水虎討伐

 寮へ戻った三人を、お三智みちたちが不安げな顔で待っていた。

「あっ、お榛さん! あの、勿怪もっけは……?」

「なんとか討伐……いえ、はらうことができました」

 おはるが答えると、お三智はほうっと長いため息をついた。

「それでは、これでもうあの勿怪が現われることはないのです?」

「ええ、安心してください」

 清司郎せいしろうは大きくうなづいた。

「もう、勿怪は現われません。が……」

 板塀は破られ、建物にも見過ごせないほどの傷がついている。

「寮の建物が壊れたことは構わないのです。明日にでも大工さんを呼んでもらうことにします。ですからどうかお気になさらず」

 お三智は三人に向けて頭を下げた。

「此度は、まことにありがとうございました」

「い、いえ……こちらこそ、無様なところ見せてしまいまして」

「そんなことはないのです。無様でも狙いを果たせればそれでよしなのだと、父上も常々申しているのです」

徳右衛門とくえもんさんが……そうですか」

「はい。皆さま、夜明まではまだ間があります。どうぞ、お休みになってください」

 お三智がにっこりと微笑んだのを受けて、一気に疲れの出た三人は、夜明まで寮で休ませてもらうことにした。

 翌朝、三人は手代の豊松とよまつとともに讃岐さぬき屋へ戻った。店の前では、数人の小僧がほうきで通りを掃いていたが、豊松が声をかけると「あっ」と声を上げた。うちの一人が店の中へ入って清司郎たちが戻ってきたことを伝えると、すぐに久助きゅうすけが出てきた。

「これはこれは赤城あかぎさま。その様子では、勿怪の方は……?」

「無事、祓えました。もうお嬢様が苦しめられることはございません」

 清司郎の言葉に、久助は心底安堵した様子で、すぐに奥へと通された。

 昨日の座敷に通された三人は、そこで再び徳右衛門と向き合った。

「皆さん、お待ちしておりました。戻ってこられたということは、勿怪祓いは無事に終わったということですね?」

「ええ、なんとかなりました……」

 清司郎が昨夜の一部始終を話すと、徳右衛門は驚いたような顔で聞いていた。話が終わると「そうですか」と一言だけ漏らす。

「あの、大変言いにくいのですが……」

「寮の方でしたら、ご心配めさるな。すぐに大工を手配します。それから、約束の祓い料もお支払いいたしましょう」

 徳右衛門は久助に何事か耳打ちすると、手元の文庫を開き、中から切餅きりもちを出して清司郎の前に置いた。切餅とは一分銀いちぶぎん百枚を紙で包んだものだ。一分銀は四枚で小判一両と等価とされる。つまり、一分銀百枚は小判二五両と等価で、親子三人の家庭が二年ほどは暮らせるだけの額だ。勿怪祓いの祓い料としては、まずまずといったところだった。

「ありがたく、頂戴いたします」

「またなにかあったらよろしくお願いしますよ」

「その時はまたお頼みください」

 簡単にあいさつを交わして帰ろうと立ち上がる清司郎。

「そうだ、この刻限こくげんでは、朝餉あさげはまだでしょう。よろしければ皆さんに朝餉を馳走ちそうします」

「そこまでしていただくわけには……」

「いいのですよ。大事な一人娘を救っていただいたのですから、そのくらいのことはさせてください。腕によりをかけさせていただきます」

 言い終わるがはやいか、徳右衛門は立ち上がり、奥の方へ駆けて行ってしまった。

「なんて早い人なんだ……」

 谷川が呟いた。

「まあ、帰っちゃうのも申し訳ないし、ここはご馳走になるしかないんじゃない?」

 仕方なさそうに言うお榛だが、その顔には期待の色が浮かんでいる。

「それも、そうだな。せっかくの好意を無下にするわけにもいかないし……」

 清司郎はもう一度座りながら、「そう言えば寮で休ませてもらう時も、同じようなことを言ったかな」と考えていた。

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