第4話

「――じんましん!? そこまで!?」

「しっ声が大きいですよ。いつも言っているじゃないですか。優しさを表に出さないで下さいと。鬼軍曹とか氷の皇帝みたいな感じじゃないと、私本当に無理ですからね?」


 話を最初に戻すと、招待された舞踏会でシンディとエドモンドは壁際近くに寄って話していた。

 声のトーンを落としているのにやや距離を開けているのは何とも効率の悪い話し方ではあったが。

 周囲も気を遣って近付きはしないものの、どうしてもちらちらと聞こえてくるじき夫婦の会話には似つかわしくない単語の数々には怪訝にしていた。


「鬼……氷……。ああわかったよ。そうだったよね、君は優しいイケメン嫌いだったよね。でもシンディ、これだけは言わせてくれ。本当に君は今日も綺麗だよ。毎日毎分毎秒君に見惚れるこの僕を許してくれ……!」


 はあ、とシンディは深い溜息を落とす。


「ですから、それが無理なんですと何度申し上げれば宜しいんですか?」


 この分だと今日の舞踏会は別行動だな、とシンディはしわの寄った眉間を指先で揉んだ。


(ああもう、ホント胃がもたれそうでつらい……)


「甘い言葉もNGだったね。僕がうっかりしていたのが悪かったよシンディ。怒らないでくれ」

「すみませんエド様、怒ってはいませんし、ちょっと今はこれ以上その切なそうな顔のまま近寄らないでもらえます。どちゃくそ久しぶりに――吐きそうです」

「吐きそう!? シンディと婚約してかれこれもう四年なのに、まだ慣れないんだ……」


 どんよりと落ち込むエドモンドの姿に、シンディは優しそうな微笑を浮かべているよりはマシだなとの実に乾燥した感想を抱いた。


「申し訳ありません。ですのでお願いしているようにして下さい。でなければ今夜だってダンスもろくに踊れませんからね――吐くので」

「……わかったよ」


 エドモンドは気乗りしない様子で答えたが、瞬きの後、ガラリと表情を変えた。


 冷たさが滲み出る眼差しへと。


 元からそのような表情の男だと言われればそうとしか思えないような完璧さだった。





 シンディは豹変した婚約者の美顔をジト目で凝視した。

 カチコチカチコチカチコチ……ときっとエドモンドの持つ金時計が彼のポッケの中で三十秒はカウントしただろう。

 その彼の方は表情を動かさずも極限の冷や汗を額に浮かべている。誰しも年下の可愛い婚約者からじっと見つめられてはそうもなるだろう。

 しかし、しかしだ、彼は表情を崩さず耐えた。


「ふーん、何とか合格ですね。一応は一安心です。最後までそのままでいて下さいね、エド様」


 落ち着いた声音のシンディへとエドモンドは冷ややか演技で「言われるまでもない」と鼻を鳴らしてみせる。普段女性にすこぶる優しい彼がとても無理して頑張ってくれているのがわかるだけにシンディは内心で申し訳なく思う。けれど背に腹は代えられないのだ。

 あともう一つ、微笑ましくも思った。


(頑張る人は嫌いじゃないもの。何より私のために努力してくれてるんだし有難い)


 彼は無言のままシンディの方へと手袋を付けた片手を差し出してくる。


「エド様?」

「踊ってやるからさっさと手を取れ」


 声の大きさを通常に戻しての抑揚のない声音と辛らつな台詞だった。


 そう言えばそろそろダンスが始まる頃合いだ。だから彼は友人達との談笑をやめてシンディの所にやってきたに違いない。因みに彼女は一人で軽食を楽しんでいた。幼い頃は不品行の父親せいで食事も節約節約の繰り返しだったせいか、こう言った場でのちょっとしたものでさえ豪勢な料理は食べないと何となく気が済まなくて家に帰れないのだ。これこそが損な性分だと彼女は自分でそう思う。


