第二章『雷撃、新たな不穏』

腐れ縁と刺客

「ふぅ……」

 休日の昼下がり。雨でびしょ濡れになった傘を閉じると、若宮はほっと息をついた。

 パジャマの上にそのまま上着を着てきたからか、妙な背徳感が味わえる。今回も例にならって新宿のビルにやって来た。

 ショルツは捕まったルックロビンの近辺についての情報を収集してくれている。こちらの動きは早い方がいい。若宮も可能な限り早く予定を空けて、この薄気味悪いビルにやってきたというわけだ。

 いつもの小汚いエレベーターに乗って、最上階へと到達する。……しかし、彼のオフィスには鍵がかかっていて、ショルツはいなかった。

「あっ……」

 若宮は今更ながら、携帯を確認する。すると、午前中にショルツからメールが届いていた。どうやら彼は急遽、新聞記者として取材の予定が入ってしまったらしい。一時間後には戻ると連絡があった。

「……確認しとけばよかった」

 若宮は小さくそうつぶやくと、踵を返した。

 おやつの時間。若宮はパンケーキでも食べようと、駅中にあるカフェに入った。東京に来てから数年経つものの、未だに人の多いところには慣れない。甘いものは好きだが、時間潰しでなければこんな都会の人間だらけの場所には来ないだろう。

 そんなことを思っていると、列に並んでいるところで偶然にも知り合いと遭遇した。

「げ」

「おい。げ、とはなんだ。失礼な奴め」

 制服姿の腐れ縁は仏頂面で、若干不服そうな顔をしていた。明智あけちきょうすけ。十六歳。黒髪と青のメッシュがトレードマークで、若宮とは旧知の友に当たる。明智は魔術御三家の明智家に長男として生まれ、以来魔術師としての英才教育を施されてきた。若宮の数少ない友人のひとりである。

 明智は持ち前の鋭い目で彼女をギョッと睨むと、すぐに目線を前に戻した。

「あんたみたいなやつでもこんなとこ来るんやな。意外やったわ」

「勉強しに来ただけだ。牡丹みてえな世間知らずにならないためにも、今のうちにしっかり勉強しないとな」

「あ、もしかしてうちが中にパジャマ着てるのバレた?」

「いや、それは知ら……え? お前パジャマ着てんの?」

 そんな他愛のない会話を交わしているうちに、カウンターのところまできた。

「ご注文を伺います」

 先に行け、と明智に言われたのもあり若宮が一足先に答えることに。

「ホットのブレンドと、あとパンケーキをお願いします。ふわっふわの」

「わかりました。テーブルはそちらのお兄さんと一緒でよろしかったでしょうか?」

 店員が後ろに並んでいる明智を指したので、若宮はノータイムで頷いた。

「ちょっと待て。なんで俺がお前と相席しなきゃいけねぇんだよ……」

「そら時間つぶしにちょうどいいからやろ」

 こちらの都合をほとんど無視してくる若宮に対し、こういう人間にはならないようにしよう……と、明智は身が引き締まる思いがしたのであった。

「──ちっ。仕方ねぇな」

 明智は渋々了承した。注文を済ますと、若宮に促されるがまま、気だるげに席に着いた。

「なぁ、京介。最近調子はどうや」

 若宮は席に着くなり、そんなことを訊く。

「まぁまぁだな。いまいち読解力が足りないのか、国語が弱点になっちまってるが」

「勉強やなくて、魔術の話や! 勉強の調子はどうですかって、カテキョーかうちは」

 甘ったるいブレンドコーヒーに口をつけてから、若宮は参考書を覗き込んでいる明智を牽制した。

「もしかして、明智家も悪いこと考えてるんか?」

「悪いことってなんだ」

 顔を上げて、明智は問うた。

「つい最近、麻薬を密売してる組織をぶっ潰したんやけど、その組織自体がどうやらもっとデカい組織の手先に過ぎなかったって噂があってな。その悪い組織みたいに、あんたの所も悪いとこ考えてんちゃうかと思って」

