58話 また、明日(エピソード2最終話)

 人を狩るのと、動物を狩るのどちらが簡単だろうか?

 往々にして皆こう言うだろう。


 _________しらねぇよと。


 では、行動原理……目的がわかっている人間や動物を狩るにはどうしたらいいだろうか?

 答えは簡単。相手の性格と本能に漬け込むのだ。


 下校時刻のチャイムが鳴ると、学校はしんみりとした空気に包まれる。先生方は基本的には職員室で作業をするからだ。

 そんな中、一人の男が階段からするすると出てきて、キョロキョロ辺りを見回しながら、生徒会室のドアの前でポケットから鍵を取り出す。

 その鍵を使い、生徒会室へ入り、ゆっくりと扉を閉める。


 オレは、十秒程経ってからゆっくりと歩を進めて、そいつが言い逃れ出来ないように証人を連れながら生徒会室へと入る。中は暗い。カーテンで月明かりを締め切っているからだ。だが、一点だけ光が放射状に漏れている。男の手にあるスマホのライトだ。

 其奴が振り返る前にオレは、電気のボタンをつけると、まんまとお目当ての品に手を伸ばして回収している最中だった。


「ぱしゃ」スマホのカメラで姿見を撮影し、状況証拠を押さえる。

 もうこれで言い逃れ出来ない。

 男は絶句したまま、オレ達の顔を見たまま固まっている。さながら、好きな子のリコーダーを舐めていたのがバレた中学生男子と言ったところか。


「生徒会室は夜遅くでも活気がありますね。前とは大違いです」

「あなたももう此処に来ないって言ったくせに、何度も通って、今のあなたは別人なのかしら?」

「……諸行無常といいますし……もうそろそろ、衣替えですからね」

「野良犬でも服にこだわるのね」

 ふたりで顔を見合わせず軽口を言い合うので、男は硬直したままだった。まぁ、この人からしたら、何が起こってるんだ?! ってパニックになっているだろうから、ネタバラシするか。


「お久しぶりです。前以前に、生徒会室から出て行く所ですれ違いましたよね?」

「…………あのときの」口を少し開けながら呟く。必死にその点から自分が窮地に陥ている状況を模索するも閃かない様子だ。


「新聞部一年、田荘司たどころつかさ。あんたが今手に持っているものはなんだ?」問いかけると、自分の状態を思い出して、背中の後ろへ隠そうとするがオレは近寄って取り上げる。

 コンセントに刺さっていた電源タップを手にする。

「……まっ前に電源タップが此処にあったから、ただ気になった……だけだ」


「嘘が下手だな。生徒会長とは大違い」

「あら、なんのことかしら?」とぼけた顔でそう呟く。

「すまん、前言撤回。大根役者だった」

「今日の野良犬は色々と噛みつくわね。調教が必要かしら?」頬に手を当てて妖艶な笑みを漏らすので、咳払いをし話を戻す。


「電源タップ……を開けてもいいが、開けて確認すると使えなくなってしまうんですけど……いいですか? 生徒会長」

「いいわよ。どちらにせよ、コンセントはパソコンの充電と掃除機にしか使わないのだし。間違えたら、あなたの実費で弁償すればいいのだから」ゆるりと狼が遠吠えしそうな三日月の口に切り替わるので、そっと嫌な汗が首筋に流れた。


「……であれば、ライトで照らしましょうか」くつくつと熊谷先輩が笑う。

 オレはスマホのライトをつけて電源タップに向けて当てる。通常の電源タップであれば、金属パーツしか見えないのだが……、ビンゴだ。

「見てください。電源タップには不必要な部品や配線が見えます」

 生徒会長にそれを確認してもらい、家にある電源タップを持ってきて同じ事を確認する。メーカーは違う物だが、構造的にはほぼ同じ。

「明らかに違うわね」男の顔色が真っ青になったのが確信を強める。

「これは、盗聴器です。それを田荘たどころあんたは態々この時間帯で取りに来た。これの持ち主って他ないだろ?」この一手で首根っ子を押さえて白状すれば一番手っ取り早いのだが……彼は無言にでた。


