祓い人たち

 大川を渡って本所・深川といった下町界隈は庶民の町と言える。その日暮らしの庶民たちは元気な声を張り上げて小商こあきないに精を出していて、その中に無役むやくの貧乏御家人ごけにんが混ざっていることも珍しくない。

 特に人々の信心を集める深川八幡ともなれば、富くじや勧進かんじん相撲など人を集める催しを行うことも多く、参拝者を見込んだ屋台店やたいみせなども出ている。

 清司郎せいしろうはそうした屋台店の一軒に顔を出した。

 担いで運ぶ一般的な屋台と違い、車と持ち手を取り付けることで引いて運ぶことができるように工夫されていて、暖簾のれんには「上州名物 焼きまんじう」の文字が大きく染め抜かれている。

屋台に据え付けられた長火鉢の上では、拳ほどの大きさの饅頭まんじゅうが四つずつ串に刺してあるのを炭火でじっくりと焼いている。

 おはる刷毛はけで味噌だれを塗ったり串を回したりしていたが、こちらの気配に気付いたのか、ついっと顔を上げた。

「いらっ……なんだ、若先生か」

「なんだはないだろ」

「だって若先生、別に焼き饅頭食べに来たわけじゃないんでしょ」

 お榛の言い分ももっともだった。

 清司郎は「参ったな」と頭を掻くと、財布を取り出した。

「一串もらうよ。十六文だったな」

「まいど。で、どうしたの?」

「この前両国で会った爺さん、覚えてるか?」

「うん。なんか変っていうか、不思議な人だったよね」

「その爺さんが祓いを頼みたいって言ってきたんだ」

「そっか、あたしたちの名前も知られるようになったんだね」

 お榛は眼鏡をずらして目元をぬぐう素振りを見せた。もちろん、涙などほんの一滴も浮かんでいない。

「それで、どんな話なの? 祓い料は?」

「俺の一存で決めるわけにもいかないと思って、詳しい話は聞いてないんだ。両国の水茶屋みずぢゃやにいるから、あとで来てくれってさ」

「ふうん……。なんか怪しいけど、話を聞くだけなら損するわけでもないし、いっか。谷川たにがわにも話はするんでしょ?」

「ああ、これから行くところだ」

「じゃ、差し入れにこれ、持ってって。片方は若先生のだから」

 言いつつ、焼き饅頭を二串取り上げて慣れた様子で笹の葉に包む。

 焼き饅頭を受け取った清司郎はお榛と別れ、下町風情の中を歩いて行く。

 しばらく歩くと、特に看板の出ていない町家の門を潜った。

 玄関には入らずに庭の方へ回ると、地面に土俵が敷かれ、数人の力士が稽古をしていた。

 褌一丁の男たちがぶつかりあい、激しい押し合いの末に片方が見事な上手投げを決める。

 勝った方の力士はふうっと荒い息を吐きながら負けた方に一礼する。

 二人が土俵から退くと、また別の二人が上がってきてぶつかりあう。

 それが幾度となく繰り返された。

 やがて、遠くから七つの鐘が聞こえてくると、稽古はそれで打ち止めとなった。

 清司郎は風呂で汗を流そうと出てきた力士たちの中に谷川を見つけ、声をかける。

「谷川、ちょっといいか?」

「なんだ? いや待て、お前がわざわざ来るんだから、どうせ祓いの話だな」

 谷川の問いかけにうなづきつつ、清司郎は焼き饅頭の包みを見せた。

 そのまま、連れ立って近くの湯屋ゆやまで歩いて行く。

「お榛が持ってけとさ。で、お前さえよければ、明日にでも頼み人と詳しい話をしたいんだが」

「その頼み人てのは、どこの誰だ?」

「ああ、この前両国で会った隠居の爺さんだよ。覚えてるか?」

「隠居の……? ああ、播磨屋善兵衛はりまやぜんべえと言ったな。変に慣れ慣れしい童女を連れてた」

「そう、その爺さんだ。両国の水茶屋で話を聞くことになってる」

「そうか。それなら、聞くだけ聞いてもいいんじゃないか? どうせ……」

「話を聞くだけなら損はしない、だろ。お榛も同じことを言ってた」

「まあ勿怪もっけ祓いなんてものはまともな生業なりわいではないからな。偽の頼みだって初めてじゃないだろう」

「それはそうだな」

 湯屋が見えてくる頃には日が傾いてくる。

 江戸の住民、ことに嫡々ちゃきちゃきの江戸っ子を自称する人々はことのほか風呂を好み、多い者は日に五度も六度も入る。そうでなくとも、日に一度も入らない者はまれだ。

 日の入りには火を落とすことになっているため、その前に入ろうという客も多く、湯屋はその日一番の混み具合だろう。

「さて、俺は一風呂浴びるが、赤城あかぎはどうする?」

「その前にこいつを片付けないとな」

「それも道理か」

 二人は適当なところで立ち止まり、焼き饅頭を一串ずつ手に取って頬張った。

 饅頭一つが拳ほどの大きさで、甘い味噌だれが塗られている。それが四つ一串なので、かなりの食べでがあった。

 口の周りについた味噌だれを懐紙かいしでふきながら、清司郎はしばらく焼き饅頭はいいな、と思ったのだった。

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