第18話、追い込む 下

 地図を前に、誰がどこに配置されるかを確認した。吸血鬼を引き寄せ、人の念であるという肉を切りとって弱らせる。その後に青戸の一夜木を掘り返し本体を釣り出す。残った肉をひきはがし、そこから先は竜がやるということになった。


「他に聞きたいことは」


 ひととおり流れを確かめたあと、ヤマが見まわした。緊張した顔のモモカ、やってやると意気込むトモエ、もう一度確認しているナヨシ、落ち着いているイチコ。その後ろでミトラがタカノリに電話で指示を出していた。タカノリは関係各所を走り回っているところだ。

 じっと聞いていたコウがユエンの前に出た。まっすぐに竜老公を見あげる。


「……ぼくもなにかできる?」


 言葉は出さなかったが、人間たちの間にためらいが生まれた。人ではないといえ、人の形、それも子供を見れば、そのように思えてしまう。逆に、人殺しの人外と思えば、これも信用はできない。その狭間で人間は思考する。


「なんだ。コウくん、やりたいのか?」


 すぐに答えたのはミトラだった。近所の子供に話しかけるように。


「やりたい。ぼくが考えて決めた、から」

「いいことをしても悪いことをしたのはなくならないよ。取り戻せないし、やりなおせない。なかったことにはならない」

「うん」


 人生、いつだってやりなおせるとは言うけれど、その前に戻ってやりなおすことは不可能だ。起こったことはなくなりやしない。いつまでもその人についてまわる。だけど、コウは何もなかったようにしたいとは思っていなかった。


「だけど、これから新しく始めることはできる。コウくんはどうしたい?」

「ええと……分からないけど、何かがしたいと思う。あれはだいじなものを壊すから、きっと悲しい。悲しいのは嫌だ。だから、ぼくは何かしたいんだ。たぶん、それが、かっこいいってことだから」


 あの吸血鬼を止めなきゃならない。そうしないと、クナドみたいに泣く人がいるんだろう。それは嫌だった。クナドをもう、泣かせたくなかった。

 それは、きっとコウがコウのまま、コウの中で変わることなのだ。


「……それは善い。では、やってもらおう」


 竜老公が髭を揺らし、はははっと笑った。

 彼は自分を見つけたいのだ。人のように育てられた子供として、ただ守られるだけのものではない、哀れまれるものでもない、自分自身として生きるものになろうとしている。そういうものがいることは、きっと、人間にとっても悪いことではない。

 竜はコウの肩に手を置き、ぐるりと人間の表情を見てから、ミトラに言った。


「我らには血のまじないがある。同じ血を持つ彼女とは互いに傷つけあうことができない。それはこの子も同じだ。肉を引き剥がしたあと、彼女の懐に入るためにはコウの力が必要だと考える。……まかせてもらえるだろうか」

「わかった。コウくん、どうかお願いします」


 彼が解決に必要だというのであれば人間が何か言うことはない。ミトラに礼儀正しく頭を下げられて、コウは照れたように軽くうなずいた。竜老公は懐から一枚の紙を渡す。折りたたまれた様子もなく、その大きさのままきれいに出てきた。くるりと丸めてコウに渡す。


「その時がきたら、彼女にこれを見せてやってくれ。だいじな仕事だよ」

「うん。ちゃんとやる」


 コウはしっかりと答えて絵を受け取った。緊張したようにぎゅっと握っている。ふふっと笑ってその首の後ろにユエンが手を回した。探るようにして、首のつけ根から灰色の鏃を抜く。黒い長い髪の毛が何本かするりとほどけた。


「これはもういらんな。自分で決めて進むとよい」






 赤みの混じった黒い翼。鳥のものともコウモリのものとも似ていない。ゲンが形を変えたそれは、マントのようにさえ見える。それをひるがえしてアオは闇を飛び上がった。ユエンを傍に抱え、この都市の一番高いところまで。トンと足をついたのは深夜のスカイツリー、展望回廊の屋根上だ。


「……人の血を土にまいて呼び寄せ、そこを叩く。おそらく人の念に当たるだけだ。それでよい。情念をはがして弱らせ、木を掘り起こしてそこから本体を引きずり出す」


 アオは右手に黒の手袋をしていた。服で隠しきれない首から右顔にかけてが、灰色になり筋と血管が浮きあがっている。右目は落ちくぼみ、中から濃い金青の眼球が見えていた。それは生きた目ではなく冷たい石のようだ。暗い中でもユエンの顔がはっきり見えるのはこの目のためか。

 一方のユエンは牛のような角が生え、金と赤の混じった鮮やかな目でアオを見ている。


「私は影を使って都市の地面を全て塞ぎ、誘導する。あとはアオ、おまえが人の念たる肉と切り離せ。そうしたらコウと竜の小童がなんとかするだろう」


 そして灰色の鏃を渡した。それはアオの手に触れると、なかごが長く伸びて槍のようになる。アオはそれを軽く振ってみて、手になじむことを確かめた。ユエンの使い魔になったからか、ユエンの一部分である翼も槍も自分の体のように感じられた。


