第3話 親友を裏切った日に食べるレバニラ炒め

 確かに、近藤こんどう 美貴みきはいわゆる「ムカつくやつ」だった。大して勉強ができるわけでも、スポーツができるわけでもないくせに、結構主張が強い子だし、可愛くもないくせにぶりっ子みたいな高い声で話す。おまけに潔癖症で、だけど彼女が「汚い」とする基準というものはとても曖昧で、例えば私みたいに、彼女と長らく親友をやっている人間が彼女の身体に触れても全く問題ないようであるが、あまり知らない、クラスのちょっとギャルっぽい女の子が彼女に触れようもんなら「何を触っているかわからない」と言い出し、これ見よがしにアルコールティッシュで除菌を始める始末。正直、おおざっぱな性格をしている私の方がよほど何を触っているかわからなくても、だ。

 そう、彼女は確かにムカつくやつなのだけれど、何も嫌がらせをしなくたっていいじゃん、とは思う。ムカつくし、何なら彼女のこだわりや気配りの足りなさは他人にちょっとだけ迷惑をかけている、というのも確かに認めざるをえない事実なのだけれども、それでも別にいじめていいわけではないよなと思うのは、小学生時代から親友をやっている私くらいか。――そう、近藤美貴はいじめを受けていた。

 いじめといっても、皆バカではないから、物を隠したり壊したり、暴力的なことをしたりするわけではない。証拠に残るようなことをすれば、ワンチャン学校を退学になってしまう可能性があることくらい、分かっているからだ。近藤美貴が授業中に発言をする度に、決まって複数人が咳ばらいをしながら笑ったり、陰で悪口を言ったりする。当然美貴はそのことにちゃんと気づいており、そのようなクラスの女子を嫌悪していたが、惜しいことに美貴の認知は多少歪んでおり、そういった嫌がらせに加担している者たちだけではなく、単に見た目が派手だったり、クラスで目立つ存在だっていうだけの、特に何の悪気もない女子たちも、ついでに嫌っていたのだ。

 そんな美貴に好かれていた私とは一体。――なんだかあんまり自慢にならない好かれ方ってあるんだな、と内心思ったりもする。


「っつかさー、近藤さんと花奈はなって仲いいじゃん? なんで?」

「仲いいかどうかはさておき、小学校時代からの知り合いだよー」

「仲いいじゃん。いつも一緒に帰ってるし? でもなんか意外だよねー、だって二人って全然違うじゃん」

「詰めるのやめてよー。ほら、親同士も知り合いだし。そういうの、あるでしょ」


 新しいクラスで同じグループになった友人から目をそらす。私は鏡に向かって、ほんのり薄ピンクのリップグロスを塗りなおした。恋に効くだなんていうジンクスからSNSでバズり、売り切れ続出となったグロスだけれど、我が校は女子校である。大切なのは恋愛云々ではない。「バズったグロス」だということである。以前、教室でリップグロスを持っているのを美貴に見つかったことがあり、「何つけてるの? そういうの、美しくない」と蔑むような目で見られたのを覚えている。美貴基準の「美しくない」なんて、別に私にとっちゃ大歓迎だけれど。

 美貴とはそれなりに長いこと友人関係を結んでいた。もちろん楽しい瞬間も多々あったけれど、それ以上に不快な思いをしたことはかなりあった。私にテストの点数で負けるたびに「どうして花奈なんかに」と泣かれたり、制服の着崩しを指摘され鼻で笑われたり、一人で居たいと思っていた休み時間に、無理やり話相手をさせられたり、あるいは同級生同士で流行っている言葉をふとした瞬間に使ったら「花奈ちゃんもそういう言葉遣いするんだ」と幻滅されたり。頼むよ、と思う。そういうのは親とか、先生とかの仕事だから。




 それは何の変哲もない朝だった。強いて言えばその日私は日直で、しかし偶然にも相方が欠席だった。日直の仕事として、その日の出欠簿をつける、というものがあったのだが、普段なら二人で手分けして終えるはずのその仕事を一人でこなさなければならず、少々だるかった。いつもとの違いはそれくらいか。

 秋山さん、いる。伊藤さん、いる。井上さんはまだ来ていないけれどおそらくいつもどおり五分遅刻で……


「ねぇ、花奈ちゃん」

「ちょっと待ってね、もうすぐ先生来るからそれまでに……」

「花奈ちゃん、あのさ、昨日の英語の宿題のことなんだけれど」

「ちょっとそれはまた後で……あれ、佐藤さん普通に来てる」

「ねぇ、聞いてる? 花奈ちゃんってば」

「……ああもう、うるっせーな!」


 いつも友人とふざけ合うようなときに出す声であれば、ごまかしもついたのだろうけれど、今まで出したこともないような、低くて、ドスの利いた声が出てしまったのだ。自分自身ではそのことにすぐには気が付かず、なんだか様子がおかしいぞと思い、出欠簿から視線を上げると、美貴が泣きそうな顔でこちらを見ていた。


「そんな言い方しなくたっていいじゃん」


 美貴はそう言って自分の席に戻っていった。


「あーあ、花奈も我慢の限界だったってことかぁ」


 最前列に座っていた友人が面白そうに笑みをこぼした。






 これは私に先見の明が無かった、というだけの話であるが、美貴はいろんな人の悪意に触れることに慣れているから「大丈夫だ」と思っていた。気の毒なことではあるが、いろんな人に、授業で発言をする度に笑われて、何かと嫌みを言われることも多い彼女にとって、私の「うるせーな」の一言くらい、何でもないかと思ったのだ。

