第10話 ペンネームと小説賞

 普段とは違う渥美くんの様子に、騒いでいた女子達は水をうったように静かになる。

 そして。


「これは何の騒ぎ?」


 冷たい声で視線を向けた相手は、私じゃない。遠藤さんだ。

 遠藤さんは少し戸惑ったみたいだけど、すぐに笑いながら答える。


「やだ渥美くん、なに怒ってるの? ちょっと神谷さんに、ネタ帳ってのを見せてもらってただけよ」

「見せてもらった? 僕には無理やり読んでたように見えたけど」

「そんなことないって。ねえ神谷さん」


 遠藤さんはこっちを向いて、話を合わせろって目で訴えてきたけど、私は何も言わない。ううん、言えなかったの。

 苦しくて恥ずかしくて、今は涙をこらえるだけで精一杯だったから。


 すると遠藤さんは何も言わない私をゴミでも見るような目で睨んで、今度は渥美くんに振り返る。


「そ、それよりも。神谷さん、渥美くんのこと勝手にモデルにしてたんだよ。酷いと思わない?」


 違うのに。もうそれが事実みたいな言い方をされる。

 けど渥美くんは。


「たまたま設定が似てただけでしょ。それにもし仮に僕をモデルにしてたとしても、僕は一向に構わないけど」

「えっ。けど、ストーカーされてたかもしれないんだよ。気持ち悪いって思わないの?」

「話が飛びすぎだよ。モデルにするだけなら、別にストーカーなんてしなくてもできるし。神谷さんは絶対に、そんことしないもの」

「けど、人は見かけによらないって言うし」

「遠藤さん。君は神谷さんの何を知ってるの? 少なくとも僕の知ってる神谷さんは、人の嫌がるような事をする子じゃないけど。手帳を盗って勝手に中身を読むような、誰かと違ってね」


 普段の渥美くんからは考えられないくらい、冷たい言葉。

 一方自分のしたことを指摘された遠藤さんは顔を真っ赤にする。

 人を呪わば穴二つ。私に意地悪するつもりが、渥美くんに怒られて。さすがに何も言えなくなって、そのまま黙り込んだ。


 そして渥美くんは、手帳を私に差し出してくる。


「神谷さん、これ」

「……ありがとう」


 お礼を言って、手帳を受け取る。だけど、心は晴れなかった。

 手帳を取り返してもらっても、受けた傷がいてたわけじゃないんだもの。


 小学生のころ、勝手に小説を読まれて笑われた時と同じだ。

 バカにされるために、書いてるわけじゃないのに……。


「神谷さん、大丈夫? 神谷さん?」


 渥美くんが心配そうに私の名前を呼んだけど。

 返事をすることができなくて、私はそのまま彼に背を向けて、教室を飛び出した。


「神谷さん!?」


 渥美くんが呼んだけど振り返らずに廊下を走っていく。

 逃げてどうにかなるわけじゃないけど、せめて一人になりたくて。


 途中、すれ違う生徒が走る私を怪訝そうに見たけど、お願い。誰も私を見ないで。

 こんな事になるなら小説を書いてる事を誰にも知られず、教室の片隅に一人でいた方が良かった。


 そんな事を思いながら、当てがあるわけでもなく走っていたけど──


「神谷さん!」


 不意に後ろから、腕を掴まれて立ち止まる。

 振り返ると、それは渥美くん。教室から、わざわざ追いかけてきたの!?


 驚いたけど、同時にさっきあったやり取りを思い出して体が強ばる。

 ストーカーだなんて言いがかりをつけられたけど、渥美くん信じてないよね。

 さっきは否定してくれたけど、本当に大丈夫かな?

「あ、渥美くん、さっきはありがとう。あの、遠藤さんが言っていたストーカーって話だけど、本当に違うくて……」

「大丈夫、ちゃんと分かってるから。だってあの話を考えたのって、小学生の頃でしょ。まだ僕と会う前だしね」


 私を不安がらせないように、優しい口調で言ってくれる。

 よ、良かった。誤解されてなかった。


 だけど、あれ? 

