第5話 死に損ないの復讐劇

「復讐? どういうことだよ、説明しろ春香」


 東堂の求めに応じて、私は頷いた。


「リリーの日記に書いてあった通りだ。この村では、生まれを理由に差別が行われていた。ニクサラ、この辺りではリスが好んで食べる木の実の種類だ。リスを捕食した鳥の亡骸から芽吹く事もある。冒険者の間では、輪廻転生や不死身として昔は重宝されたが、今では死に損ないのレッテルとしても使われる蔑称だ」


 ニクサラは静かに微笑んでいる。

 ウィズリーは全てを知っていたのだろう。無言で目を逸らしていた。


「この辺りでは、十四になるまでどんな事情があっても村や街で面倒を見る法律がある。君はそのおかげで殺されなかったといえるし、そのせいで劣悪な環境で忍耐を強要された」


 ニクサラの頬を、一滴の涙が流れる。

 それがどんな感情によるものなのか、私には理解できない。きっと、彼女にしか分からないものだ。


「教えてください、ニクサラさん。あなたの本当の名前と、何を使って村をこんな風にしたのか。私たちは、それを知る為にここへ来たんです」


 ニクサラは、ゆっくりと目を開けた。

 彼女の体を包んでいた魔術が解けていく。

 病的なまでに白い肌、血のように赤い瞳、そして解いたバンダナから覗く捻れた黒い角。何度も削り、折り、砕いた形跡のある成長不全の角。


「私に名前はありません。母さんの命を奪った化け物に、名前を与えるやつがこの村にいるわけないじゃないですか」


 くすくす、くすくすと笑う。

 青白い肌には、いくつもの傷跡。


「だから、どうかこれまで通りにニクサラと呼んでください」


 本来なら、哀れみを抱くべきなのだろう。

 その時の私を支配したのは、憐憫とは程遠い恐怖という感情だった。


 エルダーリッチが自爆攻撃をしようとした際、彼女は私の前に立っていた。

 庇おうとしていたのだ、出会ったばかりの私を。


「君が、そう望むなら」


 喉が渇く。

 彼女から魔術の気配はしていた。魔術に心得があるものなら、誰だって使うものだ。肌荒れを誤魔化す簡易魔術だとか、そういうもの。

 だが、魔術が解けた今、肌で理解できる。


 ニクサラは、間違いなくエルダーリッチよりも上位の存在だ。

 魔物なのか、人間なのかの区別もできない。

 とにかく、殺し合いになれば確実に負ける。


 ここで擬態を解いたのは、威嚇。

 あるいは、牽制。


「この村に異変を起こしたのは私です。動機は正当防衛とか、復讐とか、そういうものです。ふふ、こうやって犯行の動機を語っていると、ミステリーの犯人になった気分ですね」


 くすくす、くすくすと笑う。


「この村のみんな、そうみぃんな、私のこと、十三年もいじめてきたんです。学校の先生も、お隣さんも、お父さんもお兄さんも、みんな。私が死に損ないだって」

「だからって、何も殺す事はねえだろ。子どもまで……」

「あはははっ、家畜が魔物に食べられた時、こいつらみんな私に石を投げたんですよっ! そのあとでゴブリンの仕業だって発覚した時なんて、なんて言ったと思います?」


 ニクサラはけらけらと笑う。

 私たちの想像する劣悪な環境という前提の浅はかさを嘲笑するかのように。


「『違うなら違うって先に言えばよかったんだ。黙っていたからややこしいことになった。ほら、謝れよ死に損ない。しっかり地面に額を擦り付けて、生まれてきたことを母さんと神様に謝るんだ』」


 ウィズリーの一言に、東堂は言葉を詰まらせた。私も、思わず息を止める。


「ウィズリーなら分かるよね? 違うなら違うって言ったら、どんな仕打ちが待っているか」

「……ごめん、ニクサラ。君のことを、守れなくて」

「いいよ、ウィズリー。君の助けなんて期待してないから。いつも君は見てるだけ。今回はお膳立てしてもらったから動けただけだもんね」


 ウィズリーは俯いて唇を噛んだ。

 血が出そうなほどに、強く。

 それだけで、ニクサラの語る過去が真実なのだと理解できる。


 ニクサラは、ウィズリーに興味をなくした様子で、再び赤い瞳で私たちを見据えた。


「この村に住んでいた人たちを魔物に変えた方法ですが、街に流通している『穢れの酒』という道具を使いました。うふふ、見ましたか? 村の様子。みんな私と同じ死に損ないに変えてあげたんです。そして、御伽噺の魔物のように冒険者に討伐されたんです!」


 恍惚とした表情で短剣の刃を撫でる。

 恐らく、聖なる短剣という話は嘘。

 本当の狙いは、己を長い間にわたって苦しめた元村人たちの亡骸を貶める為。


「そうか。事情は分かった。街に流通している穢れの酒が今回の事態を引き起こした。全ての黒幕は街にいる。それで今回の事件は終わりだ。この村に長居する理由はない。ニクサラさん、ウィズリーさん、東堂、馬車に戻ろう。夜が明ける前に街へ向かうよ」


