ!」


 セロン神官が身悶えして、座っていた食卓の椅子が傾いた。


「危ないっハムハムー!」


 咄嗟に手を伸ばして何とか椅子の背を支えたが、ハムハムセロンと至近距離で見つめ合う形になった。

 あたかも俺が彼に迫っているかのような体勢で。

 更には最悪のタイミングで心配性というよりは堪え性のなかったブイが鍵開けして扉をぶち破るかのようにして入ってきた。


「はっ? おい何勝手に入ってきてんだよ!」

「なっ……ななな何をなさっているんですかマスターっ!? 顔を洗っていたら勇者が若い神官を担いで走る姿を見かけた、との証言を耳にしてまさか見間違いだろうとは思いつつも急いで身支度を整え駆け付けて正解でしたよーっっ」


 彼はいつ何時も忘れずに抱えてくる聖剣をこっちに、正確にはセロン神官を威嚇するようにその切っ先を突き付けた。そうだよ聖剣は未だに抜き身なんだ。物騒にもな。

 彼の感情に従って聖剣がブゥンと鳴って白く輝き出す。


「はー!? ちょっと待て落ち着けブイ! 聖剣っ聖剣~~っ」

「酷いですっ僕という従者がありながらーーーーっ!」


 感情爆発と共にアルファフェロモンも増幅されたらしく、


「はうぅんっ……!」


 発情期ハムハムが余計に悶え、衝動に耐えるためなのか俺にぎゅっと抱き付いてきた。


「ごっ、ごめん、なさ……っ」

「ああいや大丈夫。ハムハムこそ深呼吸して落ち着け、な?」

「は、はい」

「これは案の定ヒートオメガの……! 不埒なオスがっマスターから直ちに離れろ!」


 いやいやいや。そう言ってやるなよ、可哀想だろ。

 セロンのフェロモンがさも不快かのように顔をしかめ、珍しくも怒った顔のブイが近付いてくる。聖剣はより輝きを増した。幸いセロンはヒートのおかげで聖剣どころではなさそうだ。他の人間に騒ぎを悟られる前にどうにか収拾をつける必要がある。


「止まれブイ」


 従者は止まらない。


「落ち着けブイ」


 従者は鎮まらない。


「聞いているのかブイ、おいブイ!」


 従者は怒り心頭だ。つまりは聞く耳を持っていない。

 白い聖なる湯気さえ漂わせる聖剣からは殺意をビシバシ感じる。これ以上強力になると俺も自衛のために魔法を展開させざるを得なくなる。肌ヒリどころじゃ済まないからな。


 俺の魔法は魔族が使う魔法――魔族魔法だ。


 聖剣の間の時のように普通の兵士の前ならともかく、セロンの――神官のこんなすぐ傍で使えば俺が魔族だって一発で露見する。

 最悪だ。魔王とまではわからなくても魔族ってだけで当然のようにこの人間領じゃ殺される。魔物討伐を生業とする冒険者が蔓延っていて討伐は茶飯事だ。

 神殿なんてそもそも冒険者達の先頭に立って魔族殲滅を使命と掲げている組織だ。非常にまずい。

 いっそ殺られる前に殺る? 目撃者消す?

 いやいやいやいや、それ以前に最終決戦がこんな間抜けでいいのか? よくない。っつーか最終決戦なんぞして堪るかよ。

 俺は平穏無事に地球に帰りたいんだっ!


「止まれブイ、冷静になれっ! ――添い寝してやるからっ!!」


 ふ、と聖剣は蝋燭の火が消えるように光を失いカランと床に落とされた。


 ブイのフェロモン放出も治まったからか、セロン神官も激しく悶えるのを止めて俺に抱き付いていた腕からようやく力を抜いた。とは言えまだヒートなのには違いないが。


「はいっ、マスターのお望みのままにっ!」


 ブイはブイで嬉しそうに俺の前に跪く。いやその必要ある?

 セロン神官はセロン神官で、ブイから距離を取るようにそっと俺から離れた。今はお疲れなのか聖剣を粗末に扱っても憤慨する気配もなかった。


「はー。良かったとりあえず。どうせだから三人で食べよう。二人共大人しく食卓に着いてくれ。その上でお互いに誤解のないようにきちんと話をしたい」


 俺はドッと疲れた心地で椅子に座り直した。ブイとセロン神官は異論なく素直に従ってくれたから良かったよ。だが俺だけ割を食った感がするのは何でだろうな。

 騒ぎを神殿の誰にも悟られなかったのも幸いだった。





 そうは言ってもヒートはヒート。

 同じ食卓にアルファがいるせいでセロン神官はいちいち小さく身悶えしていた。えーと、朝ごはん一緒は酷だった?

 そんな彼はやっぱり職業柄なのか単なる片付けオカン気質が出ただけなのか、床に放置されたままだった聖剣に気付くと、


「ああっ何てことですか!」


 激おこハムハムになって席を立つ。

 聖剣を拾い上げて近くのテーブルに置こうとした。


「あ……え? 何故……」

「どうかしたのか、セロン神官?」


 俺もブイも聖剣を手に持ったまま困惑して突っ立つ彼に目を向ける。


「ヒートが、治まっていきます」

「え? ヒートがって……あ、もしや聖剣パワーの一種とか?」

「ハッキリそうだとはまだわかりませんが、私の中の抗えない熱が冷めていきます。あ、あの勇者様、この剣をもう少し触っていても宜しいでしょうか?」


 俺はちらりとブイを見る。本来の所有者は彼だ。


「どうぞ、マスターのお望みのままに」


 状況を説明してセロン神官への誤解は解けたからか、ブイはもう彼を敵視する素振りもなく、むしろオメガの立場への理解を示しヒート原因になって申し訳なさそうにもした。もっと駄々を捏ねるようにいちゃもんを付けるかもしれないと思っていただけに感心だ。そんなブイからの了承に俺は小さく頷いた。


「いいよ、ヒートが落ち着くまでそうしているといい」


 ブイよりもセロン神官が握っている方が安全だしな。


「ありがとうございます!」


 ホッとしたように頭を下げるセロン神官は、しばらく手にした聖剣を興味深そうに眺めていた。

 たださ、食卓でも膝の上に乗せていたから、俺は極力椅子を彼とは反対方向へと寄せたよ。

 そして、俺達皆が朝食を何事もなく終えた頃、セロン神官は何か意を決したようにして一人椅子から立ち上がった。

 俺とブイがキョトンとして見つめると、眼鏡の奥の瞳をキラリとさせて彼は大きく息を吸う。


「勇者様お願いします! ――是非私を勇者パーティーに加えて下さい!」

「…………か、考えてみるよ」

「マスター!?」


 え、神官入れるとか、無理ぃー……とか、でっかいハムスター君が落ち込みそうな事は何か言えなかった。

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