 若宮は追及する。しかし、明智は特段興味がある素振りも見せず、すぐに目線を手元に戻した。

「って聞いてんのか!」

「くだらねぇ妄想を垂れ流しやがって。だいたい良からぬことを企んでるとしたら、それは冷泉院の方だろうが。明智は何もしねーよ。できる連中でもねぇ」

 冷泉院とは、魔術御三家のひとつである。残りは若宮と明智で、若宮家は保守、明智家は中道、そして冷泉院は革新派。無論、若宮牡丹は実家と関係を断絶しているが。

「……じゃあ、あんたのとこに何か情報は入ってきてないんか?」

「なんもねぇよ。強いて言うなら、若宮のおてんば娘が魔術師の人口を減らしまくってることに関して心配があるくらいだ」

「それの何が悪いねん。生まれ持った能力を犯罪に使う奴らなんか淘汰されて当然やろ」

 まぁ一理ある、と言って明智はコーヒーに口をつけた。

「ちなみに、その冷泉院が悪い動きを見せてるって噂は誰から聞き付けたんだ?」

「あぁ……えっと……そやな」

 ところが、突然若宮がもじもじし始めた。

 中々続きの言葉が返ってこない。今まであまり見た事がないような反応に、明智は驚く。

「なんだ。もしかして好きな男でもできたのか?」

「ち、違うわ!」

 若宮は少しだけ顔を赤らめて、コーヒーに口をつけた。

 さすがにショルツとの関係を、旧知の友と言えど漏らすわけにはいかない。情報屋と魔術師狩りが繋がっていたなんてニュースがもし伝われば、明智家とて黙ってはいないだろう。

 明智が不審な若宮をじっと見ていると、テーブルに彼女が注文したパンケーキが運ばれてきた。

 ナイスタイミング。若宮は悪い流れを断ち切るように、それを口にほおばった。甘い。美味い。砂糖は多ければ多いほどいい。甘い香りを引き立てるメープルシロップもGood。

「……ま、その冷泉院の話、あながちホラでも無いかもな」

「マジか?」

「実際、冷泉院が横浜に拠点を移してから、物騒な事件も増えたし」

「たしかに。うちが東京引っ越したタイミングやな」

「若宮家は狙ってやったのかとその時は思ったぜ。ま、冷泉院に反発する魔術師も少なくはないが、俺は一旦様子見って感じだな」

 そう言うと、明智は二杯目のコーヒーを頼んだ後、再び手元の参考書に目線を落とした。

「……ふぅん」

 若宮は真剣な明智の顔を見ながら、時折パンケーキを口に運んだり、コーヒーに口をつけたりして、休日の昼下がりを過ごした。

 窓から見える曇天と同じように、若宮の心にもまたモヤモヤとしたものが残っていた。──中学生の時、唯一の味方である叔母を頼って、実家を飛び出して上京した。あの時は、家族全員が敵に見えたのを覚えている──娘を家から追い出す両親の心情なんて理解できないが、きっと彼らが持っていたのは今、窓から見える梅雨空のようにモヤモヤとした心ではなく、雲ひとつない晴れやかな空のような心であったのだろう──今でも、自分の決断を少しだけ悔やむ時がある。魔術に関係することなく、普通の人間と同じ人生が遅れていたかもしれない。けれども、もう後戻りすることは出来ないのだ。基本男性優位の魔術界において、女性として、しかも同族殺しとして生きる。これも自ら歩み始めた外道。誰も歩んだことのない外道だ。不安はあるけれど、ないふりをするしかない。強いだけがヒーローじゃないんだから。

