水虎、暴れる
「げほっ……ごほっ!」
家に押し入ろうとする
「ぬぅぅぅっ!!」
そのまま、気合いを入れてぐっと前へ、つまり清司郎のいる方へ押し出してくる。それが谷川の精一杯なのは、足が地面を穿っていることからわかる。
清司郎はしかし、すぐには斬り込まなかった。確実に急所を狙うべく、引きつけることにしたのだ。
ざり……ざり……
水虎の背中が近付いてくる。
ぼんやりとした月明かりの下でも、穿山甲のようと評される甲羅が見える。
ざり……ざり……
荒正を上段に構え、じっと待ち構える。
軽く腰を落とし、重心を下げたそのままの格好で。
「いまだっ、赤城ぃっ!」
谷川が呼ぶよりもほんの刹那早く、清司郎は地面を蹴り、跳び上がった。
水虎の急所、皿と呼ばれる頭のてっぺんに向けて、荒正を振り下ろす。
「いやぁぁぁぁぁっ!!」
裂帛の気合いとともに放たれたその一撃はしかし、皿をほんの少しずれ、水虎の首筋に深々と食い込んだ。水虎の方が首を傾けてかわしたのだ。
「なっ……?」
「そんな知恵があるのか!」
水虎が大きく体を揺すり、清司郎を振り飛ばそうとする。
そうはさせじと荒正をしっかりと握った清司郎だったが、水虎の勢いが勝っていて、ついに振り飛ばされてしまった。地面に転がって勢いを殺し、立ち上がった清司郎は、荒正がまだ水虎の体に食い込んでいるのに気付く。
一方の水虎は谷川を振り払い、家の濡れ縁へと上がっていくところだった。
「谷川っ!」
「オレは……大事ないが……」
そう言うものの、顔を真っ赤にして肩で息をしている様はとても大事ないようには見えない。
清司郎自身もみぞおちと背中とに痛みが走るが、荒正を取り返さなくてはどうしようもない。
体にむち打つようにしてなんとか水虎へと追いすがろうとする。
水虎は障子を乱暴に開けて、座敷の中へ踏み込んでいく。そこに、布団が投げつけられた。
水虎は顔にかかった布団を除けると、大きな声を上げた。
「ぐぅぅ……ぐぉぉぉぉぉっ!!」
清司郎はまことの虎の声を聞いたことはなかったが、きっとこんな声だろう、と思えるような、低く魂を震わせる声だった。
思わず身が竦み、足が止まってしまう。
と、水虎の右腕がするすると伸び始め、反対側の左手が逆に縮んでいく。
水虎は伸ばした右手を座敷の中に差し入れ、小柄な人影をつかみ出した。そのまま高々と月に掲げて、そして首を傾げる。
「お前の目の届くところに、お
お榛が掴まれたままにっと笑った。
それに怒ったのか、水虎はお榛の体を夜空へ放り投げ、長いままの右腕を振り回しだした。
太い腕が勢い良く当たったことで、柱がたわみ、壁がゆがむ。
「なんて馬鹿力なんだ!」
水虎に近付こうにも、これでは近付くことができない。
清司郎は足元に落ちていた拳ほどの大きさの石を拾って投げつけたが、でたらめに振り回される右腕に当たって跳ね返されただけだった。
「こいつっ! 大人しくしろっ!!」
谷川が右腕にしがみつき、なんとか押さえ込もうとする。
そこに、放り投げられたお榛が真っ直ぐに落ちてきて、水虎の背につかまる。
「こいつ! こうしてやる!」
お榛は錫杖で水虎の皿を思い切りひっぱたいた。
じゃりん!
大きな音がして、水虎が苦しみだす。
「若先生!」
「お、おう……」
清司郎はあわてて水虎に駆け寄ると、食い込んでいた荒正を引き抜き、苦しむ水虎へ向けて振るった。狙っている余裕はなかったが、青い燐光が散って、水虎の動きがさらに激しくなった。
水虎はお榛を振り落とし、そのままよろよろと外へ向けて逃げていこうとする。
それを、谷川が再び踏ん張って食い止めた。
「今度こそ……斃れろっ!!」
清司郎は水虎の背に向けて斬りかかるが、甲羅の表面で刀が滑ってしまい、傷を負わせることはできない。もう一度、と正面に回ろうとした時、谷川が尻餅をついた。
水虎の腕がついにすっぽりと抜けてしまい、勢い余って転んだのだった。
腕を失った水虎は体当たりで板塀を破ると、そのままどこかへと逃げ去っていった。
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