第4話

 この町にある図書館は一つだけなので、ここにないならこの町のどこを探しても意味はないだろう。むしろ魔術について書かれた本はありますか、なんて聞いたらアンドレアがおかしな人だと白い目で見られることに間違いない。


「俺ももう宿に戻ろうかな」


 今日までこの町に留まって、明日の朝には出発すると事前にイヴに聞いている。

 魔術がなんなのか、そもそも本当にあるのかという疑問は尽きないがイヴが話す気を失って、資料もない以上はアンドレアにできることはない。

 とぼとぼと宿に向かって歩くアンドレアの頭上に突如強風が吹きつけた。


「なんだ……⁉︎」


 アンドレアが顔を上げると、そこには箒に乗った魔法使いが気持ちよさそうに風を切っていた。

 空飛ぶ魔法使いはアンドレアの頭上を通り過ぎるとどこか町の奥へと向かって飛行して行った。


「わぁ!」

「魔法使いだー! 私、お空を飛んでいる人初めて見る!」

「俺も空飛びたい!」


 町に現れた魔法使いに歓喜の声をあげる町の人たち。姿が見えただけで歓声が上がるのは魔法使いが憧れの的であるのと同時に、先程の魔法使いがBクラス以上だからだろう。

 正式な魔法使いのクラスを知りたいなら、魔法使いに直接魔法使い証明証を見せてもらわなければならないが、Bクラスより上か下かの区別は空を飛べるか否かでわかる。


 魔法使いはABCと三クラスに分けられていて、Cクラスの魔法使いは空を飛ぶことができない。なので必然的に空を飛んでいた先程の魔法使いはBクラス以上の魔法使いなのだと判断できるのだ。


 ちなみに魔法使い証明証というのは魔法省が発行している証明証のことで、魔法が使えても魔法省の認定試験を受けて無事に合格し、証明証を発行されなければ自身を魔法使いだと他人に証明することができない。

 無くせば再発行に時間もかかるので、魔法使いならなくしてはいけない大切なものだ。店によってはその証明証を見せるだけで割引してくれるところもある。


 アンドレアも魔法省に勤務していた時に何度か飲食店でサポートに当たった魔法使いの証明証を店に見せて割引してもらったことがある。

 というよりも会計や街に入るために許可が必要な街での許可書取りなどの雑用をこなすのが仕事だった。


 魔法省の課分けは上が決めることなので魔法使いのサポートを担当する支援課に配属させられたのはアンドレアの希望ではない。

 アンドレアとしては受付などの事務仕事が希望だったので、それを思い出して苦笑いするしかなかった。


「あれ? エイドリアンじゃないか。久しぶりだなぁ」

「は?」


 魔法使いの姿が見えなくなって家の中や店の中に戻っていく人々の間から、齢四十くらいの男性が顔を覗かせてアンドレアに親し気に声をかけてきた。

 しかしあきらかに名前を間違われているのでアンドレアは不機嫌な表情でその男を見た。


 チェック柄の少し大きめのスーツ。革靴は毎日磨いているのか泥一つついていない。スーツにつけられたバッジが、彼が魔法省の人間だと表していた。


「誰、でしたっけ?」

「おいおい、人の顔を忘れるなんて酷いじゃないか。俺だよ、俺。ほら、自力で思い出してみろ」


 魔法省の人間、かつアンドレアを知っているということは同じ課の人間だろう。しかし支援課には五十を超える人が働いていたので、全員の顔を覚えているはずがない。


 俺だよ、と自身の顔を自慢気に指さしながら思いだせと言われても、デスクが近かったわけでもない元同僚なんて思い出せない。

 なんだったら同じ課所属でも、一度も顔を合わせたことのない人もいるくらいなのだ。それくらい支援課は魔法使いのサポートとしてデスクワークではなく現地を飛び回っていなければならない忙しない課なのだから。


「……はぁ、そんなんだから一年で辞めさせられるんだよグズが」

「あ?」


 首を傾げるアンドレアに、男は眉を顰めるとアンドレアのことを鼻で笑った。お上品な育ちではないアンドレアは思わずその挑発に乗りそうになって、ため息をついてからくるりと方向転換した。