「……」

 突然押し黙った若宮に、明智は真剣な顔で口を開く。

「背負い込みすぎだ」

「……へ?」

 若宮は一瞬虚をつかれたように、自分に指をさした。

「ウチ?」

「あぁ。俺は牡丹の信条なんぞ知ったこっちゃねぇが、お前のことを客観的に評価することは出来る。いいか、お前は魔術師としては強い。が──まだまだ不安定だ。ったく、高校生ごときが一人でなんでも解決しようとすんじゃねぇ。いいか、誰かを頼れ。中学ん時にお世話になった叔母さんでもいい。もしくは、信頼出来る同級生だっていい。お前の漠然とした不安と、その場しのぎじゃなく、本当の意味で上手く付き合わせてくれるような、そういう『仲間』……それを探すといい」

 若宮はパンケーキを運ぶ手を止めて、茫然と明智の方を見ていた。彼とは小さい頃から交流があるが、彼がこんなにも長く、そして熱く喋ったのはこれが初めてだったのだ。

 ──彼のくせっ毛が、細目が、妙に大人っぽく見えた。

「あ、ありがとう……」

「礼を言われる筋合いはねぇよ。昔からの腐れ縁として忠告してやっただけだ──」

 明智は素っ気なく答えると、二杯目のコーヒーにゆっくりと口をつけた。が、むせる。

「ゲホッ、ゲホッ!」「何してん」

 若宮は苦笑しながら、口元をふき取る明智を見ていた。

 違う。そうじゃない。苦いコーヒーで目を覚まさなきゃならないのは、自分の方だ。

 今までずっと、独りで戦ってきた。誰かを助ける時はきまって独りだった。それは自分の使命だからと思っていたけど、明智に言わせればそれは違っていた。

 孤独とは弱さだった。特に高校生の自分にとっては、なおさら。

「仲間……見つけられるんやろか。魔術しか知らんような、弱虫に」

 若宮が小さく呟く。

 明智は何かを言おうとして口を開きかけたが、やがて言葉に詰まり、黙った。彼女の言葉は、自分にも向けられているようでもあったからだ。

「あー! もう、辛気臭い話は終わり!」

 若宮は残りのパンケーキを勢い良く口に放り込むと、いつもの明るい笑顔を見せた。

「てか、アンタはいつまで勉強しとん。まさか受験生でもあるまいし」

「うるせぇな。今大事なところなんだよ」

「なんや。ウチに説教垂れたくせに」

「それとこれとは話が別だ」

 若干イラつきながらも、明智はそう返す。若宮は口を尖らせた。

「……京介、魔術より勉強の方が好きなんか?」

「どっちがマシかって話だ。魔術なんか役に立たん。それなら、学業の方を選ぶのは当然だろう」

「ふぅん……」

 すると、若宮は立ち上がって財布を取り出した。

「今日は奢ってあげる。感謝せい」

「は? なんでだよ」

「さっきのお返し。今月は叔母さんがたくさんお小遣いくれたんや。それに……これからも友達とはお茶したいやん?」

「突っ込みどころはいろいろあるが……お前とは腐れ縁ってだけで別に友達ってわけじゃ」

「まあまあ、細かいことはええから」

 若宮は伝票を手に取ると、レジへと向かっていった。

「さ、行こ。ついてきて」

「お、おい、待て! まだ途中なんだが」

「ペン持って下ばっか見てたら、見えるもんも見えなくなってしまうわ。それに……」

 若宮は振り返ると、少しだけ照れたような表情を浮かべた。仲間、仲間……か。

「自分と上手く付き合わせてくれるような、最高の仲間が目の前におるやん」


 *


「いやー、すっかり晴れたな!」

 若宮はカフェを出るなり、さっきまでの曇天が嘘のように青が広がる空を見上げて言った。明智は適当に頷くと、そのまま帰宅しようとしたが、なおも若宮がダル絡みを続ける。

「なぁなぁ、ゲーセンでも行こか?」

「……行かねぇよ」

「えー。取れるかもしれんのに。参考書とか」

「そんなもん景品で出すわけねーだろうが!」

 赤本でも置いてあんのか、と明智は余分にツッコミを入れておく。「確率論の問題集しかないやろな」

「やかましいぞ。つか、そもそもお前はなんか用事があってこっちに来たんじゃねぇのか?」

「……あっ、そうやった! ショルツさんに会わな!」

 若宮はぽろっと情報屋の名前を出してしまう。明智はすかさず尋ねた。

「しょるつ? なんだ、そいつ。知り合いか?」

「あっ、いや、……まぁ別にええか。ショルツさんは外国人向けに新聞を書いてる記者で、魔術界隈に詳しい人やってん。うちは情報提供を受けとる感じや」

「……そうか。なるほど、そのおっさんにお前は恋してると」

「ちゃうわ! どこをどうしたらそうなんねん」

「冗談だ。まぁ……相当グレーな話だが、他の奴には黙っといてやるよ」

 明智はにこりともせずにそう言った。「ありがとう」と呟いてから、若宮は一歩前へ踏み出す。

「さぁ、そうと決まれば一緒に行こ!」

「なんでだよ⁉ 俺要らんだろうが!」

「さっき言うたやん。何でもかんでも一人でやろうとするなって」

 明智は押し黙った。クソ、余計なことを言ってしまった気がする……。

「ちっ、仕方ねえ。そうと決まれば行くぞ」

「ナイス」

 結局明智の方が折れる格好となり、若宮は彼を連れてショルツのいるビルへ向かうこととなった。妙に湿気が多くよどんだ空気の中で、梅雨がもう訪れるのかと憂鬱な気持ちになりながらも、それでも大丈夫と思えたのは、隣に仲間がいたからかもしれない。

「あっ」

 路地裏のビルに向かう途中、携帯を見て若宮が思わず声を出した。

「どうした。あったらいいな製薬みたいな声を出して」

「なんやその妙な言い回し……ええと、ショルツさん、やっぱり急用でオフィス来れんくなったって」

 ここまで歩いたのは何だったんや! と若宮が虚空に向かって叫んだ。妙に湿っぽい声だ。

「まぁ……忙しいんだろ」

「うち電車で結構な時間かけて来てるんやけど⁉ 報酬を払うんが大人のルールって言ってたくせに、人との約束一つも守れんのかー!」

 若宮が珍しくキレている。大人しく黙っておくか……と、明智は無言を貫くことにした。

「魔術師も人間も、約束を破るときは破るんや……やはりホモ・サピエンスは悪……」

「……」

「人間は悪、人間は愚か……」

「おい、さすがにお前が『人間狩り』になったら俺も黙ってないぞ」

 苦笑しながら明智がそう言うと、若宮は笑って頷いた。

「まぁ冗談。それに、このまま京介と遊ぶのも悪くないしな」

「だったら俺は帰るが」

 そう言って、明智は歩き出した。あまりにノータイムで歩き出すものだから、思わず若宮は笑ってしまって。

「逃がすわけないやろ!」

「クソ……! 放せ、放せ!」

 若宮は明智の服を掴んで、そのまま駅の方へ歩き出した。……昔から変わらないな、京介は。思ったよりも大きくなっていた彼の身体を見ながら、彼女はそう思った。

「──キャー!」

「⁉」

 刹那、女性の悲鳴が街中に響き渡った。ただならぬ異常を感じ、若宮は掴んでいた手をパッと放す。

「今のは……」

「行ってみよ、京介!」

 叫び声のする方へ二人が駆け付けてみると、そこには血まみれで倒れ伏している男の姿があった。

「派手にやりやがったな」

 明智は死体を物色しながら呟いた。男は返事の代わりに口から大量の血液を流している。腹部にはナイフが刺さっていた。

「しかも、これ……ただのナイフじゃねぇな」

 明智は不自然な刺さり方を見て、そう指摘する。「魔力の残滓もある。間違いねぇ、これは『魔術師』の仕業だ」

 辺りは騒然としていて、街の外れとは言え通りかかっていた多くの人が離散していった。その場に残っているのは、ナイフが刺さって倒れた男女複数人と、若宮、明智、そして顔を布で隠した男だけだ。

「…………」

 男は黙ったまま立ち尽くしている。布の下にどんな表情を浮かべているのか、誰にもわからない。

 この男が犯人であることは誰の目にも確かであった。若宮は怒りに打ち震える声でつぶやく。

「あんた……」

 若宮は男の方に歩み寄ろうとするが、明智がそれを制止するように肩を掴んだ。

 彼はどことなく察していた。この男は只者ではない、と。

「てめぇがやったのか?」

「……」

 男は答えず、代わりに手に持っていた何かを地面に落とした。それは人形だった。二頭身くらいの、それにしては妙にリアルで気持ち悪い人形。

「!」

「まさか、傀儡魔術の使い手か」

 明智は冷静に分析した。傀儡魔術。藁人形を操る魔術のことで、例えば人形にナイフを刺せば対象にナイフが刺さるし、人形に火をつければ、たちまち攻撃の対象にも火がつくという、虚属性の魔術である。幻獣を使ったルックロビンの魔術同様、魔力消費量は大きい。

 二戦連続で虚属性か……と、虚属性の魔術師はたいてい面倒な手合いであるので、若宮は頭が痛くなる思いがした。

「多分、ついさっき殺しが起きたんやろな。死体に抵抗した跡は無いし、あの男は相当な準備をしたはずや」

「一般人の目に付く場所でやりやがって……ひとまず、あいつを止めるぞ」

 明智は男を見据えたまま動かない。しばらく遠くから顔に布をつけた男と睨み合ったが、やがて男はお前らに用はないと言わんばかりに、別の方向へと歩み始めた。

「見逃すかよ」

「!」

 瞬間、明智は指先から雷の矢を放つ。標的にされた者は天の裁きを受け、軽々と身を焼かれてしまう──明智の魔術は、雷属性だ。

かみなりやり一閃いっせん

 必中の技だが、それも虚しく空を切る。気づけば男は消えていた。

「あいつ……もうあそこまで移動してやがる」

 目にも止まらぬ速さとはまさにこの事だ。明智や若宮ですら目視できないほどに速く、既に遥か遠くへと移動していた。しかし、たしかに雷は必中である。確かに命中した。男が元いた場所には、消し炭になった藁人形の残骸があった。

「京介……あいつは走って移動したわけやない。元から置いてあった人形と自分の位置を入れ替えたんや」

 若宮は舌を巻いた。あの男、相当な実力の持ち主だ。このまま野放しにするのは危ない。

「なるほど……手練れだな」

「逃がさんで!」

 若宮は走り出す。魔力消費による移動速度の上昇──負担は大きいが、誰よりも速く動く。

「待て牡丹! 一人で突っ走るな!」

 明智もまた、彼女を追いかけるようにして走った。恐ろしいスピードで男を猛追する若宮に対して、明智はなおも声を張り上げる。

「なんでもかんでも首突っ込みすぎじゃねぇのか⁉ まだ細かいこともわかってねぇのに!」

「うるさい! 殺し合いを見てしまった以上、このままほっとけるわけないやろ!」

 ──たしかに一理ある。ここであの男を止めなければ、また街のどこかで同様の手口による暗殺が発生し、挙句の果てには一般人の被害までも出してしまうかもしれない。魔術の秘匿はもはや形がい化しているとはいえ、SNSなどに映像が流れてしまうような事態は御三家としても避けたいところだろう。

「……チッ」

 舌打ちをしてから、明智は彼女の後を追った。元々伏せておいた人形を使って市街地の間を縫うように逃げる覆面の男と、それを猛追する若宮。そして、更にその後ろを懸命に追いかける明智という構図が出来上がっていた。

 しかし藁人形のストックがなくなったためか、覆面男の足が止まった。二人は男に追いつくと、その行く手を阻むように立ち塞がる。

「おい。大人しくしねぇなら、こっちにも考えがあるぞ」

 明智に睨みつけられたが、男は逃げない。喋らない。おもむろに両手を広げると、その手の中からナイフを覗かせた。

「……!」

 驚く二人を前に、男は躊躇なくナイフを投げ放つ。

「なんだ」

 明智は咄嵯に雷の盾を自分たちの前に生み出すと、それをなんなく防いだ。

「やけになったか? 覆面野郎」

 明智は不思議な顔でそう言った。事物の生成自体は珍しい魔術じゃない。無属性でオーソドックスな魔術だ。しかし、人形を扱う高度な技術を持っていると言うのに、それを使わずにわざわざナイフを生み出して投げつけるというのは、二人からすれば不思議な行動であった。単に奇をてらっているとしか考えられない。

「どうした。人形にナイフを刺せば、俺たちにもそのダメージが行き渡るんじゃねぇのか」

「……」

 布の男はまたしても答えることなく、さらにナイフを投げ放った。しかし銀色のそれは、いとも容易く明智の盾によって防がれてしまう。

「なんだこいつ……」

 なおも男は諦めることなく次々とナイフを投げつけてくる。しかし何度やっても結果は変わらず、明智の前には無力であった。

「無駄だっての」

 小手先の抵抗に痺れを切らしたのか、明智はとどめを刺すべく男の方へ一歩踏み出した。

「⁉」

 その時だった。突然、目の前にいたはずの男が消えた。

 咄嗟に後ろを振り返ると、顔を押さえて笑っている(表情は見えないが、肩を小刻みに揺らしている)男の姿があった。

「お前────」

 明智は男の次なる行動を止めるべく、雷撃を放った。しかし、男はふたたび姿を消した。背後に回られたと分かった時には、もう遅かった。

「‼」

 男はすかさず明智の首元にナイフを突き立てた。フィールドに人形を巧妙に伏せていたのだ。人形には魔力が込められているとはいえ、気配では確認できず、だんだんと辺りが暗くなってきているのも影響して明智は背後を二回も取られてしまったのだ。これがタイマンなら勝負は決していたかもしれないが、しかし横で負けん気の強い彼女──若宮がただ黙って見ているはずもなく、

「どけろ‼」

 力強く振り下ろした若宮の拳が男の顔面に炸裂し、男は吹っ飛んで行った。

 助かった──明智が礼を言おうとしたのもつかの間、今度は若宮が急速にギアを上げ、男へと追撃の爆炎を放つ。

「!」

 男は咄嗟に身代わりの人形を当てようとしたが間に合わず、その炎を全身に受け、盛大に燃え上がった。

「京介、大丈夫か?」

「あぁ……助かったぜ」

 若宮が駆け寄るも、明智は首を縦に振った。友人の危機を救った若宮だったが、すぐに異変に気づく。

「────あいつ、どこや?」

 なんと男はその場からいなくなっていた。代わりに、明智の足元に人形が落ちている。

「まだ、予備策があったって訳か」

 用意周到な奴だ、と明智はぼやく。

「京介、早く追いかけんと!」

「いや……ちょっと待て」

 再び男の後を追いかけようとする若宮に、明智が待ったをかけた。

「き、京介?」

 明智は地面に転がっている人形を見つめた。戦っている時から、少し違和感を覚えていたのだ。

 その人形を手に取ると、噛み締めるように言った。

「これ、人形じゃねぇぞ」

 明らかに、質感が人形のそれではない。

 けれど、人の形をしている──それはそうだろう。

 人形は、人そのものだった。

 肉を接ぎ合わせているがために、サイズが小さいというだけで──あるいは、一部が欠損しているというだけで──人間であるということに変わりはない。

「……せや」

 若宮は顔を青ざめさせた。

「これは……人間の骸や」

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