第3話:陸の覇王の神殿にて③


 壁の中に作られた通路は、思ったよりも幅があって動きやすかった。小柄なリオノーラはもちろんのこと、鎧の肩部分が横に張り出した騎士が余裕で通り抜けられるのだ。驚いたのはあちらにも伝わったようで、薄暗い中でほほ笑んだのがわかった。

 「こうした隠し通路は、いざというときには避難経路にもなります。護衛のものが戦えるよう、ある程度の余裕を持たせてあるのでしょう」

 軽く解説しながら、魔法で小さい光の球を呼び出して足元を照らしてくれる。音を立てないように歩きながらそっと視線を上げると、リオノーラの目線より頭三つ分ほど高いところに小さな穴が空けてあって、そこから神殿内部の灯火の明かりがこぼれていた。長時間の儀式のときには、あそこから目立たないように燃料を注ぎ足して回るのだろう。

 見廻りは一時間に一度で、今は役目を終えて詰め所に戻っている時刻だ。誰かの足音と行き会うこともなく順調に進み、おおよそ最奥部と思われるところまで来た。相変わらず壁で遮られて神殿側は見えないが、ここの地下が『聖剣の間』――さきほど見張りの目をかいくぐって、リオノーラが『導きの星』を盗み出してきた場所に当たるはずだ。

 (……ば、バレてないよね? 大丈夫だよね? 幻術で剣があるように見せかけてるし……うん、直接触ったりしない限りは……)

 対策はしてきたものの、やっぱり不安になってこっそり剣を抱きしめていると、ふいに遠くのざわめきが大きくなった。思わず足を止めて耳をそばだてると、賑やかな話声がどんどん近づいてくるのがわかる。あっという間に壁一枚隔てた向こう側へ到着した一団が、やたらと陽気にさんざめいた。

 「この度はまことにおめでとうございます、アタナシア陛下!!」

 「ええ、皆も遅い時間に駆けつけてくれてありがとう。国主として、そして生まれた子の祖母として感謝します」

 (うわああああ、おばあ様来たああああ!?)

 壁の継ぎ目に隙間があったのでそろっとのぞき込むと、こっちに半ば背を向ける体勢で立っている女性がいる。金糸で刺繍を施した、豪奢かつ気品ある白いドレス。羽織った緋色の外套は白貂の毛皮で縁取られ、そこにさらさらと流れ落ちる長い黒髪は艶やかで、一本の白髪もない。そう、一本も。

 「今日の良き日を迎えられましたこと、臣下一同感に堪えません。陛下御自身も相変わらずお美しくお元気でいらっしゃいますし」

 「アルテミシアがもの間平和を保っておれるのは、まこと陛下の御人徳の賜物ですなぁ。さすがは神意の元に選ばれしお方です、はい」

 「嫌だわ、お世辞は止してちょうだいな。わたくしはただ、授かった役目を果たしてきたに過ぎません。こうした長寿も英知も、人の身には過ぎたものなのですから」

 (……うんうん、そーですね。ホントにそう思ってるんなら今すぐ伯父さんに譲位して、さくっと隠居してほしいなぁ)

 わかりやすいゴマすりを余裕でかわしてのけるその人は、とにかく見た目が若い上に美しかった。ぱっと見には二十代の半ばくらいだろうか。もし並んで街を歩いたら、親子どころか姉妹に間違われそうだ。この人こそ、天下の大国アルテミシアを率いる統領にして、『永遠とわなる女王』の二つ名を持つ現王陛下だった。

 ついでに、リオノーラにとっては一応祖母に当たるはずなのだが、さっぱり実感がない。というか他人にしか思えない。何せ生まれてすぐに母を亡くしたときも、おととし父が亡くなったときも、さらには行くアテがなくて王城に引き取られたときも、顔も見せず声もかけずほったらかしにされ続けたのだ。その上――

 「――んっ!?」

 突然息が詰まった。いつの間にかすぐ背後に来ていた騎士の青年が、手で口を塞いだ上で抱き寄せてきたのだ。思わず悲鳴を上げかけたが、振り仰いだ相手の顔つきを見て絶句する。魔力の薄明かりに浮かぶ端正な顔立ちが、明らかに強張っていた。

 「あ、あの……?」

 「……突然申し訳ない。気付かれたかもしれません、あの方は人の気配に恐ろしく聡いので」

 ウソだろう、と視線を隙間に戻した直後、リオノーラの血の気も一気に引いた。現王陛下、臣下と他愛ない会話を続けながら、さりげなくこちら側に頭を傾けて耳が向くようにしている。あれは音を聞いている仕草だ。

 心臓が破裂寸前になりながら、必死で身動きを耐えること数分。気が済んだのか、いたって自然な動作で元の立ち位置に戻る。どっと精神的な疲労が押し寄せてくるが、悠長にへたり込んでいるヒマはなかった。

 「今のうちに移動しましょう。王孫子宣下は一時間あまりかかる儀式です、おそらく今晩中は『導きの星ステラ・マリス』の紛失には気づかれないでしょう」

 改めて促されるまでもない。必死で剣を抱え直し、ついでに気を持ち直すと、リオノーラは大急ぎで騎士の後を追いかけた。


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