第4話

 マリアは毎朝5時に起きて、マリア像に祈りを捧げてから一日の仕事を始める。5時の教会は夏も冬も薄暗くて、蝋燭の火だけが頼りだった。

 「……………………」

 両手を組んで、静かに祈る。パチ、パチと、火が爆ぜる音が響いた。

 影を負うマリア像は、今日も変わらず彼女を見下ろしている。目を伏せて、手を広げて、慈悲深い微笑みを浮かべて。過去も現在も未来も、無条件に人々を救済するのだ。

 目を伏せているのは、俗世を見て穢れるのを防ぐため。

 手を広げているのは、すべての生けるものを抱擁するため。

 笑みを浮かべているのは、罪も罰も赦すため。

 神は堕落してはいけない。神は全てをすくわなければならない。そこに人の意志は働いておらず、在るのは神の気まぐれだ。気まぐれで掬うから「救われた」と思い、「救われた」と思うから「もう一度」と願うのだ。

 そうやって宗教は出来ていく。

 「…………よしっ」

 祈りを捧げ終えて、マリアは聖堂内の掃除を始めた。本部から支給された小さなほうきを使って隅のほこりを掻き出し、使い古した雑巾で椅子を磨く。全ての椅子を磨き終えた頃には、外はもう明るくなってきていた。

 今は冬と春の狭間。外に出ると、空気が肺を刺す。マリアは身を縮こまらせながら、教会の前の道の掃除を始めた。昨夜は風が強かったのか、落ち葉の量がいつもよりも多い。後で燃やさなくちゃ、と考えながら、せっせとほうきを動かした。

 かあっ、かあ!

 どこからやってきたのか、近くの木にカラスが止まっていた。体を震わせて短く鳴き、マリアに何かを訴える。

 「……ごめんなさい、あなたの言葉が分からないの」

 かーっ、かあ!かあ、かあっ!

 マリアは謝るが、それでもカラスは鳴きやまない。しびれを切らしたのか、ヒョイヒョイと枝をつたって、マリアの肩に止まった。

 「まあ」

 かあ。かあっ、かあ。

 マリアの耳に直接訴えかけるように、カラスは翼を広げて鳴く。しかしそれでも、彼女はカラスの言葉を理解できなかった。

 「どうしましょう。あなたは多分、わたしの言葉を分かっているのに」

 かあ。

 そうだ、と言うようにひと鳴き。逆になぜ分からない、と言うように、カラスは首を傾げた。彼女は眉を下げ、同じように首を傾げる。

 「…………なにしてるのお?」

 かーっ、かーっ!

 「うるさいってぇ。分かってる、今からやるよお」

 「クロウさま!おはようございます」

 ボソボソ、ふらふら。教会の中から、カラスのような男が出てくる。男の姿を見留めたカラスは、マリアの肩で大きく訴えた。ばさばさと翼の音がなり、黒い羽が落ちる。そのうちのひとつは彼女の髪に引っかかり、奇抜なアクセサリーのようになっていた。

 「ほら、こっちに乗りな」

 ん、と男は腕を差し出し、カラスに乗るように言う。カラスは数度まばたきをした後、大人しく飛び乗った。

 「マリア、コイツに食べ物分けてくれる?コイツが欲しいってぇ」

 かあ。そうだ、とカラスは鳴く。

 「…………マリア、聞いてる?」

 ぼうっとその様子を眺めていたマリアに、男は首を傾げた。よく見ると髪はボサボサだし、コイツに何かされたかも知れない。困るなあ、烏達コイツらに苦手意識を持たれちゃ。これからこの女と過ごさなきゃいけないんだから。こんなことをつらつらと考えて、とりあえず、と男は口を開く。

 「コイツは純粋なんだ。だから、失礼なことしてもゆるして欲しいなあ」

 ねえ、お願い。マリアの小麦の髪に触れて、甘く囁く。ついでに羽も取って、地面に投げ捨てて、そうしてやっと彼女は正気に戻った。

 「……あ、はい。あの、クロウさまは、その子の言葉が分かるのですか?」

 信じられない。そんな言葉が聞こえてくる。男は、驚いた様子のマリアを不思議に思いつつ、なんてことも無いように告げた。

 「分かるよお、もちろん」


 陽光。


 「だって俺は、烏だから」


 昇り始めた太陽が、ふたりを照らした。

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烏とマリア あしゃる @ashal6

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