第6話 過去

 彼の両親は彼が八歳の時に死んだ。生まれた時から平和な世界ではなかったとはいえ、その時代では人並みの幸せを感じていた彼はその日、まさに地獄に堕とされた。五歳の妹と共に。


 まだ幼かった彼等にとっての両親の死とは人種差別や凄惨な殺人事件、壊人による無差別な殺害、または戦争、世界が抱えているどんな悩みよりも重く、その人類の汚点全てを天秤にかけたとしても、自身の身近な死のあまりの重さに受け皿を破壊し、天秤ごと床に落としてしまう程の重さがあった。子供にとって親とはこの世の全てであり、世界そのものだった。


「ママ、ごはんまだー?」腹を空かした少女が言う。

「まだ5時よ、晩ご飯には早いでしょう。それにさっきお菓子食べたばかりじゃないの?」

「たべてないよ」目は母親を見ず、空を泳いでいた。

「マイ、お菓子ばかり食べてたらご飯食べられなくなるぞ」

「おにいちゃんだってチョコたべてたよ」

「僕は晩ご飯もしっかり食べるからいいんだ。マイはいつも残すだろう?」少女は不服そうに窓の外を見ている。

「お父さんぐらい食べないと大きくなれないぞ」寝転がった父が背中で言う。


 いつもの家族団欒、何気ない日常が変わらない時間を流していたその時、訪問を告げるチャイムが鳴った。聞こえる筈もないが母親が家の中から返事をして玄関へ向かう。


「パパ、あれなに?」窓の外を見ていた少女が言う。

父は娘の声を聞き、同じ方向へ振り返る。

「母さん! 開けたらだめだ!」彼は血走って声を張り上げる。


 父が声をかけた時にはもう遅かった。玄関扉の取っ手に手が掛かり外の風が隙間から吹き込んでいた。その隙間から鋭い腕が入り込み、玄関の重たい扉をこじ開けると"壊人"が体を半分滑り込ませていた。壊人が跳ね除けるように扉を開け放つと母の悲鳴。素早く走り出した父の腕は先には届かず、鋭い腕は彼女を引き裂くと赤く無惨な姿に変える。


「くそっ!」玄関横の自分の部屋へ駆け込むと護身用に置いてあった銃を取り出して壊人の前に立ちはだかる。


 2人の子供に大きな背中を向け、倒れ込んだ妻には当たらないと判断して発砲、聞き馴染みのない大きな音と光が団欒の家にこだまする。これ以上後ろには引けない父は二発、三発、四発……相手を一歩たりとも中に入れぬよう狙いの定まらない弾を撃ち込む。


 壊人が倒れ込んだ後も彼は撃ち込み続けた。確実性を求める為でもあったが、後半は彼自身の憎悪や復讐心が銃のトリガーを引く事をやめさせなかったのだろう。


 閑散とした住宅街に銃声が鳴り響く。それは無論、壊人を引き寄せる合図にもなってしまう。ただ、今の彼の頭にはそんな危機管理は存在せず、ただ二つの死体の前で息を荒げて立ち尽くしている。子供達もまた父の背中の後ろで体を寄せ合いなす術もなく震えるばかり。


 開け放たれた扉から足音。

「父さん……! やつらが寄ってきてる、ねえってば!」


 立ち尽くす男は守るべき者の声にふと我に帰り、最愛の妻との間に残された唯一の二つの声に奮起する。しかし我に帰った時には既に壊人が一つ二つと押し寄せていた。


「すまん! 奥に隠れてろ!」


 再び銃を前方に放ち、この家に入れまいと押し返そうとする。また、その銃声を聞いて新たに寄せつける。二つ目を殺した時その轟音と光は止み、弾は尽きた。先程妻の為に放った銃弾は二度と装填する事はできず、床に落ちているだけ。


