第7話


         ※


 パトカー出動の一報を受けたフロアから、さらにもう一階下りた地下第二フロア。

 パーカー二人に挟まれて、慎重に歩みを進めていくと、途中から列ができているのが分かった。

 鬼羅鬼羅通りにいた一般のヤンキーたちだ。ヤンキーに一般もなにもあったもんじゃないとは思うけれど。


 その光景を見て、僕はなんだか、胸中にわだかまりを感じた。

 警察というのは、弱者のために正義を執行してくれる人たちのことを言うのではなかったか。だとしたら、こうやって行く宛のない若者たちを追い立てるのは矛盾してはいないか。


「くそっ! サツの野郎、好き勝手やりやがって!」


 毒づくパーカーの一人に、僕は尋ねた。


「さっきのパトカーの話ですけど、警察は何をするつもりなんです?」

「そりゃあ決まってますぜ、旦那! 我々を取っ捕まえて、矯正施設にぶち込むつもりなんです!」


 もう一人のパーカーも口を挟む。


「あっしらはそこで生活しろって言われますけど、真っ平ご免でっせ! 施設の連中は、適当にあっしらを食わせて、座学をやらせて、しばらくしたら世間に放り出すんですわ。何も得られるもんはありゃしません!」


 何も得られないなんてことはないんじゃないか。そう口にしかけて、僕は慌てて言葉を飲んだ。

 僕はその矯正施設とやらに入ったことがない。ここにいるヤンキーたちの方がよほど詳しいのだ。


 僕は家族を喪っているけれど、弦さんや親戚のお陰で、衣食住は確保できていた。

 しかし一方で、いくら衛生環境が整っているとはいえ、コンビニの売れ残りを毎日漁らなければならない状況を考えると、流石に惨めというか、恵まれていないんだな、と思ってしまう。


 こんな下手な同情など、鬼羅鬼羅通りに生きるヤンキーたちには不要だろう。貴様に何が分かるんだと責め立てられ、今度こそ殴殺されてしまうかもしれない。


 ふと、何とはなしに察するところがあった。

 ここにいるヤンキーたちには、お互いにしか理解できない共通点があるんだろうな。両親や警察、施設職員すら信頼できなくなるようなポイントが。

 僕はそこまで経験したことがないから分からない。正直、ここに来るまで想像すらしたことがなかった。

 

 だが、その共通点たる理由があるのは間違いないはずだ。

 話さなければならない。きちんとヤンキーたちと話して、知って――それからどうなる?


