第7話 第二部

    十九


 祷は、大学への進学を機に、独り暮らしをすることを決めた。栞と、夢が、星一徳に可愛がられている様を、快く思えなかったからである。


 中学・高校の六年間、足繁く図書館に通い、冊子の内容を、おおむね理解するに至っている。自然科学も入り口を見つけていた。理解できないのは、語句に隠されたピースであった。漢文表記の古文書を理解するために、J女子大学文学部に進むことを選択していた。


 時代背景を紐解くには、その時代の情景を知る必要がある。恨みや妬みを語句に隠す文藝は、日本独自の発想である。現代のような流行り言葉がなかった時代でも、想いをキーワードとして、伏線を仕込む文章は、一夜漬けでは紐解けない。してや閃きに頼るだけの経験値も足りていなかった。


 トリックというどんでん返しに頼る近代文學は、ある意味での騙し合いと考えられた。いわくとなった背景は、部数の確保で、作者の生活を支えたからだろう。そこに欲がある限り、想いを綴る作品は、冊子に限られる、と考えられた。

 巻物という一点は、写経で蔓延しているし、必要な者だけが残す文化は、海を越えていく。同じ想いに打ち菱がれる人々のために、冊子となり残されたならば、それに然りとなる。出版に移り変わった背景は、限りない欲の顕れに繋がった。


 心ある善意は、言い訳でしかない。だから、電磁波で形成される雲のお告げを読み解けないのだ。無機質な空気感の漂う図書館で、自然科学だけでなく、深層心理学も読み解いていた。それでも同じのない雲は、読み解けなかった。必要となった思念は、両親の死後、届かなくなっていた。悪循環を停めるために、博海ちちが云った心の解放に取り組んできたが、数年経つ未だに要領を得なかった。


 独り暮らしへの想い入れは、祈祷場を失ったことで、願いを捧げる場所を失くしたからだった。温もりに頼る世代は卒業していたが、矯正力がはたらくこともなくなった現在は、祷にとってぬるま湯という結論を導きだしていた。それ程の平穏な生活くらしが続いていた。



 独り暮らしへのプレゼントが、星一徳から贈られてきた。『寂しさを紛らわすために贈る』と書かれたお祝いカードが同封されている。

 追伸には、『エサ代に困ったなら、遠慮なく頼って欲しい』と、小さく記載されていた。雲海家の正当な後継者だけに、手懐けたいことが見え隠れしていた。


 温もりに拘ったことはなかったが、『話し相手に困らないし、命を粗末にしたくない』という想いで、ありがたく頂戴することにした。

 名前は、賜物だけに、タマにと考えたが、メスだったことで、タマエとした。血統書がついている、スコティッシュフォールドであった。

「高価な贈り物だけに、自尊心プライドの象徴みたいだけど」といい、もふもふに顔をうずめて、温もりを絆に変えようと試みていた。折れ耳のタマエは、嫌がる素振りも見せず、猫招きで応えるようにじゃれていた。



    二十


 二回生に進級を決めた春休みを前に、夢から連絡が入った。


 あまり使用していない別荘に、一緒に行かないか? という誘いであった。錆びついた空気の入れ換えは口実で、言葉足らずが招いた不仲を、修復したいらしい。正直に云ってきたことで、邪険に扱えなかった。

