第2話

 かつての、エドモンドとの初顔合わせは親族オンリーの会食だった。


 親族と言ってもシンディの兄弟は来ていない。まずは当人同士を引き合わせるのが目的だったからだろう。

 その時も毎日どこかで舞踏会が開かれる現在同様に社交のシーズンの真っ只中で、両家は家族で王都に滞在していた。とは言え社交界デビューを翌年に控えたシンディは舞踏会には不参加だ。


 会食は夜に王都の高級レストランを予約してのものだったが、席には着いていてもまだ食事自体が始まる前で良かったとシンディは心底思ったものだ。


 その後、初見時程の衝撃はなくなり食事ができるかと思ったが、無理だった。

 結局は一人会食の場を辞し、レストラン側で用意してくれた別室の長椅子の上で休んでいた彼女は、来訪者のノックに入室の許可を告げてやる。


 入ってきたのは、最悪にもエドモンドだった。


 また吐き気が込み上げたが、何とか堪えた。

 シンディの苦労も知らないエドモンドは、体調を気遣う言葉をくれ長椅子の傍に膝を突いた。宝石のように綺麗な瞳で覗き込んでくるのは顔色を診てくれているのだとわかったが、より一層具合が悪くなるので冗談抜きにやめてほしかった。


 他方でシンディは震撼すらしていた。


 ここまで具合の悪くなる男性と会ったのは生まれて初めてだったからだ。


 このまま婚約が成立して結婚してしまったら、きっと自分は早死にするのではないかと心配にもなった。


「うーん、まだ少し無理そうだね」

「……そのようです」

「水でも持ってこようか?」

「いいえ、結構です。もう少し一人で休ませて頂ければ良くなると思います。ええ絶対に良くなります」


 とにもかくにも彼の顔を見ていたくなかった。本当に申し訳ないが吐き気を催すレベルで。顔面偏差値MAXの恐ろしさを身を以て実感した日だった。


「そっか、まあそうだよね。邪魔をしてごめんね? ゆっくり休んでいて」


 耳触りのいい柔らかな声と案じる眼差しでそう言って、彼は眉尻を下げる。


(私の事は完全子供扱いだけど、良い人ではあるのかもしれないわ。でも、優しさ――減点百!)


 美形と優しさを兼ね備えた男など、シンディにとっては二重にNGだ。これでは受け入れるのは至難の業。


 しかし、ローワー家の祖父母や実母や屋敷の使用人たちのためにも借金は無くしたい。


 よってシンディは早い所この顔に耐性を付けなければならないと、落ちれば必死の険しい絶壁を登って貴重な薬草を採らんと心に固く決めた少年の如く、厳しい覚悟をした。


 一つ言っておけば父親はどうでもいい。

 彼も会食の場にいたが、シンディの中では「うちのお父様って足臭くて嫌なのよね~」と言っていた友人の嫌悪の言葉以上に毛嫌いしている相手でもあった。

 エドモンドと二人で同じ場にいる時点でもう、シンディにとってその空間は詰んでいた。


「あの、グリーン様、本当に少し休めば良くなりますから」


 辛うじて笑みの形を貼り付けたシンディが退室を促せば、エドモンドはまだ言いたい事でもあるのか膝を突いたまま動こうとしない。シンディが怪訝に思った時だった。


「これだけは言わせてくれないかな。僕の顔を見て誰かに嘔吐されたのは、君が初めてだった」


 彼はさも嬉しそうにそう言ってのけた。

 だろうな、普通は吐かねえだろ……とどこか言葉も乱暴にシンディは思ったが黙っていた。

 ただ一つ、どうして彼が心底嬉しそうなのか激しく謎だ。普通なら傷付くとか不愉快に思うとかするだろうに。

 失礼にもシンディは思った、まさか彼は頭がどこかおかしいのではないか、と。


 加えて、駄目父親を彷彿とさせる優しげな微笑みが気味悪い、と。


「――グリーン様って気持ち悪いですね」


 瞬間、我に返った。


 うっかり思った言葉を、いや少しだけ言い間違えた言葉をもろに口に出してしまっていた。まあこの場合どちらでも大変失礼には変わりないだろうが。

 折角最初のツッコミは淑女らしく我慢したのに声に出してしまった。

 慌てて口元を両手で押さえ激しく咳払いしたが、時既に遅し。

 絶対に怒るだろうと内心気まずい思いで嘆息した。

 婚約の話が白紙に戻っても文句は言えない。

 その場合、土地屋敷や家財を売っての一家離散も視野に入れなければならない。

 全ては駄目人間父のせいで。もっと嫌いになりそうだ。次の休日は絶対に花壇からトゲトゲした薔薇を摘んでこさせて指先を血だらけにしてやる、とシンディは報復としては微妙な報復を密かに決意した。

 我慢できない性分のせいでお金と女性にだらしない父親は、それ以上に「娘のお願い」を断れない性分なのだと彼女は知っているのだ。

 因みに、薔薇の花壇を維持するのはうちは貧乏でも薔薇の咲く庭園くらいはあるのだという来客への見栄が一割、残り九割は食べていくためだ。身分や担当に関係なく屋敷の人間全員で全力で内職のために育てている。新鮮なものを切り花で売るもよし乾燥させてポプリにするもよし。オイルを搾って売れる程沢山は育てていないのでそういう商品しかないが案外質が良いと評判だ。


 それはともかく、目を見開いて絶句していたエドモンドは果たしてきっぱりと言った。


「僕のこの顔を見ながらも臆せず物を言えるだなんて、ローワー嬢、いや親愛を込めてシンディと呼ばせてほしい。君は何て魅力的な人なんだ!」


 こいつは絶対に頭のおかしい男だという確信しか芽生えなかった。

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