勿怪の居場所

「弁当を食べてしまった手前、引き受けてはみたが、どこから手を付けるべきか……」

 清司郎せいしろうは縁側から庭を見回し、呟いた。

 徳右衛門とくえもんは邪魔にならないように、と店の方へ出てしまい、この場には清司郎たちと店から呼ばれてきた手代の豊松とよまつだけが残った。

「とりあえず、お三智みちさんが移った寮の方には勿怪もっけは出てないんだよね? そうならたぶん、この屋敷のどこかに潜んでると思うけど。あたしはお三智さんの部屋を調べてみるね」

 おはるは豊松にお三智の部屋をたずね、調べに入ってしまった。

 清司郎は縁側を調べてみたが、これといって気になるものは見つからない。もしなにか勿怪の手がかりになりそうなものがあったとしても、翌朝には掃除されてしまっただろう。

 谷川たにがわは庭に降りて井戸の周囲を探っている。

「お榛、なにか気になるものはあったか?」

 清司郎が声をかけると、お榛は「ううん」と顔を出した。

「ちょっと部屋の中が湿っぽいかなってだけで、手がかりになりそうなものはないや」

「湿っぽい?」

「お三智さんが寮に移ってからも風を通してるはずなんだけど、なんか湿っぽいのよね」

「じゃあ、お三智さんがいなくなっても、勿怪は毎晩部屋に上がっていたってことか?」

「たぶんそうなんじゃないかな。それにしても根岸の寮とは、さすが大店おおだなだよね」

 寮というのは、つまり別宅のことである。根岸の他には王子など、江戸近郊の風光明媚ふうこうめいびな土地に建てられ、主人の隠居宅や病の療養先として使われていた。また、江戸市中では申し訳程度の小庭しか造れずとも、寮であれば話は違ってくる。店とは別にそうした家を持てばそれだけ金もかかるし、庭に凝ればなおさらだ。ゆえに、お店がどれほど栄えているかの証として、評判の立つような凝った庭を造ることもあったという。

「二人とも、こいつを見てくれ」

 清司郎とお榛が感心していると、谷川が二人を呼んだ。

 井戸、といっても川の水をといで引いてきた水道井戸ではなく、きちんと掘られた掘抜ほりぬき井戸であるらしく、近付くと心なしかひやりとする。そのそばにしゃがんでみると、地面に大人の男よりも一回り大きな足跡が残っているのがわかった。

 土踏まずはなく、足の指の間には大きな水かきがある。

河童かっぱかな。でも、これはかなり大きいよね」

「ああ……水虎すいこだろうな。だとしたら、一体どこに隠れてるんだ?」

 足跡は縁側と井戸の間を幾度も行き来しているようだった。

「この足跡の様子だと縁の下に隠れてるってわけでもないみたいだな。普段は井戸にいて、夜だけここに入ってくるのかもしれない」

「だとすれば、お三智さんが寮にいることに気付かないのも当然か」

 お榛は井戸の水を覗き込み「あれ?」と声を上げた。

「この井戸、ずいぶんと浅いのね」

「そうなのか? どれどれ……」

 清司郎も井戸を覗いてみる。たしかに、思ったよりもかなり浅いところに水面みなもがあり、光の跳ね返りからすると、おそらくゆるやかに流れていると思われた。

「そうだとすると、水虎はもう、ここにはいないんじゃないか?」

「ああ……」

 清司郎は庭をもう一度見回してみた。

 井戸の水が流れる先、塀の向こうには小舟が行き来する堀がある。堀を辿れば隅田川だろう。

「もし、お三智さんの居所が根岸の寮だとわかったなら、水虎はすぐにでもそっちへ向かうだろうな」

「あ、ねえ。寮の場所はわかるか?」

 たずねると、豊松は「はい、存じております」とうなづいた。

「それじゃあ、すぐに案内して欲しいんだけど、いい?」

「すぐ、番頭に許しをもらって参ります」

 豊松が店の方へ戻っていくのを見ながら、清司郎は縁側へ上がった。

「相手は水虎か……しばらくぶりに油断ならん相手だな」

 水虎といっても、みん国のものとはことなり、本朝においては河童の中でも特に体の大きなものを指す。

 力自慢であり、姿を隠す穏形おんぎょう術をも身に付けている。それに加えて、多少の傷はすぐに治ってしまう。急所はあるが、並の河童よりも体が大きいゆえ、狙うことは難しい。

「だが、どうにかするしかないだろう。讃岐屋さぬきやさんがなぜオレたちを頼んだのかはわからんが、できることをやるしかない」

「ああ、まあな……」

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