第19話、決着。そして 上

「人間の情念、ね。何があったか聞いてもいいのか?」


 ミトラが小声で耳元の小さなガ……竜老公に問う。他に聞いているものはいない。ナヨシから一時撤退させたとの報告があり、一夜木がゆっくりと掘りおこされつつあった。


「あの子はわたくしと三番目の妻との子だ。人の戦争の少し前、彼女は人間に振られたようだった。振られたと言うのは、つまり、恋愛感情を相互に持っていると思っていた相手に、その感情がもうないと告げられたという……」

「ああ、わかるよ。振られてどうした」

「その当時、吸血鬼とは敵国や敵軍を指す言葉にもなった。ただの人間が吸血鬼だと告発されることもあった。都合の悪い相手を呼ぶ言葉だったんだ。振られたのが実際、そのためだったのかはわからない。だが、彼女は父が吸血鬼だということを気にしていた」


 強い風の音だけがそれに答えた。コウは建物の影で身をかがめて絵を抱えている。


「しかし死ぬ寸前の子を『あれ』は噛んで吸血鬼にした。あの子は……自分が人間であったことをのろった。愛しく思ったはずの相手を殺し、母を殺し、友人たちを殺した。人間だったことを捨て、吸血鬼より『吸血鬼』らしくあろうとしたのさ。だから我は彼女を封じた。木槍で貫き放り投げて落ちたのが、偶然ここだったというわけだ」

「あの木がそれか」

「そうだ。槍は木になり、地中に彼女を封じ込めた。しかしその後、たくさんの人の念を引き寄せてしまったようだ。それは悪いもののほうが多かったのかもしれない。……戦争もあったことだ。情念のほうもまた、自分たちの思いをなしてくれる力を欲していた。それで、あの子は他人の情念に飲まれて自分自身のことも忘れてしまった。ただ人を許せないだけのものになった……」






 隅田にある学校の校庭。ミトラから連絡があり、ヤマは血をまいた。そのとたん、地面が揺れて地割れが起こり、肉塊が現れた。乾いた肉の間から目と牙がのぞく。それは血をすすりながらそこにいる人間を見つめた。

 同時に、夜空からアオが到着する。牙の間から肉塊がほえた。


 一瞬、たじろいだモモカにせまる手を、ヤマが剣で切りこんだ。その流れを殺さず、他の手に切りかかる。モモカが気を引き締めなおして長巻を振るった。手を切り落として、さらに増える腕を叩き切って、アオが動くことができる空間を作る。アオは槍を持って突き刺し、飛び回っては手を切り落とす。あちこちで手が塵にはじけて消えていく。


 肉が切られるたびに、それは悲鳴をあげた。人のような悲痛な叫びだ。

 モモカが心を乱されたように一歩下がった。下がったぶん、手が追ってきてせまる。ごくりと息をのんだ。つかみかかる手をするりと受け流し、回すように振り上げてまっすぐに切りかかる。切ったそばから伸びてきたのを跳ね上げ、切り裂いた。


「いくぞ、モモカ」

「はい!」


 腕を貫かれ、引きちぎられて、肉塊は嫌がるように震えた。めちゃくちゃに手が振りまわされる。ヤマが柄頭で腕をからめて引きずりおろし、そのまま打ち払う。モモカが巻くようにいなして下からなぎはらい、返す刀で切り下げる。


 肉塊は特にアオの槍を嫌がるように身をよじった。上から突き刺され勢いよく払われる槍を止めようと手を一気に伸ばした。ほとんどの腕をいっせいにアオに向ける。


 アオが手に飲み込まれないよう、ヤマとモモカが腕を散らすように切り飛ばす。肉塊がいきりたって暴れる。

 モモカの動きが遅れたのを、ひとつの腕が狙って飛んだ。とっさに長巻で受けるが、刃がうまく立たなかった。衝撃に手がしびれて長巻を落としそうになるのをぎりぎりで握りなおす。しかし手はすぐそこまで迫ってきていた。


 発砲音。ヤマが剣から手を離し、右腰の拳銃を抜いて撃った。銀弾が手にめり込む。そこから先の手が塵になってぱらぱらと落ちた。

 次から次に向かってくる手を、モモカが落ち着いて切り下ろした。ヤマが剣を左手で拾いあげ、振り払う。


 その中をアオは肉塊から離れて上へと飛んだ。そこに多くの腕が殺到した。まるで太い肉の柱のようだ。

 その様子を、イチコは校舎の窓から見つめていた。上空へと伸びた腕たちのつけ根、ややくびれた一点を狙う。腕の動きに呼吸をあわせ、引き金を引いた。

 そのとたん、破裂音がして腕のおおもとが吹っ飛んだ。腕がバラバラになって塵として舞い落ちる。


 塵の中を槍が肉塊に吸い込まれていく。重力にまかせ、肉の中心を差し貫いた。重い手ごたえを感じ、腕いっぱいにざっくりと振りぬく。肉塊はいっぺんに塵になり、残った一部が地面へと潜るように消えていった。


