第三章『許してよ、ベスティー』

ヒーロー

「なんなん? あんた」

 後日、若宮家。六畳の部屋。二人で入るには少々狭く、明智はボヤキながら部屋に入っていったのだが、異様に殺気立った若宮を見るなり、押し黙った。

「おかしくない? なんでうちを差し置いてあいつボコしてんの? せめてうちに事前に報告するとかできなかったん?」

「あ、えっと……」

「人に『仲間を頼れー』とか言ったくせに、自分が一人で行動してもうてるやん。あんたなんかもう、カミナリ自分に直撃させて自害してればよかったんや」

「言いすぎだろ⁉ いや、まぁ……たしかに、内緒で行動して悪かった」

 この通りだ、と言って明智は土下座した。若宮は鼻息をふんと鳴らすと、首を横に振った。

「いーや、足りひん。ウェブカメラをつけて裸になれ」

「そこまでの罪だったか⁉」

 明智の想像以上に若宮は怒っていた。

「まぁ、冗談や。京介にも思うところがあったんやろうし、実際魔術に興味ないみたいな顔しといてちゃんと悪い魔術師をぶっ飛ばしてくれて嬉しかったわ」

「急に褒めるな。お前の情緒が怖い」

「黙れ。たしかにうちは嬉しかった。けど……」

 若宮は顔を上げると、真剣な口調で続けた。

「二度とうちに内緒で行動せんで。仲間としての約束や」

「……わかったよ。約束する」

「よし。それならええ」

 さて、と言って若宮は立ち上がった。

「京介。お茶でも飲むか?」

「お、おう……急に押し掛けたのに悪いな」

 気にせんで、と言って若宮は自分で作った紅茶を入れる。

「毒入れとくわ」

「マジでやめろ」

「冗談。せや、わざわざうちまで来たってことは、それなりの成果があったってことやろ?」

「あぁ。……覆面男の依頼主がわかったからな」

「ほんまか?」

「まぁ、その依頼主が厄介者なんだが……どうやら、お前の推理が当たったみたいだぜ」

 よかったな、と明智は皮肉めいた声で言う。

「も、もしかして──」

「冷泉院だ。今回は奴らの傀儡でも何でもねえ。冷泉院そのものだ」

「なるほど……でかした、京介! やっぱり持つべきは友やんな」

「お前あんなに怒ってたくせに、切り替え早いな……」

「あ? 終わったことなんか考えへん、今この瞬間より大事なものなんて数えるほどしかあらへんで。……それで、その暗殺を依頼した組織と冷泉院の因果はどうやって調べたん? まさか、ネット検索で出てくるほどザルでもないやろ」

「さすがにな。ほら、あいつだよ。あの……ショルツとかいうやつ」

「え?」

 若宮は素で腑抜けた声を出す。

「嘘やろ?」

「本当だ」明智は頷いた。

「どうやって通してくれたん」

「お前の名前を出して、事の顛末を話しただけだが」

「セキュリティ緩いんやな……それで? 他になんか収穫はあったん? 目的とか知りたいねんけど」

「さすがにあのドイツ人もそこまでは掴めてないらしいぞ。ただ、冷泉院がなんか大きいこと企んでるのは間違いねえ。そして」

 明智はティーカップに口をつけると、若宮の目をまっすぐ見つめて言った。

「冷泉院が敵ともなれば、俺たちも無事では済まねえだろうな」


 *


 斎加さいか喜晴きはるは、某ファミレスに一人でたたずんでいた。ワックスで上げた赤みがかった前髪と、小さめの体躯、柔和な表情が特徴的な男の子だ。彼は制服デートを約束していた彼女に一時間程度の予定が入ってしまったため、こうして一人でファミレスにたたずんでいるのだ。

「……はぁ」

 普段こうしたところに一人でいるのは造作もない。しかし、最近どうも体の調子が悪いのだ。この原因不明の不調が起きたのはたしか、一か月ほど前からだと記憶している。誰かといる時は平気だが、一人になるとどうしても体の怠さが明るみになってしまう。また、胸のあたりが痛い。その痛みは、日に日に増していくのだ。

「病院に行こうかな……ガンだったら困るし」

「喜晴くん?」

 斎加がため息交じりにそう吐いたところで、待ち人が現れた。お人形さんのような清楚黒髪で、優等生ビジュアルの女の子。

「ななな渚⁉ は、早かったな……」

「生徒会の手伝いが思ったより早く終わったの。それより、さっきなんかすっごく大きなため息ついてなかった?」

「き、気のせいだよ!」

 喜晴は彼女に心配させまいと行動していたが、もう話さずにはいられなかった。

「……いや、気のせいじゃないかも。最近、ちょっと体がだるくて……風邪だからすぐ治ると思っていたけど、もう一か月くらい続いてるんだ」

「大丈夫? 絶対病院に行った方が良いよ」

「確かに僕もそう思ってるんだけど……」

 そこで、喜晴は押し黙った。いや、まさかこんなことを言えるはずもない。被害妄想だ、ついに頭がおかしくなったのか──そんな罵詈雑言を浴びせられても仕方のないことのように思えるからである。まさか、調子が悪くなってからずっと、誰かにつけられているように感じる……だなんて、言えるはずもないんだから。

