第13話 第三部

    三十七



 空はどんよりとして、重石おもしを抱え込んだ錯覚に見舞われた。

 祷の口をついた言葉は

「人の悪意が原因の、嵐の予感かしら?」であった。そばに誰もいないので、独り言も行き場をなくし、帰化するしかなくなって終った。


『それは、祷さんにとっての悪意であって、誰もがそうと想ってはダメですよ。それが証拠に、雨粒に流されるはずですから』

 どういう経緯で届いたのか解らないままに、うさぎの思念が、祷の脳に響いていた。


「うさぎさんは、虫さん(身体に宿りし神々様)と、共鳴(赤い糸)で繋がっている? のかしら」

 祷は、自分だけ仲間外のけものにされているようでしゃくに触ったのだろう、不機嫌な表情をこさえて吐き捨てるようにささやいた。


 其を感じ取ったうさぎは

『静かなる心は、雫の落下音ですら響くのです』

「簡単に云ってくれるけど、雑踏に慣れた人間の耳は、簡単に閉鎖シャットアウトできないわ。神様の仲間の赤瞳さんには解らない? だろうけれども」

赤瞳わたしも前は生身の人間でしたから解ります。境界線という領分に入ってくるものを、体内じか発電の熱で帰化させれば、誰もが可能なんですよ』

「それはそうなのかも知れないけれど、理屈通りにいかないのが現実でしょう。想い通りに動かせるならば、間違いや失敗はなくなる? もの」

『そういうことを、言い訳と云うのです。何故? という疑問を持たないと、なにも変わりませんからね』

「一般人のあたしが変えなくても、賢者だれかが変えてくれるのが現実。人には役割があるけれど、それが総てじゃないはずよ」

『正解だけがしるしとでも云うのですか? 間違いが教えることは経験値になり、成長の糧です。その経験が眼に映らないだけなんです』

「なんで、そう次から次へと言い返すのよ?」

『当たり前、と想って終ったら、成長に繋がりません。失敗を噛み砕けないと糧となりませんし、成長に繋がりません。動物が咀嚼をする理由は、本能に刻まれて要ますから』

「?、それは太古の昔の話しでしょっ。進化した現代人とは違う時代背景なんて理解できないわ」

『そうやって絶滅危惧種を生み出した事実は、人の良心を蹂躙していたことにも気付いていませんでした』

「だとしても、あたしだけの問題じゃないはずよ」

『その責任転嫁が、地獄と現世の往復しか生まないのです』

「どういうことよ」

『神様が心に宿る理由は、純真を護りたいからです。浄化でやり直す機会を与えられるのは、両極を飼い慣らして欲しいからなんですよ』

「だから両親を映し出して教えたっていうの?」

『血に残された記憶は、どんなに優れた科学者でも解明できませんが、視れるとすれば、それが神ノ眼なんです。祷さんは前に、赤瞳わたしにねだったことがありますよね』

「そんなこともあったわね」

『今では欲しくはないのですか?』

「貰えるなら欲しいけれど、無理みたいだから諦めたわ」

『何故? 無理と想ったのです』

「選ばれるひと握りにはなれそうもないみたいだからよ」

『? 挫折した、ってことですね』

あたしは特別じゃないみたい、って実感しちゃったからね」

 うさぎはそれで、言葉を失くして終った。



    三十八


 無防備な心を汚染よごす言葉を使う人々は、自らが心を失くしていることに気付いていない。

 うさぎはそんな危惧から、祷の心の崩壊を気にしていた。順風満帆は、膨らませた希望を風に託すからである。風は気儘に観えるが、運ぶべき未来さきを模索してもがいているのだ。気圧の狭間を流れる気苦労は、人が知らない、いや、見えないからで、癇癪かんしゃくが爆発するたがいない。天災を引き合いに出して善いものか思案に暮れていた。


 うさぎのそんな感情は、たまえに伝わり、うたする愛猫に寝返りをたせた。

「珍しいわね、寝返りをうつなんて?」

 祷は云って、賜に手を伸ばした。

『赤瞳の話しは聴きづらい? ですか』

「?」

 その声は、うさぎの思念ものではなかった。祷は差し出した手を停め、賜を注視する。

「聴き覚えがあるのは、気のせいかしら?」

 無意識に発した言葉はとぐろを巻き、黄色の思念を具現化してゆく。顕れたのは、卑弥呼であった。一度だけあったことがあるのは、逃亡劇の最中に現れた、仙人を連れなっていたからである。