 アオが飛びたち、地上のヤマがスマホをとる。ここでやるべきことはやった、次で決まる。






「来るぞ」


 ミトラが張り詰めた声でつぶやいた。木の根はきれいに掘り起こされている。作業員はすでに遠くへ行っているはずだ。

 ぐらぐらと地面が揺れる。まともに立っていられない。濃い土の匂いが、むせかえるほどに立ちのぼる。地面が割れ、不吉な音をたてて一夜木があった穴が口を開けた。


 ずるりと大きな肉塊がはい出てくる。これが本体か。それが抜け出た穴をさっと陰が覆いかくした。ユエンが肉塊が地中に戻れないよう塞いだのだろう。


 上空からおりてきたアオは見た。その肉塊の内部に、外の肉とは別のものがいることを。食人鬼の目はこの吸血鬼によってもたらされたものだ。主人を判別することができるらしい。


 すっと静かに息を吸う。それを長く吐き出しながら、アオは上方から槍を繰りだした。「中身」を傷つけないように。


 肉塊のあちこちで見開かれた目がアオに気づいた。腕がうねりをあげてアオに襲いかかる。空中でぶん回して手を切りとる。塵のなかを他の腕に切りかかり、打ち落とす。


 手はどこまでも追いかけてくる。襲いかかる手をいったん逃し、空に振りぬいたところを上からななめ下に切り落とす。散らばる塵が広がって見えなくなる間に、手と手の間に入りこんで本体の表面に槍を突き刺した。


 刺したところがぼこりと盛り上がり、切られた場所に大きな裂け目が現れた。それは口だった。そのまま牙の並んだ口をアオに近づけ、飲み込もうとする。槍を振るうが手が回り込んで逃さない。


「アオ!」

「コウくん!」


 たまらず建物の影からコウが飛び出した。ミトラが思わず手を伸ばしたが、そのときにはもう届かないところにいた。コウは走った。まるで飛ぶように駆け、肉塊へと向かう。


「おまえが!」


 肉塊の目が、視界に現れたコウを捉えた。アオに向かっていた手が、ゆっくりとコウのほうに向きを変える。しかし伸ばされたその手はコウをするりと避けていく。竜の血のまじないだ。


(……私の子なのに! どうしてジャマをするの!)


 コウが肉塊の目を見かえす。それは四色をしていて、それぞれの方向からコウを見ていた。ここで立ち止まったらずっと動けない気がして、コウは叫ぶ。


「ぼくはジャマじゃない!」

(わたしにはなんにもないのに、誰かの思うようにはいられなかったのに!)

「じゃあ、おまえはなんだ!」

(わたしはつまらないもの、どうでもいいもの。ここにいてはいけないもの。みんなだってそう!)


 コウはずるいと思った。自分を守るために他を傷つけるもの。ずるくて汚くて弱くて嫌なやつ。そんな自分は大嫌いだ。でも、コウはかっこよくなりたかった。


「ちがう! みんな、だいじなものだ!」

(ああ、私の子なのに、どうして私に逆らうの? 一緒にいてはくれないの?)

「ぼくはおまえじゃない! おまえの言うことなんて知らない、聞かない!」


 それは怒っていたけれど、どこか寂しそうだった。コウによく似ていた。でも、コウとそいつは違う。どれだけ同じところがあったとしても、決して一緒にはなれないものだ。


 だから負けるつもりはなかった。言う通りにしてやるものか、思い通りになってたまるかと牙をむいた。そのとたん、いくつもの手がコウをおおった。






 ミトラの肩を押さえた竜老公がわずかに表情を固くした。いつのまにか男の姿になっている。雨はすでにあがり、雲の合間に星が見えていた。夜明けがくればユエンの広げた陰が弱くなってしまう。この肉塊を、再び逃すわけにはいかなかった。


「あの子は……血のまじないに抵抗したのだな」


 竜の血にかけられた、血族を攻撃できないというまじない。それがコウの叫びと共に、ほんの少しだけ弱まった。

 コウは自分の人生を進みはじめた。それを妨げるのであれば、たとえ血の繋がるものだろうが拒絶できる。


「……いいのか?」

「大丈夫だよ。あの子はきっとうまくやるさ」


 竜はかわいい娘を否定することはできない。だから、ここから先は竜老公ではできないことだ。


 手を振り払ったアオが飛んできて、コウにからみつく腕を切りとった。コウは投げ出されて地面を転がり、また立ちあがる。青い目に虹が浮く。手はまたコウに向かってきたが、見失ったように空をつかんだ。距離感を狂わす目。


「ぼくは大丈夫! だから……」


 引っかきに来た手を瞬間的に体をずらして避けたアオ。そのまま横から槍を当てる。混乱したように暴れ狂う手を蹴り上げるようにぐるりと位置を変え、左手の槍で薙いだ。


 そちらに反応したところを右手の爪で引きちぎる。左手で槍を抱え、手がからみついてくるのを受け止め、アオは右手を伸ばしてかき切った。


 アオの右手も吸血鬼の影響を受けたものだ。本来、攻撃できないはずだ。それが切ったということは、伸びてくる手は吸血鬼本体ではない。人の情念そのものだ。


 アオは肉を引き裂き、内部の本体をあらわにしようとする。コウは肉塊から離れたところに立って、しっかりと肉塊を見すえた。虹色がうかぶ。「こっちだ」と言うように距離感をねじ曲げる。


 腕についた目がコウを見つけた。一気にそちらに向かって腕が走った。ひとつの手になってコウを取り込もうとした。……遅い。アオが身を沈める。


 大きく膨れあがった手が本体と十分離れたのを見て、アオはそれらを切り離した。そのとたん肉が塵になって舞い散った。

 あっけなく、それは消えていった。

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