「タケル! マイ! 頼む……逃げ――」

振り返ってそう言った彼の言葉は最後まで発される事なく終わりを迎えた。


「あぁ……父さん、母さん……。」彼は窓の方を見た。

「マイ! 兄ちゃんと一緒に逃げるぞ!」そう言う彼の言葉は震えて濡れ、なんとか発声を保っていた。


 窓を開けて妹を抱き抱え、窓を乗り越えようとした時、後ろで足音が増える。その二つの足音は家の中に蔓延る者を長い刀で切り捨てると、彼等に声を掛けた。


「大丈夫か……!二人の事は残念だ、今は君達だけでも助ける……すまない」


 男達は右手に長い日本刀を持ち、背中には大きな弓を背負っている。男の一人は手を差し出すとその手を固く握りしめて家から連れ出した。幼子は父母の死体を乗り越え、その二人の涙を踏んで行く。


 外に出ると家の周りには数え切れぬ程の死体と、手を繋いだ男と同じような格好をした男女が三人、馬に乗って待機していた。その中で二人は女性の馬に乗せられる。


「お二人さん、私達のそばに居れば安全だわ。家の周りの奴等の数を見たでしょう? 君たちお名前はなんて言うの?」その女性は二人の頭を撫でながら聞く。

「僕はタケル、こっちは妹のマイ」簡潔に答える。


 二人は憔悴しきっていた為、この者達が誰でどこに住んでいて何をして生きているのか何一つ聞けるような状態ではなく、ただ二人が助かる道がある事を信じてこの見知らぬ者達に身を委ねる他なかった。


 他の仲間からの合図を受けてその女性は同じく合図を返すとこう言った。


「タケルとマイね。いい名前、よく似合ってる。さぁ……タケル、マイ、後ろは振り返らないで、前だけを見るのよ! 馬から落ちるのは嫌でしょう?」彼女は威勢よく馬を叩くとどこかに向かって走り出した。


 馬が走り出すと、初めての乗馬に二人は落ちない事に全ての神経を注いだ。――その瞬間だけ気が紛れる。


「鞍に付いている紐を持っていて、そうすれば落ちないわ。」彼女はしきりに仲間と合図し合いながら二人に微笑みかける。


「さっきタケルとマイを連れて出た人、いるでしょ? 私達のリーダーなんだけど二人を知っているみたいよ。詳細はなんにも教えてくれないけど……堅苦しくて嫌になっちゃう。――呆れた顔をする――何かの諸事情で私達の所へは連れて来れないみたいなの、近くに彼の知り合いが居るっていう拠点があるみたいなんだけど、そこに行くって言ってたわ。……どういう理由か、そこがどこなのかも私達知らされてないのよ? どう思う?」


 陽気な彼女はこんな状況の二人に気を遣わず――むしろ気を遣ってか――自分が話したい事を言えるだけ口にしている。馬から落ちない事に神経を注ぎ、彼女の饒舌な話を聞かなければならない事もあり二人は道中、凄惨な出来事を深くは考えずに済んだ。


 先程耳にした所であろう拠点に到達すると拠点の者は、先頭を走っていたリーダーと少し話をするとすぐに中に入れてもらえた。


 その都市の中は、ずっと小さい家に四人だけで過ごしていた二人にとって都会の街に出てきたかの如く賑やかで栄えているように思えた。しきりに人が往来しては何かを身振り手振り話したり指示を出したりしている。


「ここみたいよ。私達の所より全然活気があるわ。まったく……私も一緒にここに住もうかしら……」冗談か本心か彼女は小言を言うとため息を吐いた。


 辺りを見回していると奥から白く長い髭を携えた老人がこちらに歩いてきた。老人はリーダーを見つけると二人の幼子を一瞥して向き直った。周囲の賑やかさに押されて音はこちらまで届かず、何を話していたかは聞き取れなかった。


 妹は手を繋いだままずっと泣いている。震える手の振動と共に、悲しみが音になって体を鳴らしている感覚があった。彼は兄という肩書を執拗に背負い受け、その後涙が溢れる事はなかった。



 二人の父にはある親友が居た。剣道や弓道、さらに他の武道も極めた達人であると、リビングに横になって酒を呑むと自身の自慢のように家族に語っていた。


 後に、二人が自身の体から嘆嗟の息を吐いて時間と共に絶望の色を少しだけ薄めた頃、家族の事を振り返り細かな話などを思い返す事があった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る