襲撃

 深夜。覆面の男は殴られた顎付近を押さえながら、途方もない夜道を歩いていた。『標的』の暗殺には成功したが、強者に思わぬ横槍を入れられた。想定外だった。やはり計画というものは、想定通り運んでいかないものである。

「まさか、オレの動きについてくるなんてな」

 人気の無い路地裏で、男は呟く。夕方に、知らない魔術師二人組に追いかけ回された時の事だ。

 男は最初から、彼らと戦うつもりはなかったのだ。もとより複数人の魔術師を殺害した現場も町の外れであるとはいえ一般人の目にはつく場所だったから、『骸』をさっさと回収して帰路に着こうとしていたのに──結果的には、『骸』のストックを多く消費させられることとなった。

『骸』は──死体に魔力を込めることで、位置交換や遠隔攻撃の道具として任用することが可能となる。魔術師の骸は元より魔力が籠っているから、一般人のそれに比べてより扱いやすいのである。

 自分と骸の位置を交換することはもちろん、骸にその人間の臭いを覚えさせれば、対象の痛覚と骸のそれを同期させることも可能だ。骸はあくまで人間の死体であるから耐久性に欠けるのが弱点ではあるが、ひと手間加えれば腐敗することは無くなるし、襲撃対象の臭いを覚えさせさえすれば遠隔攻撃が可能になるのはかなり大きい。

「ひとまず、あの魔術師──二人については準備が必要だな」

 しかし、若宮と明智に関しては、骸がなかなか臭いを覚えてくれなかったのである。いや──彼らの持つ魔力が大きすぎて──魔力の壁が分厚すぎるが故に、付け焼き刃の魔術では到底太刀打ち出来なかったのである。

「まぁいい。いつか、借りを返すとしよう──」

 男は布越しに微かな笑みを浮かべると、そのまま夜の闇に消えていった。

「よう」

「!」

 ところが、男の行く手を阻むように立っている人間の影があった。思わず立ち止まると、影はこちらに向かって近づいてきた。本能的に感じる恐怖。そして、顕になる正体。それは黒髪に青のメッシュを入れた、雷の魔術師だった。

「貴様──」

「お前の手にかかりゃ、人の死体までも魔術の道具になっちまうって訳か。よく出来た魔術だこと」

 明智京介は皮肉めいた声色でそう言うと、鋭い眼光で男を見据えた。

「お疲れさん。殺してやるぜ」

 明智は手を掲げると、そこから雷撃を放った。まさに閃光──有象無象の魔術師なら、反応すら出来ずに焼き殺されているだろう。

「……ッ!」

 男は骸を盾にすると、間一髪で明智の攻撃を防いだ。そうして、そのままその身を翻して反対方向に走り出す。

 ──駄目だ。この男と戦うには、今の自分はあまりにも消耗しすぎている。連れの魔術師が不在なのは幸いだが、だとしてもこちら側が不利なのは間違いない。

 しかし、『雷の魔術師』から逃げ切るのはそう簡単なことでは無い。現に、明智は男よりも先に回り込んでいた。

「……!」

 その速さは、普通の人間では目視することさえ困難だ。瞬間出力では、若宮をも凌駕するほど──雷とはそもそも速い。高速移動の負担はかなり大きいが、明智は迷わず能力を完全解放した。

「逃がすかよ」

 明智は男を捉えると、さらに雷撃を飛ばす。男は骸を盾にして、明智を撹乱させるように走り回った。

「……チッ。ネズミが」

 決定打を挙げることができず、明智は業を煮やした。

『骸』──何個ストックがあるんだ。そもそも、覆面男は骸を使わずとも素のスピードが速い。厄介な奴だ。

「残念、時間切れだ。また会おう──」

 布の男は低い声でそう言うと、小さく手を合わせた。そうか。あれは夕方、新宿でも見た。はるか遠くにある人形と自らの位置をチェンジする時の、合図。

「──『雷槍』ッ‼」

 同じ轍を踏んでやるものか。明智は雷のほとばしるグングニルを、男に向かって一閃した。

「……またその技か」

 しかし男は合わせていた手を離すと、代わりに身代わりの人形をそれに当てた。刹那──雷がまともに人形に直撃し、黒い消し炭になったものが地面に降り注がれる。

「どうした、その程度か?」

「……」

 明智は焦りを感じ始めていた。そして、同時に違和感も。

 今の場面、逃げようと思えば逃げられたはずだ。一貫して男は逃げることに徹していたはずだし、現に自分が放った雷槍はヤケクソだったと言っていい──しかし、それならば敢えて人形を使って雷槍を止めたことの説明がつかない。