卑弥呼わたしの存在は、赤瞳から聴いているから、紹介はしませんよ』

「間違いないとは想いますが、卑弥呼さんですよね?」

『赤瞳の言葉はくどいですから、想い込みが強すぎて支離滅裂に感じますよね。でもそれは、みち筋がぶれないからなのよ』

「道筋じゃないんですか?」

『造られた道と、彷徨い徘徊する途は違います。地球上には道が存在しますが、宇宙てんには道がありません。人の想いに応える答は、宇宙にはありませんからね』

「人が基準でないことは教わりました。それでも、物事には基準になるものが必要なんですよ」

『赤瞳は其を、「言い訳」と云っていませんでしたか?』

「云ってましたが、・・・」

『歯切れが悪いですね』

あたしも、傲慢? なんですかね」

『誰もが其を持っています。ぜん悪魔あくの二極性も聴いていますよね』

「はい。ですが、飼い慣らし方なんて、人に必要なんですかね」

『どちらかに転ぶつもりなら、飼い慣らす必要はありません。赤瞳はどちらにも転ばない信念を持っているから、そう云うのですよ』

「そうなると、三極になります」

『新約聖書では、アダムとイヴから始まります。そこに愛がはぐくまれれば、子供が産まれるのは理解できますよね』

「そうやって今は、七十億を越える人が誕生しています」

『地球の公転が三六五、二五だから、勘違いしてしまいますが、円は三百六十度よ』

「?、人の数ですよね」

『立体に繋げれば、十九、四周しかないわよ』

「バネじゃないんですよ」

『人が跳ねて、宇宙の中心に届く? とでも想っているのですか?』

「えっ?」

『人は願い事を、宇宙の中心に向けるのですからね』

「? だとしても、雲もあれば、数多あまたの星が妨害します」

『其を教えるために、八百万やおよろずを残したのですがね? それでも人は、流れる涙を噛み締めてきましたよ』

「重力が働いていますからね」

『当たり前にしてはダメなことには、気付けませんか? 宇宙は、人が考えているよりも広大ひろいのですよ』

「行ったことを忘れていました」

『赤瞳の想い入れは、恩師を再生リスタートから掬えなかったことよ。だからくどい、のよ』

「祷にも掬えなかったことに気付けと?」

卑弥呼あたしにもあるわ。掬えなかった後悔がね』

あたしに後悔させないため、なんですか?」

あなたの感性を護った育ての親御さんを救い出せるのは、あなただけよ』

あたしが、掬い出すの?」

『刻まれる時間に制限があるわ。手遅れになれば、始祖の神武じんむのように、刻んだ想いを浄化されて終うわよ。間に合ううちに頑張りなさい』

 卑弥呼は云うと消えようとしていた。

「待って!? あたしはどうすれば良いの?」

「堕天使の疾風が人に残したものは、信じる心。それは卑弥呼あたしにできなかったこと。頑なな想いは、悪意にも打ち勝つわよ。継続は力なり、って云うのだからね」そう云い残して、卑弥呼は消えて行った。

 暇をもて余したのか、賜が大きくあくびを噛ましていた。



    三十九


『どうしたんです? 元気がないようですが』

 うさぎはしらばっくれて、訪ねていた。

「次から次へと・・・試練? って誰がこさえるのかしら」

無差別ランダムなのは確かですが、ご自身で掴むんですよ。誰かが宛がうものではないはずです』

あたしが自分で掴んだって云うの?」

『祷さんが出す電気信号波が呼び寄せますからね』

「そうなのか? って云うか、そんなのも視えるの」

「視えるから、選択肢を間違わないように導こうと頑張っています」

「?、卑弥呼さんと話していたことも、訊いていたわよね」

赤瞳わたしが困惑していたので、助け船を出したんでしょうね』

「両親を掬えることを知っていたんだね」

『記憶が完全に浄化されるまでの期限は、前の経緯で解りますよね』

「だから捕捉したの?」

『三途の川は公表されているので、誰もが知っていることです。其処にある選択肢は、黄泉の國と地獄を選択させます』

「死んでも選択肢があるの?」

『内なる意思は幾らでも繕えますからね』

「両親が間違った選択をしちゃったのね」

迷宮ラビリンスは、壁づたいに戻れることを公表されましたから』

「天国って、迷宮ラビリンスなの?」

『神々の間では、あみだ籤と云われていますよ』

「それじゃあ、あの世もこの世も籤引き? ってことじゃない」

『選択の自由は個人の責任ですから、誰も悪くなくなりますからね』

「それを先に教えといてよ!」

『教えても、記憶が取り上げられますから、本人の感性が選択します。感性に残すのならば、心の純真を保全するしかありません』

「それが、悪意を飼い慣らす理由なんだね」

『繕えるものは、裏切りが生じますからね』

「そういうことだったのか」

『輪廻とは、希望を持たせるためだけの代物です。ひと握りの賢人たちにも、悪意があります。宇宙の中心は、たったひとつしかないですから』

「簡単には行けない場所ってことなんだね」

『中心のなかでスモールバンやビッグバンが起こってしまえば、創世主が滅びて終いますからね。本人はそれでも良いって云ってますけれども』

「なんで廻りが危惧してるの?」

『違う次元とごちゃ混ぜになっちゃうからではないですかね』

「簡単に云うのは、くせじゃなかったんだね」

『妄想の原点は、隔たりを失くすことですからね』

「むぅ?、大分慣れたつもりでも、癪にさわる言い方よね」

『我慢が生み出すご褒美は、格別ですからね』

「もしかして、わざと? やってない」

 うさぎの満笑は、祷を呆れさせていた。笑みに隠したものは、言葉に悪意があろうがなかろうが、いちいち苛立っているからいさかいが起きることを教えたかったはず。生活環境が違えば、生活も違う。慣れ親しんだことで見失うものは、傲慢が生み出す覇権争いに繋がるからである。それは妬みや恨みを含み、無駄なことだからであった。

 進化と退化を繰り返しても、人に大きな違いが生まれていない。その根本こそが、人の特質だ。うさぎが云う、人が人の事を知るという意味は、根本を知ることだと教えたかったのだった。



 

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