讃岐屋徳右衛門

 讃岐屋さぬきやは周囲の店が二軒ぶんにもなる、立派な店構えをしていた。

 看板には金文字で『梅中うめなか御用達ごようたし』と書かれており、一歩店に入るとあちこちでお客と奉公人ほうこうにんが商談をしていた。お客は皆それなりの身形みなりをしていて、清司郎せいしろうたちのような庶民の姿はない。

 それもそのはずで、呉服屋では高価な絹を主として扱っているのだ。一方で、長屋暮らしの庶民は絹にはまるで縁が無く、着る物は古着屋で求めるのが常であった。

 居心地の悪いままきょろきょろ店の中を見回していると、清司郎に気付いた手代てだいがおそるおそるといった様子で声を掛けてきた。

「あのう、御浪人様……」

「あたしたち、番頭ばんとう久助きゅうすけさんに呼ばれてるの。悪いけど、取り次いでくれない?」

 おはるが頼むと、手代は怪訝けげんそうな顔をした。

「あいにく、番頭は手が離せませんで、ここは一つ、お引き取りくださいませ」

「どうしてよ? 今日中なら手を空けておくって言ってたのに」

「はあ、そう申されましても」

 手代はどうあっても取り次がないつもりのようだ。

 もしかすると、縁もゆかりもない食い詰め浪人が仲間を連れていちゃもんをつけにきた、とでも思っているのかも知れない。

「お榛、なにか合言葉とか取り決めておかなかったのか?」

「う、うん……だって、来ればわかるって言うから」

 清司郎は呆れてものも言えなかった。

 手代は怪しい者を見る目でこちらを見ているし、なによりやや色せた古着を着た浪人と天狗の扮装をした小娘、それに大柄な相撲取りの三人組は大店の店頭にはいかにも場違いで、すぐに追い払われてもおかしくない。

「とにかく、一度出直そう」

 清司郎が店を出ようとした時、奥から四十がらみの男が出てきた。男は店の中を見回すと、まっすぐに清司郎たちの方へ近付いてきた。

「おお、お榛さん。待っていましたよ」

「あっ、久助さん! この手代さんがまったく信じてくれなくって困ってたんですよ」

豊松とよまつさん、困りますよ。あたしに来客があったら通すか呼ぶかしておくれとあれほど言っておいたじゃありませんか」

 久助は手代の豊松を叱ると「ささ、こちらへ」と清司郎たちを奥へ案内した。

 店の奥は縁側に続いていて、その右手にささやかな庭が広がっている。庭の真ん中には井戸があり、反対側には蔵がいくつも並んでいた。さすがは大店の呉服商といったところだ。

 久助が二人を通したのは、左手の座敷で、そこに五十ほどの白髪交じりの男が待っていた。

「お榛さん、こちらが私どもの主人、徳右衛門とくえもんでございます」

 控えていた小僧さんが素早く動いて座布団を三枚、徳右衛門の正面に並べた。

 久助に促されて清司郎たちはそこに腰を下ろす。

「讃岐屋徳右衛門でございます」

榛名はるなと申します。こちらは同輩の赤城あかぎ清司郎と谷川源之助たにがわげんのすけです」

 互いに名乗り合わせると、徳右衛門はすぐに深刻な顔をした。

「さて、本題から入らせていただきますが……皆さんは勿怪もっけ祓いをなされるとか」

「それを本業とするわけではありませんが、祓いの真似事などいたしております」

 清司郎が答えると、徳右衛門はうなづいた。

「では、勿怪についてもお詳しいのでしょう。例えばその、若い娘を襲うような勿怪なども」

「本日の用向きというのは、長患ながわずらいされているというお嬢様のことでしょうか?」

 お榛が思い当たったように手を叩いた。

「やはり、わかりますか」

「お嬢様のことはこの前、読売に出ていましたので」

「読売で……さようですか。ええ、たしかに娘の三智みちは長患いであるとして根岸の寮におります。ですが、実はそうではないのです」

 徳右衛門はすっと立ち上がると、縁側に出た。

「ひと月ほど前からでしょうか、三智のところへ、夜ごと得体の知れないものがやってくるようになったのです」

「得体の知れないもの……?」

「はい。三智の話によれば、それは庭から入ってきて、布団の周りをぐるぐると回ったあと、また庭へ戻っていくのだそうです」

「それで、お三智さんには、なにか変わりがあったのですね?」

「次第に顔色が悪くなり、伏せりがちになりました。ですので、少しでも勿怪から遠ざけたいと思い、長患いということにして根岸の寮へ移したのです」

 徳右衛門は縁側から庭の方を見つめたまま、話し続けた。

 座敷に座ったままの清司郎からは背中しか見えなかったが、どのような顔をしているのかは容易たやすく想像できた。

「根岸へ移られてからは、どうですか?」

「勿怪が現れることもなく、平穏に過ごせているようです。しかし、いつまでも寮に置いておくわけにもいきますまい」

 とぽん、と小さな水音がした。

 裏の堀で魚でも跳ねたのだろうか。

「わかりました。お引き受けしましょう」

「どうぞ、よろしくお願いします」

 清司郎が答えると、徳右衛門は安堵した様子でため息をついた。

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