 地下第二フロア、辛うじて裸電球が吊るされているだけの、広くて薄暗い階層。

 そこに辿り着いてから、しかし、と考える。


 仮に警察沙汰になるとすれば、僕の身分はどうなるだろう? 大学を追い出されたり、刑務所に入れられたりするのだろうか。

 だとすれば一大事だ。こんなところにいるわけにはいかない。


 確かに、鬼羅鬼羅通りの真実や、そこに生きる若者たちの在り方というのは分かった気がする。だが、だからといって運命共同体になるつもりはない。というより怖い。

 もしそんなことになったら、僕は自分の人生を棒に振ることになる。それは勘弁願いたい。瑞樹先輩にも会えなくなってしまうし。


 ざっ、と音を立てて、僕は立ち上がった。


「だ、旦那? どうかなすったので?」

「お手洗いならこの通路の奥に――」

「違う。違うんだ」


 体育座りをしたパーカー二人を見下ろしながら、僕は言った。


「僕を脱出させてくれないか。警察と合流する」

「えっ、そんな……!」

「君たちのことやこの地下フロアを使っていることについては言及しないし、暴力を振るわれたってことも黙っておくよ。ただ……」


 ここで、僕は意外なほど頭が回っていないことに気づいた。ぺらぺら喋っていたかと思いきや、唐突に分からなくなったのだ。いったい自分は、何を伝えるべきなのか。


 今やパーカー二人のみならず、多くのヤンキーたちがこちらを見上げている。

 彼らがじっと息をひそめ、上目遣いに僕を見ながら、何を訴えたいのか。

 それを僕は分かっている。お前は仲間じゃないのか。自分たちと共に戦ってくれないのか――きっとそういうことだ。


 僕はそれに躊躇いを覚える。その要因もいろいろある。だが決定的な原因は、この言葉に尽きる。


「僕の家族は皆死んでしまったんだ。これ以上、他人が死傷するような場所に居座るのは……怖いんだ」


 小声、というより涙声で、僕は自分の思いを絞り出した。

 視界の端で、パーカー二人が顔を見合わせている。パチパチと裸電球が点滅する。


 ここは日を改めるとするか。

 僕が立ち上がりかけた、その時。ぐっと袖を掴まれる感触があった。


 美耶だった。衣服や身体に目だった傷はない。だが、不安や絶望の色は見て取れた。

 美耶を家で匿うか? すると恐らく、摩耶も連れ出してやる必要があるだろう。でも、さっきの摩耶とのようなギスギスした関係性があっては困る。


 あまりにも現実味に欠けるような気がする。いくらせがまれても美耶を、いや、誰のことも連れていくことはできない。


「摩耶、頼みがある」

「おう。ついて来な」


 頼みの内容も訊かずに、摩耶は立ち上がった。僕がこの場を去ろうとしているのを理解してくれているのだろう。


「あたいが見送る。美耶、お前も来るか?」


 すると美耶は、俯いたままぐっと顎を引いた。


「し、しかし摩耶のお嬢、警察の連中、まだこの近くを捜索してるんじゃないっすか?」


 パーカーのうち、一人が不安げな声を上げる。摩耶はそれを無視した。


「お客さんの見送りだよ。そのくらいしたってバチは当たらねえだろう? それとサワ兄、少し話がある」

「おう、何でも言ってくれ」


 すると二人は人混みを避け、フロア隅の真っ暗な一角で話を始めた。


 それから約十分後。


「よし、皆、訊いてくれ」


 よく響くバリトンボイス。サワ兄は、座り込んだ皆の中心に出てきて声を上げた。摩耶もそれに続く。


「皆にはもう一階層下、第三フロアに移動してもらう。粗削りだが、落盤の恐れはないはずだ。警察はじき、この第二フロアの位置を嗅ぎ当てる。その前に第三フロアに慣れておくんだ」

「あたいは一旦地上階に出る。柊也、巻き込んで悪かったな」

「ぼ、僕は別に……」


 突然話題を振られて、僕はあたふたと戸惑った。


「あんた、二度とこんなところに来るんじゃねえぞ。あんたは経歴に傷なんかねえだろう? そのまま綺麗でいろ。いいな?」

「……分かった」


 年下に説教されるのは、一見奇妙に見えるだろう。だが、僕は不思議と違和感なく摩耶の言葉を聞くことができた。なんというか……目力があったのだ。


「さあ、皆移動するぞ。ワシについて来てくれ」


 サワ兄を先頭に、ぞろぞろと歩み出すヤンキーたち。

 僕は顎をしゃくった摩耶の元へ、軽い駆け足で並び立った。


「摩耶、一つ訊きたいんだけど」

「あん?」

「サワ兄はどうしてこの建物の構造に詳しいんだ? まるで建設業者みたいだ」

「ああ、それな。実際、このあたりの都市開発はサワ兄のいる会社が請け負ってたんだ」

「へえ、なるほど」

「いや、納得されても困る事情があってな……」

「事情?」


 僕が首を傾げて見せると、摩耶は苦虫を嚙み潰したような顔でこう言った。


「この現場で事故があった。被害者は現場の建築作業員。まだ若かったんだけどな」


 ようやく僕は合点がいった。その作業員こそ、現在のサワ兄なのだと。


「社会ってのは冷たいもんだね、ちょびっと保険金が下りたくらいで、サワ兄は首になっちまった」

「首って……。解雇された、ってことか!?」

「ああ」


 僕は思わず、拳を膝に打ちつけていた。そんな理不尽があって堪るか。

 その挙動を目の端に捉えていたのだろう、摩耶は『だよな』と言って言葉を続けた。


「別にテロやクーデターを起こそう、ってわけじゃねえんだ。ただ、あたいらは分かってほしいんだよ。こういう人間もいるんだ、ってことをさ。理解する手続きを疎かにはできねえ。だが、あたいらには学がねえ。だからどうしても、腕っぷしを頼りにしちまうんだ」


 僕はいい反応が思いつかず、今日何度目かの沈黙を味わった。

 今日一日で、あまりにもいろいろな物事に触れすぎた気がする。早い話、疲れた。

 社会勉強になったと思えば許容範囲なのだろうか。いや、分からないけど。

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