ひとりの夜。物思ひに耽る。

千鶴

色んな意味で“いい”話


 善意を曲解されてしまった。


 人生そんな場面は少なからず起こりうる。


 “そんなはずではなかったのに”

 “伝え方を間違えてしまったのだろうか”

 “なぜこんなことになってしまったのだろう”


 たった数分前には良好であった関係が、一瞬にして崩れ去る。

 悲しかったり、イライラしたり、理不尽に思ったり、モヤモヤしたり。そんなときは、自分のとった行動で、相手がどんな思いをしたか、相手の立場になって考えてみようと思う。


 例えば、こちらが善意で進言したことが、相手には不快だった場合。内容にもよるが、相手がそれを受け入れられないと言うのは、相手との関係性をこちらが見誤っていた、と言うに尽きる。


 これくらいの指摘であれば今の関係性なら受け入れてもらえる。これくらいの冗談であれば相手は不快に思わないだろう。そう考えて発言したことが、相手にとっては思わぬ方向から突然飛んできた矢のように感じることもある。


 この場合、後に辿る道はいくつか分かれる。


 まずひとつは、不快に思ったことを相手に指摘されたことで、それを受けたこちらが進言を諦めて身を引くこと。この場合、謝罪で関係が修復するパターンも十分あり得る。

 しかし、このときの相手の返答(ないし追加の発言)にこちらが不快感を覚えてしまい、関係性の修復を望まない場合は、そのまま決別の道を辿ることもあるだろう。


 このときの『こちら側が受けた不快感』を紐解くならば、相手は『攻撃をされたことに対する反撃、または防衛』の意図でこちらに発言をしたのかもしれない。それでも、やはり人と人。越えてはならないボーダーラインを有する発言は割と存在する。(頭が悪い、育ちが悪い、デリカシーがない、常識がない、口が軽い、情報理解能力がない、など)


もちろん、それらを発言するに至るまでの経緯や心の機微は、互いにすり合わせて話し合うことが必要だ。ただ、ここでの話の前提として、こちら側がその話し合いを放棄したくなるほどの余りある発言があったことを理解いただきたい。


 ここで、最初に定義した『相手との関係性をこちらが見誤っていた』という発言に話は戻る。それは前述したような内容を『私ではない他の誰かが進言していた場合には、受け入れられることもある』という点である。


 詰まるところ。相手が信頼信用に値するだけの価値が、私にはなかったのである。


 距離感というものは、不確かであって明白で、実に難しい代物だ。

 このような経験は歳を重ねるごとに減少していくが、悲しいかなまだまだ私も尻が青い……と思うなどした初秋の夜であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ひとりの夜。物思ひに耽る。 千鶴 @fachizuru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る