第2話
こんなに上等な服をくれるなんてマリアは本当に頭がめでたいんだな、と男は着替えながらそう思った。本来、自分のような得体の知れない、小汚くて薄汚れていてボロ雑巾みたいな男なんて追い払いたくてしょうがないはずなのに。今までどこの教会に行っても、誰も男ににんげんの扱いを施してくれたことは無かった。大体が使い古してボロボロになった服(服というにはあまりに穴が空き過ぎている)を与え、ごみ箱に捨ててしまうような野菜の切れ端や残飯を与え、水をばしゃん、と無造作にかけて身体をきれいにするぐらいだった。男にここまで尽くしてくれた人間は今まで、一度たりとも、いなかった。
マリアは頭がおかしい。だってこんな人間もどきをにんげんとして丁寧に扱うのだから。心の底から神さまを信じていて、善行を積めば天国に行けると盲信しているとか、そういう頭が変な方向に吹っ切れている人間じゃないと、男をにんげん扱いできない。何故なら男は
そうだ。
マリアは、頭がおかしいのだ。
「イカレ女……」
袖に腕を通す途中で、男は小さく呟いた。相変わらず服は上等で、身につけても肌が擦れないし棘も刺さらない。男が今まで着ていた服を脱ぐときに、がりがりと硬い繊維が肌に引っかかって裂けてしまったのに、この服は何の痛みも伴わないで着ることが出来た。男の中で、マリアの評価が変わった。
イカレ女から、良い服をくれたイカレ女へ。
今の内は、少なくともマリアに敵意は無い。だったら敵意が男に向かうまで教会に居座ろう。男は心の中でそう決めて、残りの服も着替えた。
ノック、ノック。
2回、扉が鳴る。
「失礼します。クロウさま、お召し物は……まあ」
律儀に頭を下げて、地面を見ながら部屋に入ってきたマリアが顔をあげると、男は甘くて蕩けそうな笑顔を浮かべていた。
「うふふ、よくお似合いです。肌に合いましたか?」
「うん。ありがとお、マリア」
にこにこ、にこにこ。笑顔の応酬が一通り終わって、マリアは男の手をおもむろに掴む。
「では、クロウさま。わたしは料理場へ参ります。もし何かありましたら、わたしに仰ってくださいね」
「何をするの?」
何故手を掴まれたのか男は全く分からなかったが、とりあえず尋ねる。男の中でマリアはイカレ女なので、突拍子もない行動をしてもそこまで気にしていなかった。イカレている奴は大抵突拍子もない行動をするものだから。
マリアはおっきな目を輝かせて、また笑顔を浮かべて言った。
「お夕飯を作ります。クロウさまと、わたしの」
暇だなあ。男は一人、与えられた部屋のベッドの上でそう思った。その部屋にはベッドと、小さなテーブルと、小さな椅子と、小さな本棚があるだけでその他にはなんにもなかった。元々暇をつぶす趣味など持っていなかったし、趣味を持つほど余裕のある生活をしていた訳ではなかったから、新鮮な感覚だった。
次にマリアが来るのは夕飯ができたとき。それまで、男はこの”暇”を潰さなくてはならない。さっきまではジッと天井のシミを数えていたが、シミの数が10を超えたあたりで飽きてしまった。
「暇だなあ」
声を出してみても返事は返ってこない。部屋はシンとしていて、独り言が虚しく空中に消えていった。
俺は何をすればいいのだろう。俺は何をやっておけばいいのだろう。柄にもないことを男はぐるぐると考え続ける。気付けば外は真っ暗で、があがあとカラスの鳴く声が聴こえてきた。
「うるさいよお。ここにお前らが欲しがるものは無いから」
があがあ!があ、があがあ!
「欲しいなら俺が後で取ってきてあげるから。今は静かにしてよ、考え事してるんだ」
がーっ!があっ、があ、があがあ!
「約束するから。俺の羽に誓うよ」
が、があ、があ。
外にいるカラス達は、男の言葉を聞いてやっと鳴くのをやめた。男はふう、と息を吐いて、緊張が解かれたように、ぐったりとベッドに倒れ込む。ここのカラスは人間に慣れているんだな、珍しい。そう考えながら目を瞑った。
趣味のことなど、とうに忘れてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます