謎めいた頼み人

 清司郎たちが示し合わせて両国広小路にやってきたのは、清司郎せいしろうが声をかけた翌日のことだった。

 両国広小路というのは江戸随一の盛り場である。というのは以前にも触れた。

 隅田川すみだがわの川沿いには葦簀よしず張りの水茶屋みずちゃや麦湯店むぎゆみせが立ち並び、俗に二十軒茶屋などと呼ばれている。

 これらの店は作りも簡素で、骨組みを葦簀で囲っただけの店で、茶や団子など、簡単なものしか出さない。客もさっと入って一休み、休んだらすぐにまた見物に歩き出すというのが常であった。

 清司郎たちが訪ねた鶴やはそうした水茶屋の一軒だ。

 店先の床几しょうぎに腰かけ、ゆったりと煙管きせるをふかしている播磨屋はりまや善兵衛ぜんべえの隣でおきくがうまそうに団子をほおばっている。

「播磨屋さん、参りました」

「ほう、昨日の今日で、よくぞ来てくださいました」

 善兵衛は口ではそう言うものの、そのくらいのことはわかっていたというように、にやりと口元だけで笑った。

「まずは話だけでも聞いてみようと、そういうことになりましたかな」

 善兵衛の言葉におはるがうなずく。

「なんでも、商いの荷を勿怪もっけに奪われたとか? その時のことをわかる限りで教えてほしいのですが、よろしいでしょうか?」

「ええ。……しかし、私も聞いただけですので、詳しいところまではわかりかねるのです。それでもよければ、お話しましょう」

 善兵衛は煙管から口を離すと、ぽわっと煙を吐いた。

「五日ほど前のことでしょうか、もうじき戻るはずの上方かみがたへの使いが戻らず、皆が案じていたところに文が届いたのだそうです。それは使いの頭分かしらぶんとした番頭ばんとうからで、勿怪に襲われて荷を奪われたと、こう書かれていました」

 お菊が巾着きんちゃくから折りたたんだ紙を取り出す。それがくだんの文らしい。

 広げると、よほど慌てて書いたのか、すべてがかな文字で、その文中にも書き間違いがいくつも見つかった。

「その番頭の話では、襲ってきた勿怪は大きな猿のような姿をしていて、荷車を引いていた人足にんそくを軽々と投げ飛ばしたのだそうです」

「大きな猿、ですか。猿のような勿怪はいくらかの同類がいますが、いずれも知恵が働き、力も強い、油断ならざる相手です」

 お榛の言葉に、善兵衛はですから、と言葉をつなげる。

「あなた方に頼もうというのです。巷の願人坊主がんにんぼうずやら唱文師しょうもじやらはばかりで勿怪から荷を取り戻そうという意気地いくじのある者はまずおりませんのでね」

 「なるほど……大方の事情はわかりました。それでは、その勿怪から荷を取り戻すことができればいいのですね?」

「ええ、その通りです。お願いできますかな」

 お菊が巾着から切餅きりもちを取り出し、清司郎たちの前に置いた。

「引き受けていただけるのでしたら、これを前金としてお納めください」

 清司郎たちはそれをすぐに受け取ることができなかった。

 なにしろ、善兵衛が言ったようにいい加減な拝みで済ませてしまうような形ばかりの似非えせ祓い人もいるので、いかに前金とはいえ切餅一つをぽんと出すのは尋常のことではない。

「猿の勿怪となれば、犬でもいた方がいいのか?」

 谷川たにがわが首をかしげるのに、お菊がぶるりと体を震わせた。

「犬ぅ!? おいら、犬は嫌だな」

「お菊ちゃんは犬が苦手なんだ。あたしもそうなんだよね」

 お榛が怖くないというように笑って見せた。

「ところで、取り戻す荷というのは一体なんなのでしょうか?」

「おお、まだ話しておりませんでしたな。私の店は小間物を商っていましてね、さるお屋敷の御用で、上方の職人に作らせたものを取り寄せていたのです」

「えっ、小間物を、荷車がいるほど取り寄せたんですか?」

「いえ、荷車にはこちらの職人に使わせる細工物の材料を積んでいたと聞いています。……なにぶん、店の方はもう倅に任せておりますので詳しいことはわかりかねますが、取り戻してほしいのは取り寄せた小間物が入った、漆塗りの箱だそうです」

 善兵衛の話の通りであれば、取り戻すものはいくつもある荷の中でただ一つだけらしい。

 必ずしも勿怪を討たなくてもいい、ということに清司郎は軽く安堵した。

「事情はわかりました。この祓い、受けさせていただきます」

「ええ、よろしくお願いいたします。ああ、こちらの三人にもお茶と団子を」

 善兵衛が声をかけると、愛想のいい看板娘が人数分の茶碗と皿を載せた盆を持ってきた。

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清司郎斬妖帖 野崎昭彦 @nozaki_akihiko

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