第8話


         ※


「よし、ここだ」


 地下第一フロア。

 先頭を行く摩耶は、配管の中を這いながら何かを見つけた。秘密の通路だそうだが、どこに出るのだろう?


 がたん、と鈍い音がして、梯子が摩耶の手で引き下ろされた。人一人が辛うじて通れるようなスペースが、今度は真上に伸びている。


「あたいが先に行くから、柊也はぴったりついて来てくれ。美耶、まだついて来るのか?」


 僕は身体を捻って、美耶が頷くのをはっきりと確認した。摩耶もきちんと把握した様子。


「よし。この蓋を開ければ地上階だ。あたいが先に出るから、二人共少し待ってくれ」

「わ、分かった」


 反論はない。どうやら美耶も納得しているらしい。


「よいしょ、っと……」


 マンホールのような蓋を押し上げるようにして、摩耶は一歩、地上へ踏み出した。


「よし、警察はもう帰ったみてえだな。次はお前だ、柊也」

「おう」


 摩耶の手を握ってみる。暴力行為とは無縁の、柔らかくて温かい手だ。

 どうして彼女がこんな生活を送っているのか……。一瞬胸中で疑問が芽生えたが、今はそれを気にしている場合ではない。


 半ば摩耶に引っ張り上げられるようにして、僕は再び地上に戻って来た。

 燦々と日が照りつけてくる。今はちょうど正午くらいだろうか。


 僕がぼんやりしていると、美耶もまた摩耶によって引き上げられてきた。


「すまねえな、柊也。今日の予定はだいぶ狂ったんじゃねえか?」

「ん、まあ、そうだけど」


 ぐったりと肩を落とす摩耶。そんなに僕のことを気にしてくれていたのか。有難いことだけれど、だからといって元から引きこもりの僕のことだ。外出せずに、自室で延々ネット動画を見て過ごしてもよかったのだ。


 しかし、こうして外出したことで、僕は月野姉妹や彼女たちを取り巻くヤンキーたちや生活環境を知ることができた。確かに反社会的な色合いはあるだろうが、全員が全員悪人だというわけではない。むしろ、逆である可能性だって捨てきれない。

 パーカーの一人が言っていたように、いろんな環境の変化に揺さぶられながらも、そこが自分に合うかどうかを判断できる連中だ。無駄に他人を殺傷するようなことはないだろう。


「じゃあな、柊也。また遊びに……いや、来ない方がいいな。大学生だからって、あんまり無理し過ぎんなよ」

「ああ、肝に銘じておくよ」

「柊也さん、どうかご無事で」

「うん。美耶もありがとな」


 僕は美耶の頭にぽん、と手を載せた。美耶は真っ赤になってしまったが、彼女が平常運業に戻れるまでずっとここにいるわけにいかない。


 僕が鬼羅鬼羅通りの中央広場(という名前の溜まり場)まで進んできても、二人は手を振って僕を見守り続けてくれた。いい出会いと別れをしたような、充実感と一抹の寂しさを覚える。ここで誰も邪魔しなければ、の話だが。


《全員そこを動くな!!》


 はっとして、広場の対角の方向に振り返る。そして僕の心臓は、びくり、と不自然に脈打った。

 刑事の岩浅拓雄が、僕たち三人にメガホンで呼びかけているのか。


「岩浅巡査部長、どうしてここに……?」

《俺がここに来た時、何となくお前さんの気配がしたもんでな、朔坊。それと、俺は警部補だ。昇進試験に受かってる》

「あっ、す、すみません……」


 俺がぺこりとお辞儀をすると、岩浅警部補は腰に手を当て、やれやれとかぶりを振ってみせた。


 一九〇センチメートル近い上背に、どかっとシャツを内側から圧迫するメタボ体型で、髪は豊かだがやや白髪が目立っている。

 その巨漢は、ぶつぶつ不満を垂れている。『最近の若いのはいったい何をやっとるんだ……』とか『バーチャルだけでは気が済まんのか』とか。


 僕は渋々、岩浅警部補と話をすべく彼に歩み寄った。


「ちょっといろいろあったんですけど……。こんな裏路地に何か御用ですか?」

「しらばっくれるなよ、朔坊。このあたりが反社会勢力の拠点だってことは分かってるんだ。お前の立場をどうするかは、我々警察の方で決めさせてもらうことになる。たった今、対策本部に一報の入れたところだ」


 小型の無線機を握り、軽く手を振ってみせる。

 これには反論の余地はない。このまま事情聴取とかされるんだろうか。

 僕がぎゅっと拳を握り締めたその時、意外な言葉が岩浅警部補の口から発せられた。


「冗談だよ」

「は?」

「お前さんの行動には目を瞑っておいてやる、と言ってるんだ。まったく、他の捜査員をここから遠ざけるのに、随分手間がかかったんだぞ? 俺の相棒なんて熱血漢……じゃないな、熱血娘でね。いろいろ都合が合って――」


 僕の抱いていた緊張は、すぐに解かれてしまった。こうなってくると、誰かが止めるまで警部補は喋り続けるだろう。結局僕のことをどうするつもりなのかと、警部補に詰め寄った。


「あーったく、お前の親父さんには手を焼かされるな。もちろん俺が好き好んでやらせてもらってる節もあるが」

「ああ、そういうことですか」

「んん? 何か思い当たることがあるのか」

「ええ、まあ」


 父さんが生前、語っていたことを思い出す。

 父さんと岩浅警部補は、大学の先輩後輩関係にあたる。そして二人共、剣道部に所属していた。父さんの方が二学年上で、岩浅警部補は父さんの面倒見のよさに憧れていたという。


「朔坊、俺は刑事として最善を尽くしてきたつもりだ。だが、心が折れそうになった時、朔先輩の言動を追いかけてきたこともまた事実。先輩はこの世にいないが、いや、だからこそ、存命であるお前さんのために、俺は人生懸けても構わないと思ってる」

「そんな! 警部補だって、頑張って働いたり勉強したりして、その地位にいるんでしょう? 僕のためにだなんて……」

「すまんな。俺は、恩は恩で返したい。仇で返すわけにはいかないんだ。そのへん、ガキの頃から妙に頑固でな」


 それでいいのかと僕は心底呆れたが、岩浅警部補の深い笑みを見て、仕方がないなと諦めた。


「おっと、お迎えが来たようだな。俺はお暇するぜ」

「あっ、は、はい」


 ゆっくりと遠ざかる白シャツ姿に、僕は軽く頭を下げた。

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