第6話 if 正義だけを見据えた場合

 そもそも、私に正義を語る資格はない。

 その事に気がついたのは、愚かにも全てが手遅れになった後だった。


「おや、もう終わりですか?」


 魔術を一度も使うことなく、東堂とウィズリーを軽々と殺めたニクサラは、血のついた刃を死体の服で拭う。


 魔力欠乏と疲労困憊で地に倒れ伏した私は、砂利を噛むことしかできなかった。

 天賦の才能とでもいうべきか、ニクサラと私たちの間では努力で埋められない差があった。その上の連戦続きの疲労。勝てる道理はなかった。


「私を殺しても、君みたいな人殺しの悪夢人カシマールに居場所はないぞ。必ず、他の冒険者が君を探し出して、報いを与える……」

「ふふ、怖い怖い。たしかに、一人ではこの先の逃亡劇も苦労しそうですね。でも、私には秘策があるんです」


 血のように赤い夕焼けを背に、銀髪の美少女は笑う。

 青白い肌と夕焼けよりも赤い瞳を細めて、ポケットから一つの宝石を取り出した。

 夜の闇よりも暗いオニキス。


「さあさあ、おいでなさい。私の友だち。万物の祖たるマナを糧に、我ら無知蒙昧たる隣人に力を授けたまえ。マインドタッチ」

「────ぁ」


 ぐしゃり、と私の中にあるナニカが砕ける。

 形を捻じ曲げて、折り曲げて、変な方向へ。


「へえ、人の心ってこうなってるんだあ」


 やだ、やめて。

 それ、頭がおかしくなる

 きおくちぎれて、あれ、なまえ、わたし?







◇◆◇◆◇◆◇◆






 下僕にとって、主君に仕える名誉ほど喜ばしいものはありません。


 メイドの正装は黒のワンピースに白のフリルエプロン。

 エプロンとお揃いのフリルカチューシャは、我が主が私の為だけに用意させた一品です。


 今日も主君に快適な目覚めをお届けする為、お気に入りの紅茶を入れたティーセットとモーニングをワゴンに入れて運んでおりましたら、城の廊下にて鼠を見つけました。


「ま、待て! 桜木、俺だ! お前と同じく異世界に召喚された勇者の葛城優斗────」


 そのオニキスのような瞳をじっと見つめてあげれば、鼠はたちまちのうちに大人しくなります。

 我が主人はとても繊細な御方。

 鼠のキーキーという鳴き声が、偉大なる御方の一日を台無しにすると思うと許せません。


「身ぐるみ剥いで地下繁殖農園に連行しなさい。隷属の首輪も忘れないように。相手はお前が務めなさい」


 糞の役にも立たないメスゴブリンに命令します。

 人間よりも上位の存在である吸血鬼の魔眼と魅了を持ってすれば、人間を従えるのは容易です。


 ああ、朝から時間を無駄にしてしまいました。それもこれも見張りが役に立たないからです。そろそろお掃除が必要ですね。その点も含めて相談しなくては。


 我が主君の座す寝室を訪れますと、本日も見目麗しく、この世の奇跡を集めたかのようなニクサラ様が静かに眠っておられました。

 月の光のように美しい銀髪、鮮血のようなルビーの瞳、麗しく青白い肌。そして、人ならざる証の禍々しく肥大化した角。


 一国を滅ぼした、最も偉大なる御方。

 あらゆる生き物がニクサラ様を前に平伏して命乞いをします。そして、気まぐれで殺されないことを感謝するのです。


 この御方に仕える為に、私はこの世に生まれたのだと心の底から思います。

 もう少しお休みいただきたいのですが、ここは心を鬼にして起こしましょう。


「ニクサラ様、朝でございます」

「んう、ふあ……」


 ニクサラ様の無防備な姿を拝めるのは私だけ。ニクサラ様が自ら改良と改造を施し、魂から隷属させた私だけなのです。この優越感は常に私を幸福にします。


「おはよ、ハルカ」

「おはようございます、ニクサラ様」


 ニクサラ様が私に手を伸ばします。

 色の抜けた髪を指で梳き、ニクサラ様には及ばない色素の薄いピンクの目元を親指の腹で撫でます。そのこそばゆくも幸福な快感に背筋が震えました。


「ハルカ、今日も私と同じ髪の色と角と目をしている。同じ穢れも纏っていて、私、すごく嬉しいよ」

「私も、御身と同じ特徴を持つことが許されて、心の底から嬉しく思います」


 私の額から伸びた角は、ニクサラ様と違い、穢れが濃縮されたものですが、それでも主君の喜びの糧となり、同じ要素を持つことが許されているのです。

 家臣として、これ以上の喜びはありません。


「私、毎日が幸せなの。あなたがいて、私のことを一番に思ってくれる。私のことを守ってくれる。こんな幸福が存在したなんて思わなかった。生きていてよかったって生まれて初めて思ったの」


 ニクサラ様の掌が私の頬を撫でます。


「私の全てはニクサラ様のもの。あなたを害する生き物がいるならば、私の牙でその命が尽きるまで生き血を啜りましょう。この瞳で尊厳の全てを破壊させます。だからどうか、心穏やかに幸せを享受してくださいませ」


 ニクサラ様の夢を叶える為ならば、私はどんな事だってしました。

 国を滅ぼしたのはニクサラ様ですが、壊れた城を再建したり、徒党を組んだ人間を調教したり、できることは可能な限り。

 お姫様になってみたいと仰るならば、この世の全てのドレスを手に入れて見せましょう。既にデザイナーは手配してあります。


「あなたの幸福が私の幸福なのです」

「ハルカ。私も、あなたが幸せだと嬉しい。私が幸せだとハルカも幸せ?」

「ええ。幸せでございます。あなたと会えた喜びはあらゆる苦難を試練に変えてしまうほどに」

「じゃあ、私たち相思相愛だね」

「ニクサラ様がお望みであれば。私はあなたのものですから」


 ニクサラ様は微笑みます。

 あどけない少女のように。

 ああ、この笑顔を守る為ならば私はなんでもできます。

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