「いいかんじだ。ユエンさん、まかせたよ」


 アオたちは命をあずけると言った。それは深い信仰に近いものだった。


「……『信じる』と言ってくれないか」

「うん、俺はユエンさんを信じてるよ」


 信じているとき「信じる」とは自明のことであり、わざわざ口に出しはない。それを言葉に乗せることは強力なまじないだ。

 アオはユエンを見てうなずく。ユエンも見かえしてうなずき返す。きっと大丈夫だと気やすく笑いあった。


「じゃ、行ってくるわ」

「ああ。行ってこい」


 そのとたん影がこの大きな都市を飲み込んだ。






「血を抜かれて、それで戦えって? 無茶いうよ……」


 両国の公園。だるそうなトモエのぼやきは、ナヨシとリョウアンの他に誰も聞いていない。吸血鬼は生の血液を好むので、トモエたちの血を使って誘き寄せる。少量の血で引きつけられるわけではないようで、アオに反応したのは一度アオの腕を裂き、血の匂いを覚えていたからだ。


 組合と鬼害対はアオを除いて全員、額に竜の血で印をつけた。今はもう目に見えないが、竜の守りだ。竜の血族と一瞬誤認させることにより、受ける攻撃をゆるめるとか吸血鬼の恐怖に対抗できるとかなんとか。


「まだかかるか」


 スマホを見ながらナヨシがつぶやいた。竜老公の話から数時間、もう少し準備する時間が欲しかったところだ。翌夜でもいいのではと思ったが、竜老公の側に問題があると言う。つまり、竜が見つかる可能性をできるだけ少なくしたいのだと。

 竜は狙われている。竜老公が吸血鬼にしたものに。今存在する吸血鬼のほとんどすべてを作り出し、人を襲うことをよしとした一体だった。


「……ユエンさんのほうは大丈夫。こっちはどうです?」

「ミトラさんの合図待ちだ」


 黒い空に黒い翼をはばたかせてアオがおりてきた。ナヨシがうなずいた横で、リョウアンが面白そうに大きな翼を見た。吸血鬼はコウモリやガに変身して空を飛ぶという。例えば人間が魚のような側線を持っていたらどう感じるのだろう、犬や猫のような尻尾を持ったらどう動かそうというのだろう。


「それ、どんなかんじなんですか?」

「チャリンコみたいなもんです。考えてなくても動かせる。ユエンさんは脳を使いすぎるって言ってたけど……」

「へえ、いいなあ。ボクも欲しいよ。カッコいいし」


 トモエが「バカなことを言う」とリョウアンの腰を力いっぱいはたく。リョウアンがびくりと跳ねて叩かれたところをさすった。「痛ったいなあ」。

 少し空気がゆるんだのを打ち切ったのは呼び出し音。ナヨシがスマホをとった。


「はい。……始めます」






 青戸。一夜木の付近では黒い空に細かい雪が舞っていた。

 警官に案内されながら、近所の住人が連れ立って避難している。夜遅くに申し訳ないが、こればかりは仕方ない。その向こうで一夜木の根を掘り返す準備をしていた。

 その一方、コウが天を見上げている。


「天気はひとりの行為とは関係がないよ。善悪とも。たまたま、そうなっただけだ」

「……うん」


 ミトラの肩の上にガが一匹止まっていた。竜老公の使い魔だ。先ほどまで話していた男も竜本体ではなくこのガである。


「竜老公、どうして今になって協力することにしたんだ?」

「人目を避ける必要があったんだ。……あの娘をそそのかした吸血鬼がいた。今、存在する吸血鬼のほとんどを生み出したものだ。それは我の本体を狙って、子の吸血鬼や食人鬼、傀儡かいらいを放っている。傀儡とは人の死体だ。食人鬼ではなく、人に成りかわってそこに生活する。我を認識すると、それを共有して認識した個体を殺そうとするだろう」

「自分の傀儡をか? なぜ」


 竜を直接襲うのであればわかるが、どういうことだとミトラが疑問を返した。


「あれは我を消すことはできない。血のまじないがあるからね。だから『偶然』によって殺そうとしている」


 血のまじないは強い。竜はそれを殺すこともできないが、逆に殺されることもない。だからそいつは殺そうとせず「たまたま」巻き込まれて竜が死ぬように考えた。それは人の心を読む妖怪が、偶然はぜた木に驚いて逃げるようなものだ。


「最悪を考えてみるといい。我の近くで核兵器が使われることを。……人間もそれを望まないと思うが?」

「なるほど、それは怖い話だ」


 時間はすでに丑三つ時をすぎ、眠らない街の短い夢の中だ。短時間で住人の避難と、各地点の地下に何が埋まっているかの確認した。タカノリはよくやったと思う。こういう仕事は信頼できるやつだ。

