第4話:陸の覇王の神殿にて④




 こちらを窺うように留まっていた気配が、おそるおそるといった調子で動き出す。足音を立てないように、出来る限りの速度で歩いて離れていこうとしているのが分かった。ほとんど背を向けている壁の中から、難なくそれらを聞き取って、思わず笑いそうになる。無駄なことを。

 (どこのネズミかしらね? 片方が騎士なのは間違いないけれど)

 歩く際に硬い金属音が混じるのは、常に全身鎧を纏っている騎士たちに共通する特徴だ。そして気が付いた時点でいったん耳を傾ける風を装ったあと、元の体勢に戻ったのを『バレていない』と受け取ったなら、大した手合いではない。おおかた下っ端をたらし込んで忍び込む算段をつけてもらった、他国からの間者だ。この国では表はもちろん、裏ですら己に盾突こうという者はいないのだから。

 (いるのはこのお馬鹿さん達みたいに、わたくしにおもねって甘い汁を吸うことしか考えていない連中だけ)

 未だにべらべらと、中身のないおべっかを並べている貴族の重鎮どもに微笑みを向けながら、アタナシアは内心冷笑した。こうした大多数に異を唱えて、仁義を通そうと刃向かってくるような気骨のある面々は、とうの昔に処分済みだ。必要だったからそうしたのだが、こうも張り合いがないと少々物足りなく感じてしまう。暇つぶしのために数名程度は残しておくべきだったか……

 埒もないことを考えていると、奥の間からいくつかの人影が現れた。水盤や聖布、香草などを捧げ持った高位神官たちだ。つい今しがた生まれたばかりの、王家直系では唯一となる男児に聖別を施すための道具である。その後、祖母であり国主であるアタナシアが王孫であることを宣言して、晴れて王族の一員となるのだ。

 型どおりに進めば、小一時間ほどで済む儀式。だが今日は、それに加えてやるべきことがある。今後に更なる求心力と、国を動かす露払いの手を得るための布石だった。

 「――皆、よくぞ集まってくれました。王孫子、そしていずれは王太子となるであろう我が孫の誕生を祝ってくれて、心から感謝します。

 これから我が国が迎えるであろう、苦難の道を思えば、なおのこと」

 一歩進み出て演説を始める。石壁に反響せずとも朗々と響く、清らかな若々しさと同時に王者の威風をも備えた、天与の美声だ。意図せずとも聞く者を虜にする、と評されるアタナシアの言葉に、居並ぶ臣下が首を垂れて聞き入っている。その光景に小気味良さを感じながら、続ける。

 「皆も知っての通り、アルテミシアは度々魔族の侵攻を受けて来ました。しかし、その度に辛くも勝利を治め、結果的に今日の繁栄があります。その要となるのが、この聖堂の地下――『剣の間』に安置された聖剣と、それに選ばれし異界の勇者の力です」

 ここではないどこか、異世界と呼ばれる場所から召喚される若者たち。聖剣を携えて戦場を駆け、数々の武勲と奇跡を起こした彼らのことを、アルテミシアでは『勇者』と称えてきた。彼らを呼び出すことさえできれば、いかなる苦難も物の数ではない。

 もちろん、召喚には大きな代償が伴う。しかしそれすらも利用して、周囲の人心を集める手腕があったればこその『永遠の女王』だ。

 「界渡りの負荷ゆえか、彼らは代々ごく短命。その上、召喚の儀式には必ず人柱――王族の子女、いずれかの血肉が必要となります。それはとても悲しく残酷な定め……ですが、傷みなくして勝利はあり得ない。王族に生まれた以上、避けては通れぬ義務です。

 この度、その大役に選ばれた我が孫娘・リオノーラも、己が使命を見事に果たしてくれることでしょう!!」

 堂々と締め括ったとたん、歓声が聖堂を揺るがした。陛下万歳、リオノーラ殿下万歳と、熱狂した重鎮たちが繰り返す。……相も変わらず、操りやすくて結構なことだ。

 微笑を保ったまま嘲笑し、アタナシアは部屋の隅に視線を向けた。そこに彫像のように佇んでいた聖騎士が、さっと敬礼すると静かに退室していく。こちらも相変わらず仕事が早くて助かる。

 (まあネズミ一匹くらい、目隠ししていても捕まえられなくてはね。何せわたくしの直属なのだから)

 腹の底で傲然と言い放ちながら、現王陛下は聖母の微笑みを振り撒いた。



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