第7話 特攻

 馬は虚無の道を走っている。強い風に吹かれて、怒りで熱された体は少しだけ温度を落とした。震える程の寒さではなかったものの、二人の体は極寒の地を走っているかの如く震えが止まる事はなかった。


 左の腕を失っている男は片手で手綱を持つと、器用に馬の上でバランスを取っている。片方の腕では移動しながら地図を確認する事が出来ない為、もう一人の青年が地図を譲り受けていた。


「次の十字を左!」しきりに細かな指示を出す。


 二人に指示以外の会話は無く、定期的に出される指示と八つの蹄の音が乾いて響くばかり。道の傍に植えられた常緑樹の落ち葉が、二人の通った後の風を使ってダンスフロアを作って踊った。自然は人間の気持ちを考慮する事もなく、悩みなど無いような顔でこの世界を能天気に回している。


 壊人がちらほら見えるが、一つに集まっている者もそれを企てる者も見当たらず、単独で考え無しにうろうろしている見慣れた光景が広がっている。先程の事は全部嘘だったんじゃないか、集団で襲って連れ去ろうなんて事は起こり得ないのではないかと、ぐるぐる回る思考の渦に囚われた囚人はそこから脱獄する事を考えている。


「ちょっと待って! ……これはなんだろう」大通を地図が示す通り走っていた二人の前に突然、巨大な金網のゲートが出現する。錆びた金網に緑々しい植物が自分のテリトリーと言わんばかりに絡みつき、その間には糸が重なり合って白く見える蜘蛛の巣とそれに見事かかった小蝿。


「なんだよこれ……ゲート?」馬から降りて巨大なゲートを見上げる。

「こっちの地図には載っていない。もしかしたらトクジさんが通ってこの地図を作った後に、誰かが壊人を遮断する為に作ったもの……? 見るからに長い間使われてなさそうだ」地図に何かの印が無いか確認する。

「なんなんだよ! まったく……この世界に神は居ないのか!」力任せに右腕で金網を殴った。


 彼は地図を見ている男の顔を見る。目には影を身につけ口は少し半開きに、絶望の色を全身に纏って地図に目を落とし、馬の上で呆然としている。


「……俺はこのくそったれゲートをどうにか開けられないか調べる! お前はその地図で回り道が無いか見てくれ。遠すぎるのは無しだ」地図を持った彼は息を吹き返したように指示を聞いた。


 彼はゲートを開けられないか調べる。手で押した所で開かないのは一目瞭然だが、灯台下暗しを避ける為に一応試した。勿論、ゲートが変わる事はない。


「そりゃそうだよな……」


 ゲートを端から端まで見ていると右の端に"変電所"と書かれた小さなコンテナのような部屋が建っている。


「あれか?見た感じ電線が切れてるみたいだが……大丈夫か?」彼は変電所に向かって小さく走り、扉を開けた。


 中は3畳程しかない大きさに制御盤などの機械が置かれていた為かなり狭かった。

「うわっ! なんだよちくしょう」


 暗い部屋が扉を開けた事によって薄く照らされた時、彼は足元にあるそれに気がついた。人間か壊人か、既に死体になっている為どちらかの判別は付かなかったが、気分が良いものではない。彼は小さな変電所から死体を引き摺り出すと出入口の側に落とした。


「死んでるよな……? 動かないでくれよ」


 部屋の中に戻り、制御盤やその他機械を見てみるが電気が通っている形跡は無く、電源ボタンと思しきものを押してもまた、反応は無かった。部屋の隅に予備と書かれたコードリールが置かれていた。


 その場は諦め、念の為コードリールを持ち出し、変電所を後にすると放った死体を跨いで地図を持つ男の方へ声を掛けた。


「おーい、他の道はあったか?」

「あるにはあるけど、馬が通れる道ってなるとかなり回り道になりそう。そっちは?」

「電気が通ってねぇ。予備でコードが置いてあったんだが、これでどうしろって……?」


 彼は手に持った地図から目線を上げ、ゲートを見渡すと何かを見つけた。


「あっあれは?ゲートの端に繋げられそうな所がある」


 彼は言われた所にコードリールを持っていくとコードを繋げた。


「でかした! 相棒。供給をどうするか……近くのまだ電線が繋がっている家を探して外部コンセントに繋げてみるか」彼はまだ電柱と電線が生きて繋がっている家を探して、外部コンセントにコードを繋いだ。