 幼少期から競いあってきたが、不仲になった原因は、ただの嫉妬であった。それだけに、断る理由を失って終った。

タマエを自然に触れさせないと、ストレスで、死んじゃうかも知れないからね」という、夢の天然ぶりは健在であった。

 祷はほくそ笑み

「気分転換したいのは、わたしの方みたい。思念の疎通にかまけて、心を閉じて終っていたようだからね」と、心の内を打ち明けた。

「実は、義理父あのひとから、かいじの特急券を用意されているのよ。でも、仕事が忙しいらしくて、同行しないらしいから安心して」

「そうだったの? でもそれじゃあ、自炊をしなくちゃならないね」

「給仕婦さんが世話してくれるから、それは大丈夫。それに去年の夏休みに行ってるから、気心も知れてるしね」

「そう? だったの」

「出発は明日だけど、大丈夫? かな」

「一泊くらいじゃ、手ぶらで良いもんね」

「? まあね。じゃあ明日、朝八時に立川駅で待ってるね」

 夢は捲し立てるように云って、通話を切っていた。祷は、山の芽吹きを想像して、夢見心地でいた。エサを求める、タマエの鳴き声で、すぐに現実に引き戻された。

 エサを食べ終えた、タマエは毛繕いをするが、何かに気付き、宙を見上げたまま固まっていた。

「お元気そうですね」と、確かに聴こえていた。祷は『はっ!』として、辺りを見回した。

あなたの才色兼備は、宿り虫の賜物ですからね』

 祷は身体を強張らせ「うさぎさん? なの」と、咄嗟に口をついていた。

 しばしのき、タマエが向きなおり、眼を向けて彩りの光線を贈ってきた。

『言葉を送ると、猫様の寿命を縮めますので、思念に変えます。宇宙の徘徊時のように、無心を心掛けて下さい』

 祷はすぐに、『瞑想に落ちれば良いのかな?』と想い、意識を失くすように心掛けた。


 量子が組み換えられる音が聴こえ始めると、吸い込まれるように、暗礁に引き込まれていく。


『現実と幻想の境界線は、量子の壁で隔たれています。あこがれの世界への扉は、引き寄せられないと開きませんからね』

あたしは、拒まれていたの?』

博海おとうさんに教わった邪波は、サンスクリット語に残される、合言葉なんです。欲にまみれた人間には、使いこなせない代物ですからね』

『合言葉? 呪文みたいな役割なのかなぁ』

『そうです。その小さな文字が、欲や傲慢を切り離します。童心は、幼気な心理状態時にしか作動しませんからね』

『素直さ、ってことなんだね』

『必要とされることは、可能性の裏付けなんです。大人の良識は、協調のためのわざですが、磨り減らした心の象徴ですからね』

『大人たちの、勘違い? ってことなのかぁ』

『そういうことです。前回は、「何時?」の矯正力に、してやられましたが、今回は宿り虫さんにとっての糧を証明しています。だからその何時? を教えています』

『行かない方が良いの?』

『それなりに経験を積んでいますので、行っても大丈夫です。但し、殺人事件の発生はやぶさかではないので、用心して下さい』

『殺人事件?』

『紬さんと、栞さんのご両親は、双子の曰くに翻弄されました』

『殺された? ってことね』

『双子の曰く? とは、神武天皇の長生きで、後継者の恨みがもたらした「因縁」なんです。

 星一徳は当時リサイクル業者で、遺品処理の現場で、黄金の手鏡を見つけて、それを着服しました。金が価値があることは、誰しもが知るところですもんね』

『それを元手に会社を起業? したんだね』

『乙女を知ったのは、それが偽物だったことを知ったからです』

『偽物? だったの』

『世界を牛耳れる代物ですから、偽物にしてもそれなりの価値が必要だったのでしょうね』

『だろうね。でも、雲海家の双子が死んだのは、どうしてなの?』

『空襲ですから、曰くではなく、運命の悪戯、だったはずです』

『もしも運命ならば、矯正力じゃないもんね』

『同じカラクリに仕込まれているならば、そうなりますが、違うカラクリならば、矯正力にです』

『子供だったわたしにそれを教えるということは、できなかった? という訳だったんだね』

『今は、れっきとした、後継者です』

『だって、最後の最期は自分で決めて生き永らえろ、って教えてくれたから』

『運命の歯車は形を変えながら、未来へ誘っています。人がそれを知る時は、終わりに直面した時だけですからね』