「おいおい、逃げんのかぁ? さすがは課長に責任押し付けられて逃げ出したエイドリアンくんだ」


 アンドレアだ。そう心で返しながら背後から野次を飛ばしてくる男を無視して足を進ませる。

 あの男の挑発に乗って喧嘩するのは簡単だ。体格、年齢から見てもアンドレアの方が力は強いだろう。しかし相手は魔法省の人間。

 魔法使いの次に憧れの職業だと言われている魔法省の人間と喧嘩なんてすれば周囲の人たちに非難されるのはアンドレアなのだ。

 それをあの男はわかっている。だからこそ見せびらかすように魔法省勤務の証であるバッチを胸に付けているのだろう。


「性格悪いってことは課長派のクズだな」


 アンドレアの所属していた支援課には傲慢な性格の課長と、それに従う取り巻きがいた。おそらくあの男はその取り巻きの一人だろう。

 課長に媚びを売って早く出世したいのだろう。随分と必死なことだ。

 アンドレアは無視が得策だと結論付けて、いまだに野次を飛ばしてくる男の声を聞こえないふりをした。


「おーい、役立たずのエイドリアッ」


 ドゴン、と衝撃音。途切れた罵声に、思わずアンドレアは背後を振り返った。

 するとそこには道の真ん中に立っていたはずの男が、壁に叩きつけられて目を回していた。


「人の荷物持ちくんに随分と偉そうに話しかけてくれるじゃないか、たかが魔法省の人間如きが」

「い、イヴ! さん⁉︎」


 これまで見たこともないような冷めた視線で男を見下ろすイヴにアンドレアは驚愕した。

 男が伸びている、ということにも驚いているが、なによりイヴが箒に乗っていることに驚いたのだ。


「わ、また魔法使いだー!」

「今度は女の子の魔法使いだ!」


 空を飛んでいるイヴを見て、子供たちが嬉しそうにイヴに駆け寄る。


「あれ? なんでこのおじちゃん寝てるの?」

「ふん、私としたことが魔力調整を風圧でこの男を吹き飛ばしてしまったらしい」

「あんれまぁ、それは大変。って、この人魔法省の人じゃないの。ソファーにでも寝かせてあげるべきかしらね」

「そうしてやってくれ給え」


 子供たちの元気な声が聞こえたのか、家の中から大人たちも出てきて、男を見てくすりと笑った。魔法使いをサポートする人間が魔法使いに振り回されているさまがおかしいのだろう。

 実際に魔法省に勤務していた身としては支援課は魔法使いに振り回されてばかりなのだが、男を庇う理由がないので黙っておくことにした。


「行くぞ、荷物持ちくん」

「あ、ああ、はいって、えっ」


 箒に腰掛けるイヴに手を伸ばされて、無意識にその手を取ると体を引っ張られて箒の後ろに乗せられた。


「えっ、ちょ、箒の二人乗りは危険ですって!」

「かまわん、かまわん。二人乗りしたところで私が箒の操縦を間違えるわけないだろう」

「わー、あのお兄ちゃんも魔法使い⁉︎」

「すごい、すごい! 今日は魔法使いさんがたくさんいるね!」

「そうね。お母さんもこんなにたくさんの魔法使いを見るのは初めてだわ」


 パチパチと手を叩いて喜ぶ子供に、頷く母親。

 アンドレアは魔法使いではないので違うと訂正しようとしたが、イヴに言葉を遮られた。


「そうだ。彼は私の弟子でね。まだまだ未熟だが、そこで伸びている間抜けな男よりは格上なことを理解しておくといい」

「かくうえ?」

「お子様には難しかったか。まぁいい、私はここを通りすがっただけだからな。ここでお暇させてもらうよ」

「バイバーイ!」

「かっこいい魔法使いのお姉ちゃん、バイバイ!」

「ああ、さようならだ」


 憧れの眼差してイヴを見る子供たちに、イヴは笑顔で手を振り返すと高度を上げた。そしてそのまま町の外まで飛行していく。

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