「……けど?」

「いや、なんでもない。大丈夫、明日病院に行く」

「んー、本当は今すぐにでも行ってほしいんだけど」

 一ノ瀬はずっと不安そうに斎加の顔を見つめている。心配を患わせて申し訳ない──斎加はただただ、頭を下げるばかりであった。

「あっ、もしかしたら、牡丹ちゃんに聞いてみればわかるかも……」

「ん? ボタン?」

 斎加は眉をひそめた。

「あ、えっと……そういうのに詳しいお友達がいるから、聞いてみるのもありかなと思って」

「そっか。けど、大丈夫。必ず治すから」

「本当? それならいいんだけど……今日はこれくらいにして、帰ろっか」

 そんな、こっちの都合で申し訳ない──そう言おうとしたが、これ以上彼女に迷惑をかける方が申し訳ないのも事実である。

 ありがとう。じゃあ、行こう──そう言って、斎加が椅子を立ち上がるときだった。

「んー、惚気話は終わったね?」

 甲高くて、艶やかで、こちらをあざ笑うかのような声がする。刹那、視界がゆがむ。斎加と一ノ瀬は焦って周りを見渡した時、息をのんだ。自分たちのテーブル付近だけを切り取って、他の人間が停止していたのだ。

「──」

 二人は茫然と、周りを見渡すのが精いっぱいだった。本能的な恐怖が、心や体を支配していたのだ。

「……お嬢さん。君には正直用はないから、聞き流してもらってもいいね。ぼくは今、そっちの男の子が目的なんだからね」

 人間を見下しているかのような、耳障りな声。人間でないものが無理やり人間になりきっているかのような、遠慮のない声。その主が今、テーブルの上に現れた。

「……っ」

「やぁ。死んでもらうね、坊ちゃん」

 魔術師は透き通るかのような緑髪をしていた。顔は残酷すぎるほどに整っていて、背は平均よりは低いけれども、スタイルが良く、妖艶な印象さえ与えられる。しかし斎加にそんなことを考えている余裕はない。目の前に降り立った化け物が今、刃物のような腕を振り下ろして、自分の首を掻きとろうとしているからだ──。

「──!」

 奇跡。斎加は本能で体を屈めると、男の攻撃をかわした。これには思わず、緑髪の魔術師も面食らう。しかし、例えばゲームでプレイヤーがモブ相手に攻撃を外したとして、それが次の行動に何の影響を及ぼすというのだろうか。

「へぇ……まぁいいね、どうせ死ぬからね」

 さらなる追撃を加えるだけで、特に何の感想も持たない。現実は残酷だ。

「じゃあね」

 見下した顔で、腕を振るう。斎加が反射的に腕を少し出してしまったからか、攻撃は斎加の左腕をかすめる。切り傷から赤い血が噴き出した。

「くっ……」

「僕に弱者をいたぶるような趣味はさすがにないね。大人しく死ぬのがいいね」

 反対側にいた一ノ瀬は恐怖で、何もできなかった。ただ目の前で、好きな人が傷つけられていくのを、茫然と見つめることしかできなかった……しかし。

 激痛に歯を食いしばって耐える斎加のもとに、刃物のような腕が無慈悲に振り下ろされるのを見てもなお、それでも、一ノ瀬は、友達が来るのを信じて疑わなかった。

「来ないね」

 そう、彼女の考えを見透かしていたかのように言い放ったのは、緑髪の魔術師だった。

「助けが来るなんて思わない方が良いね。一般人にはまず見えないし、仮に魔術師がファミレスの中で襲われている人を見つけても、大抵は知らないふりをするだけだね~。しかも僕に勝てる奴は早々いないし、強い人間ほど残酷なのが世の常。肝に銘じておくのが良いね♪」

「来るかもしれないじゃないですか。私のヒーローが……」

「だから早く死ぬと──」

 ん? 魔術師はそう言って、首をかしげた。斎加に振り下ろそうとしていた腕を引っ込め、再び一ノ瀬の方に向き直る。

「ちょっと待ってね。今、君、ヒーローって言った? ハハハハハ‼ 笑止千万にもほどがあるよ。さすがに現実と妄想の区別くらいつけた方が良いね」

「そんなはずが……」

「おい!」

 すると、緑髪の魔術師の後頭部に軽い衝撃が走った。少し驚いて、魔術師は振り返る。

「俺の彼女に訳のわからないことを吹き込むな……会話さえしてほしくない。お前には」

 魔術師が一ノ瀬を煽っている間に、斎加は全力で、魔術師の頭を殴ったのだ。しかし、魔術師はびくともしていない。殴られたことにすら気づいていないのかもしれなかった。

「わかったら……早くこっちを見ろ……!」

「そうだね。じゃあ、ぼくの目的は君だけだから、早く死ねばいいと思うね」

「──‼」

 緑の魔術師はそう言うと、一段ギアを上げて斎加の首──いや、心臓を狙って腕を振るった。またしても左腕が切れ味の鋭い刃物に変形している。

 ──もはやこれまでか。しかし、これほどの悪魔に彼女を殺されなかったのは幸運だった。死ぬのが自分で良かった。

 そう思わないと、精神が持たない。

「死ねッ──」

「おい」

 その時、一ノ瀬にとって、どこからか聞き覚えのある声がした。どこか腑抜けていて、聞けば安心してしまうような、そんな声。

「ん。誰か迷い込んでしまっ──」

「こっち来いや」

 刹那。それと同時に、ヒーローと緑髪の魔術師が同じタイミングで姿を消した。

「……え? ちょ、え?」

 覚悟を決めて目をつむっていた斎加が困惑する中、周りのゆがんでいた時空が元に戻った。先ほどまでと変わりなく、誰かが談笑したり、皿と皿がぶつかり合う音がしたり。

 危機が去ったと分かった瞬間、一ノ瀬は手を合わせて涙した。──ずっと来てくれるって信じてたよ、牡丹ちゃん。約束してくれたもんね。絶対守ってくれるって。

 そう言って一ノ瀬は携帯を椅子に置くと、テーブルに身を乗り出して、斎加の体を抱きしめた。

 一ノ瀬の携帯には彼女の送信した「たすけて」が、やり取りに残っていた。たしかに、若宮はSOSを受け取ったのだ。

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