 東堂は目を見開いた。

 そして、ニクサラを指差す。


「おいおい、こいつも連れて帰るのか!」

「もちろん。この村にいる魔物は倒した。リストに照らし合わせても、残っている魔物はいない」

「だが、こいつは……!」


 私は静かに、それでもしっかりと告げる。


「ニクサラの動機は復讐、そして正当防衛だ。私たちを狙うつもりなら、いつでも実行できる環境にあった。それでも、決行しなかった。彼女には理性がある」


 東堂は納得していない様子だった。

 すれ違い様に日本語で呟く。


「あれは私たちでもどうにかできない。あまり刺激するな」

「……チッ、そういうことかよ」


 魔力量はゼロ。矢の本数も片手で数えるぐらい。東堂も、万全とはいいがたい。体力も消耗している。

 仮にウィズリーと協力したとして、ニクサラを仕留めるまでに大怪我を負うリスクがある。


「街に戻ったら、二人の冒険者登録を済ませよう。村のことはこちらでどうにかするから、二人はとにかく口外しないように。いいね?」


 ニクサラはそっと微笑んだ。

 それが、何を意味するのか、私にはわからない。



 街に向かう馬車の中、緊張の糸が切れたのか東堂とウィズリーは眠りこけていた。

 狭い御者台の中で、隣に腰掛けたニクサラがそっと囁く。


「ねえ、ハルカさん。本当は、私と初めて会った時から分かっていたんですよね、私の正体」

「街には、君のような出自の人がたくさんいる。そういう人たちは、身を守る為に魔道具や魔術で素顔を偽るんだ」

「そっかあ。だから、私を見ても変な顔をしなかったんですね」


 言うべきかどうか悩んだ末に、私は意を決して口にした。


「ニクサラさん、あなたのした事は正解ではありません。でも、間違いだという資格は、その場にいなかった私にはない」


 この世界は、夢のような魔法や魔術や奇跡で溢れている。その下に目を背けたくなるような悍ましい地獄が現実に存在するのだ。

 それでも、地獄のような現実を見据えて、私は綺麗事と理想論を吐く。


「償えと言われても、今のあなたには響かないでしょう。だから、あなたが幸せを感じて、生きていてよかったと思えるようになるまで可能な限り支えます。冒険者は、成果主義です。生まれも身分も実力の有無も関係ない。冒険者としてなら、きっとあなたを社会は受け入れます。そして、生きていて良かったと思える日が来たら……その時は少しずつでいい。あなたなりに罪を償っていきましょう」


 私は、冒険者だ。

 裁判官でも、警察でも、ましてやこの世界に生まれた人間でもない。いつかは元の世界に帰る。無責任かもしれないが、だとしても、ニクサラをこのまま司法の手に渡しても何も解決はしない。


「ハルカさん」

「何でしょう」

「私を庇っても、あなたには何の利益もありませんよ」


 馬を操りながら、月を見上げる。


「……かつて、私もクラスメイトを虐めていました。自分が人と違うことが恐ろしくて、虐められないように必死で、自分よりも弱い存在を見つけては酷い言葉を投げかけました」


 ニクサラは無言で私の横顔を見つめている。


「幼さを免罪符にするつもりはありません。ただ、私は人と関わる方法が分からなくなっていました。酷い言葉を投げかけるたびに、クラスメイトは手を叩いて笑っていたものですから、馬鹿な私は仲間になれたと本気で思っていたんです」


 深く息を吐く。

 思い出そうとするだけで、胸の奥から吐き気が込み上げてきそうだった。

 加害者の分際で、と我ながら思うが、こればっかりは肉体と精神の反応で、理性でどうこうできる問題じゃない。


「自分ではどうしようもない要素で判断され、仲間に入れて貰えず、不利益や不条理を押し付けられる感覚は……ほんの少しだけ分かります。相手を殺してやりたい、自分を殺してやりたいと願う気持ちも。かつての私がそうでした」

「どうやって変わったんですか」

「私は幸運に恵まれていたんです。新しくできた友人は、私が誰かを馬鹿にすれば、全力で怒りました。でも、絶交はせず、根気よく向き合ってくれたんです。私の全てを許すようなことはしませんでしたが、それでも敬意をもって関わりを維持してくれる人でした」


 友人は、本当に人格者だった。

 どうしてだめなのか、どうすれば良かったのか、全てを理論立てて説明してくれた。困っていれば解決策を提案してくれたし、相談すれば解決方法の探し方を教えてくれた。

 今の私があるのは、間違いなくその人のおかげだ。


「その人のおかげで、私は過去に虐めていた人たちに謝罪する勇気を持ちました。謝罪しても許して貰えず、頬を叩かれたこともありましたね。今にして思えば、叩かれるだけで済んでいるのも不思議なほどに酷い行いばかりでした」


 許されなくてもいい、ただ謝罪をしたい。

 あなたは決して間違ってなくて、全ては私の愚かさと幼さが悪かった。

 頭を下げた私を、許す人も許さない人もいた。

 環境が悪かったと水に流した人も、だとしても関係ないと怒る人もいた。

 きっと全てが正解で、全てが間違いだ。

 正義も悪も、見たいようにしか映らない時がある。


「助けを求めろと言われても、誰も信頼できないから助けを求めても無駄という結論に至る。その息苦しさは、死にたくなるほどに辛い。だから、私はニクサラさんを助けたいと思ったんです。まあ、このパーティーに人手が足りないというのも事実ですが」


 クスクスとニクサラが笑う。


「ふふ、ハルカさんって思ったよりもクズですね。なんだか親近感が湧きます」

「なんか複雑だなあ」


 馬車は進む。

 目指すは街の門。人と陰謀の渦巻く都会。

 中央に聳え立つ領主の城と、覇権を争うように並び立つ冒険者ギルドの本部。


 ニクサラが『穢れの酒』を入手した場所だ。

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