「頼む、動いてくれ……」そう言いながらゲートに戻り、傍に予備で付いてあった電源ボタンを押した。


 長年ここに居座って根を張っていたゲートは、凄まじい轟音を立てて気怠げに動き出した。


「奴等が寄ってくる! 早く隙間から行こう!」


 辺りを彷徨っていた個々の壊人は自らの思考によるものではなく音によってゲートの周りに集団行動を始めた。


「待て、待て。ゲートの音が大きすぎて俺達には気付かないはずだ……完全に通れるまで開いてから行く」


 錆び付いたゲートは大きな音を立てて収納されてゆく。不意にレールが錆の無い所を通り、スムーズに動き出す。


「まじか!」周囲の数人が二人の音に寄せ付けられる。

「耳を塞いで! 音爆弾を使う!」もう寄せ付けている事は変えようがないと判断して、方向感覚を鈍らせる為に音爆弾を投げた。視覚として聴覚を使っていた壊人はよろよろと適当な方向へ歩き出した。

「こうなりゃ強行突破だ! 行くぞ!」散らばった壊人を避けながらゲートを抜けた。

「すまん、判断をミスった……!」

「大丈夫、早く行っても同じ事だったと思う」


 二人は困難を乗り越えた後、馬に乗って走りながら小さな反省会を開いた。ゲートを越え、反省会を終えた頃には陽は既に隠居の準備を始めて赤く蕩ける色に変わってゆく。


 また地図を辿って往来を走り、瞬きする間に紫掛かる宵の口に二人の心は不安と焦燥に駆られて、顔はみるみる青くなっていった。


 もう完全に陽が姿を消した頃、一つの提案が入る。


「今日はこの辺りで朝が来るのを待つ、いいな?」

「だめだ! ……見殺しにするのか? 夜の間に殺されるか、食われるかわからない……!」

「じゃあ、今から行って暗闇の中乗り込むか? 二人で。相手は目が見えない、そんな奴等がご丁寧に光を灯してくれてるとは思えねぇけどな!」

「それでも黙ってここで突っ立っている訳には行かない!」助けたい思いが彼の怒りを助長した。

「いいか、冷静になれ、奴等は拠点の男達をすぐに殺して連れ去りたいやつだけ生かして連れて行った。生かすのには何か考えがあるはずだろ、考えたくはねぇが生かすって事は良くて奴隷にするか、食う為に置いておくかのどっちかだろ。俺達に今求められているのは確実性だ、決して全員を助けるスーパーヒーローじゃねぇ。何人かを犠牲にしてでも俺達は生きて助けなくちゃならねぇんだよ」本気で彼を諭そうとする。

「相手の考えに賭ける事が確実性? それなら僕だけでも行った方が確実だろ!」

「いい加減にしろよ! 出来もしねぇ事に夢見るヒーローごっこはやめろ!」


 突然の沈黙が辺りを包んだ。夜空にキラキラ光る星が徐々に心を蝕んでいく。一人が切り出した。


「わかった、お前の意見を飲もう。だが俺の意見も飲み込め。いいか? 今からBー五に向かう、絶対に見つからねぇ所まで近づいて仲間の安否が確認出来たら良し、出来なくても近くで朝までやり過ごす。何かあったら助けを呼ぶ声が聞こえるだろ。絶対に乗り込まないと約束できるならそうする」彼は二人の案を折半した。


「わかった、そうしよう。言い過ぎたよ、ごめん。こんな所で喧嘩はやめよう」

「いや、良いんだ。よく考えたら本当にBー五に居るかどうかも行ってみないとわからねぇ。ありがとな」


 二人は一度止めた馬を再び走らせた。一人は助けたい気持ちだけを全面に追い求め、一人は今の段階だと実質、拠点の方向性を全て決めてしまう長である事を念頭に置いて判断を揺らしていた。

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