 もしかして──この男の魔術には、長期戦になればなるほどこいつに有利になるような条件があるのだろうか。もしくは、単にこちらの魔力切れを狙っているとか──

「なるほど。だったら、やることは明確じゃねぇか」

 明智はフッと笑うと、男の方を見下ろした。

 ──簡単だ。今、ここで決める。それだけだ。

「どうやら、オレは貴様を過大評価していたようだ。消耗している状態でも、貴様を殺せる」

「おぉ、もうすぐ死ぬからな。好きなだけ喋っとけ、雑魚」

 明智はそう言うと、両手を掲げた。

 魔術は嫌いだが、人様に迷惑をかける魔術師はもっと嫌いだ。──無論、出し惜しみはしない。

 俺の全身全霊をぶつける。

「終わらせてやる──」

 瞬間、男は迫り来る『死』を感じた。先程までとは、明らかに違う雰囲気。今までの攻撃は全てフェイントだったのか──そう思わせるほどには、段違いの魔力量だった。

「ずっとそこで踊ってろ、クソ野郎」

 明智は両足を浮かせると、まるで雷神のように空中に舞った。そして、立ち尽くす男に向かって、その両腕を振り上げる。

「じゃあな……ッ‼」

 瞬間、凄まじい落雷と共に、明智の手から無数の雷槍が放たれる。世界の光が全てここに集約されているかのよう。その閃光は男を焼き殺すためだけに、地上に向かって一直線に伸びていった。

「ぐああああああああああああああああああああ! あぁあああああああああああああああああああああああ‼」

 男が用意したありったけの骸を貫通して、雷槍が男の全身を貫く。アキレス腱が切れた音でさえも雷撃の喧騒にかき消されていく。声にならない声を上げながら、男はその場に倒れ込んだ。

「……ふぅ」

 明智はゆっくりと地上に降り立つと、痛そうに右肩を押さえた。魔術は久しぶりだってのに、無理しすぎちまった──毎日鍛錬していないと、やはり身体は訛っていくものだな。

 そんなことを思いつつ、明智は倒れ込む男に近づいて行った。男の体はぴくぴくと動いている。

「お前、まだ生きてるのか──」

 本当にタフな奴だ、と明智はボヤく。肩で息をしている男の顔を覗き込むと、そのままその覆面を剥ぎ取った。そこにあったのは、何の変哲もない男の顔面だった。どこか、やつれているようにも見える。

「……!」殺されると思ったのか、男は必死に抵抗した。しかし、もう遅い。

「動くんじゃねぇ」

 明智に頭を鷲掴みされて、男は身動きが取れなくなった。

「クソ……」

 男は驚愕していた。そして、反省した。

 考えが甘かった。最初の予定通り、逃げ切ることに全力を注いでいればよかったのだ。時間を稼いで、魔力切れを狙う──そんな姑息な手段が通用するはずもなかった。

 まさか夕方、自分に簡単に背後をとられていたあの魔術師が、無数の雷撃を平気な顔で繰り出してくるとは思わなかったのだ。完全に慢心していた──。

「お前、あの『骸』だが──今までに何人殺した?」

「……」

 男は答えない。

 しかし明智はそれを察したのか、男の首元を掴み上げた。

「質問を変える。夕方の殺人は、お前の独断でやったのか? それとも、どこかの誰かに依頼されたのか?」

 ところが、男はそれにも答えることが出来ず、体からもだんだんと力が抜けていっていた。

「おい、答えろ!」

「ああ……ぁぁぁ……!」

 明智はそのまま男の首を絞め上げ、なおも問い詰める。しかし男はそれでも口を割らない。

 ならばと、明智はさらに力を込めた。

 男の体がビクビクと痙攣し始め、苦しそうな表情を見せる。このままでは本当に死んでしまう。

「クソ……」

 ──そう思った時だ。明智はふと男の纏っていたカーディガンに目をやった。

「あ? なんだこれ」

 すると、ポケットから手紙が飛び出ていることに気がつく。明智が抜き取って中身を確認すると、《xxx派遣》──そこには襲撃対象の人物の顔写真や住所、よく出没する場所が載っていた。

 明智は直感的に理解した。──この覆面野郎は、傭兵だ。あくまで大きな組織の小手先に過ぎない。かなりトリッキーな魔術だから、暗殺には大変適していたのだろう。追っ手から逃げ慣れていたことも考えると合点がいく。

「お前、まさか雇われの身だったなんてな」

 肝心の手紙の差出人のところには、大きく黒文字でバツがつけられていたが、しかし────それは明智にとって、想像に難くない団体だった。

「そういうことなら──クソ、しゃあねえ。やるよ」

 明智は男を地面に投げ捨てると、胸ポケットに入っていた手紙を奪う代わりに少しばかりの札束を入れてやった。

「…………」

 男は虚ろな目で、その札束に手をやった。

「次、俺の目の前に現れたら、その時はあの人形のようにしてやる」

 明智はそう吐き捨てると、ゆっくりと帰路についた。それにしても魔術というものは気に入らない。特に、自分の。何が雷撃だ。

 深夜の目覚ましにはちょうどいいんだが。それならば苦いコーヒーで、事足りるし。

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