 一夜木も周囲が深く掘られ、伸びた根が切られた。合図さえあれば掘りあげられる。その後の作業員の避難とあわせてタイミングを図る必要があった。


「怖いか。恐怖とは想像力だ。何も知らず考えなければ怖くはない。……人間は怖いものを恐れつつ好むのだな」


 竜老公はおだやかに微笑んだ。恐ろしい金色の目が柔らかく細められる。


「む? 怖いのが好きだと?」

「ジェットコースターとか、お化け屋敷とか大好きだろう?」

「それは……人によると思うが、まあそうだな」


 怖いものは興奮する。絶対自分に危険がない創作物の中では核戦争だって楽しめる。個人差こそあれ自分の恐怖心を試し、それを乗り越えて満足感を得るのだろう。偽の恐怖を克服した体験は、現実で未知の恐怖を乗り越える道にもなる。


「鬼ごっこでもブランコでもなんでも、怖いことをつくって遊びにして楽しむ。怖がりな私にとってはうらやましい。……少し前、恐ろしい吸血鬼が倒される小説をいくつか書いてもらったことがある。人はそれを喜んで楽しんだ。そして吸血鬼に対抗できるようになったというわけだ」

「小説を書かせた?」


 吸血鬼の小説といえば、有名なものだと「カーミラ」や「吸血鬼ドラキュラ」か。派生したものを含めれば数えきれないほどある。実際の吸血鬼はあまり知られていないから、人々の吸血鬼のイメージというのは多くがこの創作物によるものだ。


「ああ、映画にもなった。……我は映画が好きだ。ホラー映画というものだな。このあいだ見たのは『ネオギガシャークvsメカグール団』というものだ。人間からの評価はよくないらしいが、見ると『怖い』ということは面白いのではないかと思えてくる。じつに良い」

「ははは。バカバカしいか。そうだな、怖がるということは時におかしなものだ。笑えるじゃないか」


 通話をしていたタカノリがこちらを見てうなずいた。周辺住人の避難が完了したらしい。


「よし、始めようか」






「どうだ」

「ボクはおっけー」

「同じく」

「なら、始めよう」


 パックから血をこぼすと、土にじわりと染み込んでいく。そのとたんぐらりと大きく揺れた。少し距離をとってナヨシが戟を握りなおした。トモエが倒れないよう、足を大きく開いて踏ん張る。リョウアンは最初から片膝をついて待っている。


 来る。ゴゴゴ……と地鳴りがして地面が盛り上がったかと思うと、裂けてその中から現れた。強い土の匂いをまとっているのは乾いた肉塊。いくつもの目が開く。黒い目、暗赤色の目、明るい黄色の目、緑褐色の目。そして同じく、牙の並んだ口。


「なんだあれ……」


 その目は人間たちに「見られている」という感覚を湧きあがらせた。その恐怖が足を止める。

 真っ先に動いたのはアオだ。地面を蹴って翼で空気を押し、ナヨシたちの頭上をかける。二度目と思えば怖くはなかった。肉塊は、アオを認識したように手を伸ばす。そこにも多くの目と口がついている。アオの槍がなぎ払って伸びた腕を断ち切った。


 やや遅れてナヨシが三叉戟で手をからめとり、ぶつりとねじり切った。目と口は閉じると消え、また違うところに現れるようだ。恐ろしいそれを意識しないようにしながら、すべるようになめらかに重心を移し突き入れる。


 トモエとリョウアンも四方に広げられた手を切り、腕を落とす。斧の腹で受けてひねり落とし、上から叩き切った。腰を落とし踏みこむと、刀で円を描くように振りきる。手がざらりと塵になって舞い上がる。

 腕は塵になったそばから次々に出てきてきりがない。やってもやっても肉塊が弱った気配がしないので次第に不安になってくる。血を吸ったぶん以上に切りとらなくてはならないのに、このままでは押し切られるかもしれないという恐怖がぞろりと背筋に迫ってくる。


「かまわん! 少しずつだが減ってきてる!」


 アオの言葉を信じる。終わりが見えないが無尽蔵というはずもない。とっさにトモエが地面に手をついて体を跳ね上げた。ひねるようにせまる腕を避ける。すぐに足をついて追撃をかわし、飛び込んで斧の一撃を入れた。手が塵に変わって消えていく。返す斧で上方から来る腕を両断、たえまなく伸びてくるため気を抜けない。


 リョウアンの背後から手が押し寄せてくる。前方の手に対応するのにいっぱいで気づいていない。とっさにナヨシが間に入って盾で受ける。受けが間に合わず、ベキッと嫌な音がした。つかまれる。すぐさま左手の盾を離し、右腰の短刀を抜く。懐に入った腕を切り落とし、盾に組みついた腕を撫で切りにして塵に変える。


 その頭上、低空を飛ぶアオが多くの手を引きつけている。三人が取り逃がした腕を攻撃していく。わずかに手の群れの中に隙間ができた。「頼む!」。アオがそこを目掛けてすべるように突きこんでいく。トモエとリョウアンが寄ってくる腕を払い、ナヨシが近づく腕を打ち落とす。


 翼をすぼめて一直線に接近すると、アオは肉塊に槍を打ち込んだ。ここに「中身」はない。そのままなぎ払うように切り裂いてちぎり取った。引きちぎられた肉塊が塵に変わる。

 残った肉が潜るように地面に消えた。この場所はここまでだ。ナヨシにうなずき、アオは次の場所へと飛びたった。残ったナヨシがスマホをとる。


「柊です。こちらは終わりだ、次を頼む」

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