第3話

 婚約者予定のエドモンドと初めて会った日に魅力的と言われたものの、当時十三歳のシンディは死んだ魚の目で「ソウデスカ。ソレハコウエイデス」と辛うじて返しただけだった。


 まあ嬉しいわ胸キュ~ン……などなるわけがなかった。


 そもそも気持ち悪いと面罵して誉められる時点でおかしかったし、心から嬉しそうにしている様は年下相手に怒るのも大人げないと無理をしているようにも、或いは演技のようにも全く見えなかった。

 自らを傷付けられて快楽を感じるタイプの人間は、その程度の差はあれ一定数この世にはいるらしい。

 この恵まれた容姿の男は見かけによらず特殊な属性なのかもしれないとシンディは九割方の疑念を抱いた。あとロリコンなのかもとも。無論口には出さなかったが。


 イケメンで優しくて属性がアレ。


 気味悪い気持ち悪いを遥かにすっ飛ばして絶対無理しかなかった。


「僕のこともグリーンなんて他人行儀じゃなくエドモンドと、エドでもいい、是非そう呼んでくれ」

「ワカリマシタ。デハエドサマトオヨビシマス」

「ああ、そうしてくれ」


 結局もう少し横になりたいからとエドモンドには出て行ってもらって、食事は内側から鍵を掛けたこの別室で静かに安全に一人きりで済ませた。廊下でエドモンドや実父とうっかり遭遇して嘔吐したり気分の悪さがぶり返しても嫌だったので、胃の中の物がある程度消化するまでは決して別室からは出なかった。


 何はともあれ当事者の片方を抜いた両家の会食は会話も弾み、とりわけエドモンド本人がとても乗り気だったらしく、婚約話はトントン拍子に進み成立した。


 シンディとしてはどうせ拒めないだろう婚約に今更駄々をこねる気もなかったのもあって、諦観を抱いて受け入れていた。

 ただ、どうか今後結婚しても白い結婚のままでいさせて下さいと教会に通い詰めて真摯に祈ったものだった。

 因みに、婚約早々に結婚はまだでも婚約はしたのだからと、父親の借金はグリーン家が全てを肩代わりしてくれて、ゼロ。

 シンディは随分と太っ腹だと感心と感謝をしたものだ。

 きっと自分がまだ十三歳と若過ぎて、十五、六の一般的な貴族の結婚開始時期まで待っていてはローワー家が破産して一家で首を括りかねないと危惧したのかもしれない。


 話は逸れるが、イケメン婚約者への嫌気とは裏腹に、彼の両親に対してシンディは好印象を抱いていた。


 何故なら、将来の義理の父が超絶不細工……いや物凄くカッコ良くないのだ。どう見ても健康的な喋るゴリラでしかなかった。

 逆に将来の義理の母は一見妖精かと見まごうような絶世の美女だった。

 息子と同じさらりとした銀髪が彼女の儚さを際立たせていて、シンディは両家の初顔合わせの会食の日、思わず陶然として見惚れたものだった。……まあその直後にエドモンドを見て吐いたが。

 並んで立てば美女と野人という表現が世界一ピッタリな夫婦だとシンディは思ったものだ。

 どう見てもエドモンドは母親似。非常に勿体ない。父親似だったらなんの問題もなかったのに、人生そう都合良くはいかないものだ。


 あの悪夢の会食から早四年。


 今ではシンディ・ローワーがエドモンド・グリーンの婚約者だという話は貴族社会ならどこの誰でも知っている周知の事実だ。

 あの超絶美形のエドモンドに卒倒しない女性が現れた、と婚約当時は世間を騒がせた。

 シンディとしては不本意にも目立ってしまったのは仕方がないにしても、婚約者に興味がないのを友人達から乙女の理想の男神を目の前にしてどうしてときめきもせず平静でいられるのかと説教されたのは、理不尽でしかないなと思った。

 振り返れば、十四歳になってデビューを果たした社交界では二人の間に横槍を入れてくる無粋な相手は誰もいなかった。誰かがエドモンドを誘惑して破談に持って行ってくれればいいのにと常日頃思ってもいたシンディだ。そう思い続けて今に至る。

 世の中思うようにはいかないものである。





 天から愛されたような恵まれた容姿を持つエドモンド・グリーンという男は、案外不幸な男でもあった。


 見目が良すぎて会話する女性達が悉く頬を染めてしどろもどろになるので、理性的な会話が成り立たないことしばしば。

 不意に肩がぶつかったり手が触れただけでも気絶されることがあり、謝罪さえ儘ならないことしばしば。

 時には本能のままに抱き付かれるも最終的には鼻血を噴いて卒倒される。中には倒れた拍子にどこかをぶつけて怪我をする令嬢もいて何度病院まで足を運んだ事だろう。ただ見舞いに行ったところで会話にならず、かえって鼻からの出血多量で病状悪化するとして、相手の親族や病院からは見舞いが目的の来院禁止を言い渡される始末。彼は何もしていないどころか介抱をしてやったというのに何とも気の毒な顛末のオンパレードだ。

 これでは婚約者以前に、一夏だけの恋人もろくろく作れない。


 令嬢達だって教訓を学ぶもので、誰しも不埒な興奮で鼻血ブーして失神するなどと言う、世にも恥ずかしい自らの失態を大勢の紳士淑女達の前で晒したくはない。


 いつしかエドモンドは見ているだけが無難で大満足の高嶺の花、観賞用の歩いて喋るドール、そんな扱いの男になっていた。


 令嬢達からは麗しいと大人気にもかかわらず、彼がいつも舞踏会などで遠巻きにされているのはそういう理由からだった。


 そのせいか、彼の男友達はモテるのをひがむどころか同情的ですらあった。

 そんなわけでまともに彼の話し相手が務まる女性は限られていた。

 身近な所では母親がその一人だ。


 そしてもう一人、イケメンアレルギーの婚約者シンディ・ローワー子爵令嬢その人だ。


 女性からある意味散々と言っていい扱いをされているエドモンドだったが、件のシンディからはもっと散々な態度を取られていた。

 されど母親の教育の賜か、女性は大切にして護るべき存在なのだと心の底から刷り込まれていたので、不幸にも婚約者への優しさは微塵も揺るがなかった。

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