江戸の華

 江戸の町には様々な人が行き交っている。売り物を天秤棒てんびんぼうで担いだりや、その他身の回りの細々こまごましたものを売る人も多く、あるいは昼を食べに出てきたのだろう職人や、お店の御用を受けたらしく風呂敷ふろしきを担いだ小僧さんの姿もあった。

 雑多な人々が行き交う中を、おはるは畳んだ屋台を引いて歩く。清司郎せいしろうはその少し後ろについていった。

 屋台といっても、普通は振り売りの天秤と同じで肩に担いで運ぶものだ。だが、小柄なお榛は屋台の下に車をつけ、引いて動かせるように工夫してある。あるいは単に小柄というのではなく、大事な烏天狗からすてんぐの衣装が傷まないようにという了見りょうけんもあるのかもしれないが、わけをたずねたことはないのでわからない。

 お榛は真っ直ぐに讃岐屋さぬきやへは向かわず、両国の広小路へ回った。広小路とは、元来がんらい幾度いくどもの大火たいかを受けて設けられた火除地ひよけちであったが、ふだんは見世物みせもの小屋や水茶屋みずちゃやが建ち並び、常に見物人でごった返す江戸一番の盛り場となっている。

 お榛が向かったのは、そんな広小路でも隅田川すみだがわ沿いに並ぶ水茶屋、麦湯むぎゆ店の中の一軒だった。よしず張りの簡単な作りの店で、一人の力士が床几しょうぎに腰掛け、人待ち顔で麦湯を飲んでいる。顔の造作一つひとつが大振りで、厳ついながらもどこか愛嬌がある顔つきをしているが、相撲取りゆえの大きな体のせいで床几がいまにも潰れそうになっている。

谷川たにがわじゃないか」

赤城あかぎ、おぬしも讃岐屋の頼みを受けることにしたのか」

「まあな。弁当、食っちまったし」

 清司郎がそう言うと、谷川は「はははっ」と笑った。

「おれもだ。この天狗娘にまんまと一杯食わされた」

「一杯食わされただなんて、ひどい言い草じゃない? どうせ、弁当を食べようが食べなかろうが話だけは聞くつもりだったんでしょ?」

「ああ、まあな」

 そう言われれば、たしかにそうだ。話も聞かずに断るというのは、清司郎のやり方に反する。

「さて、三人揃ったことだし、出るとするか」

 谷川がいわおのような体を持ち上げた。

 その体格はもちろん、上背うわぜいもなみの大人より頭一つ高い。そのせいか、人でごったがえすこの両国広小路でも、谷川だけは簡単に居場所がわかる。

「そういえば、谷川はどうして墓場の件に加わらなかったんだ?」

 清司郎がたずねると、谷川はぴたり、と足を止めた。

「あのなぁ……墓場だぞ。墓場の幽霊退治。そんなの、怖くて行けるわけがないだろうが。おれは獣や器物が化けた勿怪もっけならともかく、幽霊みたいな勿怪は苦手なんだ」

「相撲取りだろうが、それでもいいのかよ?」

「相撲取りだから、だ。幽霊が変じたような、形のあるようでない勿怪は相撲の技が通じないからどうにも苦手なんだ」

 谷川はわかったようなわからぬような反論をすると、今度は足早あしばやに歩き出した。

 と、そこへ通りがかった老爺ろうやが「もしや」と声を掛けてきた。

 どこかの隠居らしい、質素ながらも上品な服装で、切禿きりかむろの童女が一人、後ろに従っている。

「なんだい、爺さん?」

「少々おたずねしたいのだが、お前様がたはもしや、この頃評判の勿怪祓いの一団ではございませぬか?」

「ええ、そのようなことをさせていただいておりますが、評判とは?」

 清司郎がたずねると、童女が「これだよ」と持っていた巾着から折りたたんだ紙を取り出した。

 紙を受け取って広げると、それは半月ほど前に出た読売よみうりで、清司郎たちが深川に出た一つ目入道の正体を突き止め、退治したのを記事にしたものだった。

「あの時の読売ですか。でも、実際はこんなに派手なものじゃありませんよ。読売ですから、大げさに書かれてるんです」

「そうご謙遜なされるな。商人というものは、耳が早くなければなりませぬでな。この話、たしかに大げさではあるが、大筋は誤っておらぬというところまで聞き及んでおります」

 老爺の目がほんの刹那せつな、鋭く光ったような気がした。

「まあ、勿怪で困ることがあれば、頼りにさせていただきますよ。それでは」

 老爺は童女に声をかけ、悠々と歩き始めた。その姿は行き交う人々に紛れてすぐに見えなくなってしまう。

「なんだったんだ、あの爺さんは?」

「さあな。どこぞの隠居だろうし、なにかあった時のために顔を繋いでおこうってことなんだろう」

「あたしたちの評判もちょっとずつ広まってきてるんだってことだよ。さ、それじゃ頼み人のところに行こうよ」

 再びお榛が先頭に立ち、三人になった清司郎たちは讃岐屋へ足を向けた。

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