「ええ、喜んで」


 シンディはおずおずとしてエドモンドの傍へと近寄っていくと、素直に婚約者の手を取ってこの上なく満足げに微笑んだ。

 一瞬エドモンドの顔が弛みそうになったが彼は忍耐を総動員して表情筋の引き締めを図ったようだ。


 そうして連れ立ってダンスホールへと向かう姿に周囲はざわついた。


 エドモンドの変化もそうだが、それに輪を掛けてのシンディの反応だ。


 普通の純情な令嬢なら臆するかむっとするか、最悪泣き出したとしても不思議ではないのを、一切動じずに平然としているのだ。

 いや、笑顔さえ浮かべて嬉しそうなのだ。

 肝が据わっていると思う者はこの会場では三割くらいだろう。残りの七割は初めて見た光景に戸惑う者が一割と、そして、シンディ・ローワー子爵令嬢が特殊な属性の持ち主なのだろうと推察する者が六割だった。





 エドモンドが無情な男でいる間は傍にいても平気だと気付いたのはいつだったか。


 シンディがまだ十六歳だった半年程前だろうか。

 久しぶりに彼と参加した貴族の集まりでだったと思う。

 それまでは学業があるとか体調が優れないとか趣味の薔薇の世話が外せないとか、または飼い犬が糞詰まりで……などなど、あの手この手でなるべくエドモンドと一緒に出掛ける機会を作らないようにしていた。

 何しろ馬車の中や舞踏会の最中に吐いては最悪だ。

 ただ生まれ持った神級のイケメンなだけなのに彼にも責任を感じさせてしまうだろうし、そもそも迷惑を掛けてしまう。


 シンディは美男嫌いだがエドモンドの存在を全否定しているわけではない。それくらいの慈悲はある。


 彼が神々しいのは彼の罪ではないのだ。内面の人の良さを凌駕して彼の面の皮が嫌いなだけなのだ。

 各種パーティーの誘いにしても、いつまでも断り続けるのが苦しくなってきて、とうとうあの日は彼に伴われて出掛けたのだったか。


 そこで不用意にエドモンドから離れ一人でいたのがきっと悪かった。


 参加したのは寄付を募る慈善パーティーで、そこで羽目を外した酔っ払いに絡まれたのだ。


 今思えば前以て「一緒にいると具合が悪くなるので、どこか一人でいても安全な場所に案内して下さいませんか?」と確認しておけばよかったと思う。

 知らない者が聞けば酷い言い種と思われそうだが、婚約してからというもの彼はちょくちょくローワー家を訪れていたし、シンディが基本美形が駄目だとは説明してもあったので、シンディの正直過ぎる物言いにももう結構慣れていた。

 まあその都度ごはんを主人にお預けされるわんこのような切なそうな顔はされるが、いつまでも引き摺らないのでこいつかなりメンタル強いな、やはり属性がアレだからか……とシンディは密かに合点したものだった。


 話を戻すと、助けてくれた時の厳しい表情と酔っ払いへと向けられた冷ややかな眼差しが全然知っている彼らしくなくて戸惑って、尚且つ抱き寄せられ庇われている間は嫌にもならなかったし、密着していたのに一切吐きそうにもならなかった。


 平気過ぎて自分にビックリしたというのが偽りない本音だ。


 これは結婚後に何か役に立つかもしれないと、シンディはその日の自らの感情を掘り下げると決め、その結果もしかしたらと思い立ち彼に鬼畜演技をしてもらったところ、見事に近寄っても抱きついても平気だったというわけだ。

 自分を気遣わずぞんざいに接してくれる限りはイケメンでも嫌悪の対象には当てはまらない。


 つまりはエドモンドから「優しさ」がマイナスされたおかげで、彼と接しても吐き気を催さなくなったらしい。


 加えて、顔を見ただけで吐いた初対面時よりも彼への耐性ができていたと考えて良いだろう。人間やはり慣れはある程度はあるものらしい。

 そして、それまではほとんど参加していなかった貴族の集まりなどにも、以来進んで一緒に参加するようになるのだが、その条件としてシンディは彼に冷たい男な演技を要求したのだ。

 ただそれが意図せずも、割に合わない評判を得てしまうという過酷な現実を齎しもしていたが。


(はあ、私が逆にソレ属性だと思われるなんてね……。ふう、私はただ置かれた状況の中で、より過ごしやすい人生を目指しているだけなのに……)


 婚約者にエスコートされながら、シンディは向けられた周囲の眼差しをちらと見て内心で嘆息した。


 本当に世の中は儘ならない。

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