 それなのに、夜ご飯を食べている最中、家の電話が鳴ったのだった。その日の夕食のメニューはレバニラ炒め。私はあまり好きではないのだが、父の大好物なのだ。


「お世話になっております。……ええ。ええ、そんなことが」


 電話を取った母が、私の方に目をやる。その表情を見て、何か良くないことを言われている、と感じ取る。こういうときの鼓動って、とても不愉快だ。

 長い通話の後、母が電話を切った。


「誰?」


 薄々気づいていたはずなのに、私はあえてそういう言い方をした。母のペースで会話を握られてしまうとまずい、と思ったのだ。


「美貴ちゃんのお母さんよ」

「へぇ。何て?」

「美貴ちゃんとケンカしたんだって?」


 ですよねぇ。「もしかしたら違うかもしれない」と期待したりもしたけれど、やっぱりそうだよねぇ。


「ケンカってほどではないけれど」

「美貴ちゃん、泣いてるって。なんで花奈が怒ってるかわからないって」


 あの瞬間にどうして私が腹を立ててしまったのか、マジでわからないとしたら、美貴もかなり頭がおかしいと思う。しかし、彼女が言っているのはそういうことなのではないと思う。彼女はおそらく、私の「うるせーな」という反応に、瞬間的なイラつきを超えた何かを敏感に感じ取ったのだと思う。確かに、そういうのがゼロだったかというと、そんなことはなかった。いつもなら「こんなことくらい」で我慢している、ほんの少しのイラつきが少しずつ集められて、一緒にぽろっと出てしまった、みたいな。

 しかし、どう説明すれば良いかわからない。「出欠を取るのを邪魔されてついつい暴言を吐きました」なんて、ヤバい、ヤバすぎる。これまでにあんなことをされました、こんなことを言われましたを並べたところで、それぞれのエピソードがあまりにもしょぼすぎて、やっぱりこんなことで暴言を吐いたのであればヤバい奴だ、という印象はぬぐえない。――私はやはり、狭量すぎたか。

 そうなると、それなりのエピソードを考えなければならないわけで、でもあまりにも突拍子もないものだと私が嘘をついているのがバレてしまうし……そうだ、これまでのことをいろいろ合わせて、ついでにちょっと膨らませて語ればいいんだ。


 私は、いつも美貴に馬鹿にされてきた。地頭は悪いくせにがり勉だから成績が良かっただけだ、とか、顔は可愛くもないくせに流行ばっかり追いかけた格好してダサい、とか。そうだ、そう言われたことにしよう。本人はそこまで言った覚えはないかもしれない、だけどきっと、心の中ではそう思っている。そうじゃなきゃ、あんな物言いできないもんね。自分で自分に言い聞かせる。――美貴は、私のことなんて親友だなんて思っていない。見下して、安心するために一緒にいたんだ。美貴はこう言ったんだ、


「地頭の悪い私にはテストで絶対に負けたくなかったって。それに、可愛くないくせに、スカートばっかり短くて、美しくない、って……」


 そう言いながら、私は涙をこぼした。なんだか本当にそう言われたような気持ちになったのだ。


「幼馴染だから……家族ぐるみの付き合いだから、そういうの全部我慢しなきゃって思ってた。だけど私もう嫌だ」

「そんなこと言ったの? それはひどいね。全然、そんなことないんだから。花奈は賢いし、可愛いよ」


 母は私のことを抱きしめた。


「無理に付き合えだなんて言わないから」




 その後、母は美貴の家に再び電話をかけた。


「……ええ、どうやらそういうことを言われたみたいで。まあ、友だち同士ならね? それくらい軽口叩くこともあると思うので、あんまり気にしないでいただいて大丈夫ですよ、きっと花奈もそのうち忘れますから」


 母が正気を失って、美貴のお母さんに怒鳴り込んだりしなくてよかった、と心底思った。





 それから数日後。美貴は私のことを呼び出した。


「花奈ちゃん、ごめんね」


 彼女は私に謝ってきたのだった。


「私、いつも一言二言多いよねって、お母さんにもいつも言われるの。……花奈ちゃんにも無意識にひどいことを言ってしまっていたみたいで、本当にごめんなさい」

「……そんな、別に」


 思いのほか、作戦がうまくいってしまったのだ。彼女が一言多いタイプの人間だということを、彼女のお母さん、そして彼女自身も自覚していたがために、私がでっち上げた言葉を「そんなことを言ったかもしれない」と思い込んでしまったのだろう。


「でも私たち、昔からの付き合いだから。私、花奈ちゃんのこと、失いたくないから。今回のことは本当に謝る」

「ああ……まあ、もういいよ」

「いいの? 本当にごめんなさい、これからは」

「本当にいいから。忘れて」


 私は彼女に背を向けて歩き出した。心底恥ずかしかったのだ。姑息な手段でその場を丸めた自分自身も恥ずかしかったし、何より、自分の考えた嘘にダイレクトにやられていた。私が考えた私に対する美貴の暴言。これらの言葉を実際にかけられたら、私は腹を立てるのだろうか、泣くのだろうか? そんなの超恥ずかしい。「ああ、美貴ごときが何かほざいてるわ」くらいのノリで流したいのに。

 彼女は私のことを失いたくない、と言ってくれたけれど、なんとなく、もう友だちには戻れないな、という予感がした。だって彼女、信じちゃったのだから。私の嘘を否定できなかったっていうことは、本当にそう思っていたってことなのだから。

 ああ、本当に親友ってクソだわ。



『親友を裏切った日に食べるレバニラ炒め』――fin.

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