『終焉という一幕を引くんでしょう』

『一昔前まで、走馬灯として映し出していましたが、心を失くしたことで、観ることができなくなりました』

『移り変わる時代背景? なんだよね』

『学習という、努力の賜物は、善意の力を借りて、赤瞳わたしの眼に届いています。今回は順序を変えたようですから、三妹さんのようですがね』

『うさぎさんの育ての親? ってことなのかぁ』

『それが、神々の役割のようですからね』

『かなちゃんの宿り虫は?』

『見習いの取れた、理性さんのようですね。天然素材の弱さは、制御が効かなくなることでしょうから』

『それが役割だからでしょ。かなちゃんは弱くないけどね』

『制御が効かなくなることは、歯止めに従わないことです。出たとこ勝負ですから、感性に心を配られるのですよ』

『なら、わたしの役割は、歯止め役ということになるね』

赤瞳わたしがタマエに宿っていますから、都合よく使いまわして下さい』

『解った』

 うさぎは云うと、光線と一緒に、タマエの内に戻っていた。

 祷は、『意外と身近にいてくれたんだな!』と想い、照れながら微笑を魅せていた。



    二十一


 

 殺人事件と予言されたからには、一宿一飯の恩義に応えるために、解決の糸口を見出だせるまでの滞在と考えて、それなりの支度を調ととのえる必要に迫られた。着るものは洗濯できるもので、嵩張らないもの。

 タマエの食事も必要不可欠だ。馴れ親しんだカリカリは、何処でも購入できるものではなかった。手荷物の三分の二は、タマエの食料になって終った。


 目覚まし時計がなる前に起床していた。ほどよい緊張感があったのは、探偵 まがいの推理を披露するためのものであった。所謂、デビューする期待を、希望としたからだろう。夢と張り合うことは、どこか因縁いんねんめいていた。

 腐れ縁などと云われる関係は、どこかで絶ちきるべきだが、双子の因縁は、容易く断ち切れるものではない。相手の個性を尊重するのは、双子でなくても必要である。

 リュック式のペットゲージを胸前に掛けて、端からみたら独り言を呟いて、駅のホームで切符を確認しながら、特急電車を待っていた。


 かいじに乗り込み、客室扉を開けると、夢が手を振っていた。窓ガラス越しに確認していることを、祷が知らなかっただけのことだ。シートが対面になっているところを視ると、空席も購入されていることが伺える。それが一徳かねもち自尊心プライドだと理解わかる。


 ふたりは、石和いさわ温泉おんせん駅で降りて、タクシーに乗った。距離的には、甲府駅の方が近いが、乗車時間の分だけ、早く着けるのだ、と説明を受けた。昇仙峡の山間のことだから、特に意図は無いように、祷には想えた。リュックに納まるタマエも、そこに感知はしなかった。


 人里から離れた別荘は、クラブの合宿で使う民宿のていであった。山肌を開拓きりひらいた山荘は、古い時代の名残を感じさせる建築物たてものだった。


 玄関に待ち構えていたのは男女二人で、身の回りの世話をしてくれる、雨宮 よねさんと、建物の修繕担当の、松本 きよしさん。夢が紹介してくれたが、シャイな感じを抱いたのは、笑顔を繕っただけで、言葉を発しなかったからだった。


 二階の、左側の奥部屋が、食堂で、後の六部屋なら、どの部屋を使っても構わない、と、開放的な螺旋階段を登りながら、夢に説明された。

 食堂の手前の部屋を、前回使ったから、夢は今回も使うと云った。右側の奥の部屋が広いから、使ったらどう? と進められた。

「階段を登り切ったら、タマエに決めてもらう、つもりよ」と、微笑んだ祷が、リュックを降ろして、タマエを自由にした。タマエは最初たじろいでいたが、匂いに釣られるように、右奥の部屋に走り込んで行った。

 祷が小走りで後を追い、扉の隙間から中を覗いた。大きなガラス越しに見える盆地は、夜になると町のネオンに彩られ、夜景を満喫できそうだった。

 山を背に山間部を眺める景観は、日中に雄大さを抱くだろうが、山の散策で疲れた夜は、ひっそりとした恐怖感を抱くだろうと考えると、独り暮らしの祷を考慮してくれたと想えていた。

 用意されているベッドに横たわり、タマエが脇に陣取り、二の腕を枕に、うたた寝に落ちていた。



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