 ちょっとまって。どうして小学生の頃作った話だって知ってるの? さっきそんな話は、してなかったと思うけど。


 不思議に思って固まっていると、渥美くんはポツリと洩らす。


「……ナリヤミカ」

「──っ!?」


 渥美くんが口にした、頭に電撃が走った。

 ど、どうして渥美くんが、その名前を知ってるの?

 だってナリヤミカは……私のペンネームなんだよ!?



 今まで誰にも話した事のないはずなのに。

 しかもこのペンネームを使ったのは、去年春風文庫の小説賞に応募した時の一度きりなのに。


 唖然としながら渥美くんを見ていると、彼は静かに言う。


「少し良いかな。神谷さん……ナリヤミカさんと、話がしたいんだ」



 ◇◆◇◆



 渥美くんに誘われて、やってきたのは屋上……じゃなくて、屋上へと続くドアの前。

 生憎漫画やアニメと違って、現実の学校は生徒は自由に屋上に出入りできない。けどだからこそ、ここなら誰も来ないはず。こっそり話をするには最適な場所かもしれない。


 私達はドアに背中を預けながら、並んで腰を下ろす。

 今頃教室では、皆お昼を食べているんだろうけど、どのみちご飯は喉を通りそうにない。それより、どうして渥美くんが私のペンネームのことを知っているかの方が気になった。


「ね、ねえ渥美くん。どうして、ナリヤミカって名前を知ってるの? 手帳にも書いてなかったのに」

「昔読んだからだよ。ナリヤミカさんの小説、【例え叶わない夢だとしても】を」

「──っ!?」


 それは紛れもなく、私が書いた小説のタイトル。

 去年ナリヤミカ名義で、春風文庫の小説賞に応募した作品。だけどどうして!?


「読んだ!? ちょっと待って。いつどこでどうやって!?」


 書きかけのものをクラスの男子に取られて読み上げられたことはあったけど、渥美くんとは小学校違うし。あれがきっかけで知られたとは考えにくい。

 まさか噂になって、他校生だった渥美くんにまで伝わったわけじゃないよね。


 そもそも良く考えたらあの時点では、まだペンネームはできていなかったし。

 ナリヤミカってペンネームを作ったのは、賞に出す直前だったんだもの。

 そうなると、いつ読まれたのかますます分からない。

 すると疑問に答えるべく、渥美くんが口を開く。


「実は僕の姉さんが、春川文庫の編集者なんだ。神谷さんが応募した小説賞にも、関わってる」

「ええっ!?」


 ビックリして声を上げたけど、同時に納得もした。

 その編集者のお姉さんつながりで、私の小説を読んだってこと?


「『下読み』って知ってるかな? 春風文庫の場合、賞に応募してきた小説はまず、この『下読み』って呼ばれる人達が読んで、合格か不合格かを判断するんだ。それで合格した小説が次の選考にいけるんだけど。姉さんがやってるのが、その下読みなんだよ」

「つまり、最初の審査員ってこと?」

「まあそうなるね。そして応募されてくる小説って、大抵がWebからの応募なんだ。大抵の人はパソコンやスマホで書くから、データをそのまま送るだけでエントリーできるからね。だけどごく僅かだけど、手書きで応募してくる人もいる。神谷さんはそうしてたよね」


 うん。

 私はパソコンもスマホも持っていないから、原稿用紙に書くというアナログな方法を取らざるを得なかった。

 書いてると手が痛くなるし、文章を間違えた時は書き直すのが大変だったけど、それでも頑張って最後まで書き上げて、応募したの。


 バスケット少年、アキラを主人公にした、バスケの全国大会を目指すスポーツもの。

 タイトルはさっき渥美くんが言っていた、【例え叶わない夢だとしても】。私が最も時間を掛けて書いた、渾身の作品だった。


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