「あんたが此処に入った鍵。それはどうしたんだ?」男は、ポケットに入れてあるであろう鍵を握りしめる。

「……生徒会室の鍵を複製したの? でも、どうやって」順序立てて話していこうか。

「睦月先輩……平日の昼間。先輩は生徒会室に鍵をかけないですね。あれはどうしてです?」

「……それは重要書類や公印などをしっかり施錠しているからよ。第一、監視カメラがあるのだから、外部から侵入されたとしても問題ないため、学校の慣習としてそうなっているわ。以前紛失騒ぎがあって以降、鍵の開け閉めは朝と夜の二回だけに固定しているの先生方の確認も必要になっている…………といっても十年以上前の出来事だし、鍵も悪用されないように新しい鍵と鍵穴にしているわ」

「……そうですか。という事は、いつでも盗聴器を設置できる時間はあったのでしょう」

 複製の時間はそこまでかからず、一時間程で完成する。

 だが、他に何かしらのキッカケが必要になる。

 新聞部の男がそう易々と生徒会室の鍵を複製できるとは思えないからな。

 彼はまだ一年生、複製を作れる期間は絞られている。


 …………熊谷先輩が生徒会室を開けて鍵を職員室へ戻す。

 そして、生徒会長はいつもどおり朝の会が始まる前まで生徒会室に行く。

 なにかそれとは違う行動をした日はないか…………まさか。


「朝の挨拶週間……あの時はどうしていたんです?」男はピクッと肩を跳ねる。

「いつも通りよ、ただ違うのは私が生徒会室に居なかっただけ…………待って、あの時私は、挨拶週間が終わってから鍵を開けたのよ」

 それか……。

「何時頃ですか?」

「挨拶週間が早い人もいるから七時五十分で、開けたのが八時二十五頃かしら。お昼ご飯をここで食べる生徒会の子も居るから」オレはスマホで開いていた地図を見せる。近くの鍵屋は走って五分圏内。しかも八時からやっており、老舗だからか、速さを売りにしているのだそうだ。

「でも、その間の鍵は?」

「おそらく、似たような鍵をぶら下げていたんだろうな。熊谷先輩が来るよりも前に職員室で新聞部の鍵を取る。その際に生徒会室の鍵をニセモノの鍵とすり替える。そして、彼は鍵屋へ向かう。もしかすれば、事前に鍵屋に早く開けてくれないかって交渉したのかも知れないな。今はスマートキーが主流になっているから、少しでも商売っ気よく対応したのだろう。最後に、男は急いで学校へ戻り、新聞部の鍵を戻すついでに生徒会室のホンモノの鍵を戻した」 

 男が冷や汗を浮かべ、目が虚になっている。これはあくまでも推論だった。だが、様子を見るからに概ね反れた推測ではないだろう。

「……なるほどね。挨拶週間をする前に私が将棋部を部活動から同好会へ降格させたことに危機感を覚えた彼は、挨拶週間という絶好の機会に私を揺するネタを作ったと」

 オレが思い浮かべたことをすらすらと口にだす。さすがだな。

「えぇ。生憎、オレが文芸部の躍進を彼は生徒会長が揺すられてやむを得ず首を振ったと勘違いしたのでしょう。もしかするとそこに何かしら新聞部を廃部させない手立てがあると」

 まだ無言を続けるので、さらに言葉を続けた。

「ついでに言っておくと、挨拶週間以外は熊谷先輩の行動パターンが読めないこともあって、慎重になっていたんでしょうね。生徒会長は色々と動くでしょうから。もし万が一、見つかってしまったら新聞部を自分のせいで破滅させてしまうから。だからこそ、安心して事を運べる挨拶週間を選んだんでしょう」

 男は膝から崩れ落ちて、白状した。

 オレ達が出した言葉は全てそうだと言いながら、謝罪する。

 本来なら、糾弾すべき事案だろう。生徒会として、このようなことが起こらないように報告すべきだろう。

 だが、横にいる生徒会長は、彼の肩に手をやって『ごめんなさい』と謝った。

「あなたにこんな事をさせてしまったのは、私が将棋部や文芸部にプレッシャーを与える方策をしてしまったから。そうすれば、皆がよりよく部活動を頑張ってくれると思っていたのだけど……逆効果だった。貴方の手を真っ黒に染めさせてしまって申し訳ないわ」顔をあげて生徒会長を見ていた男は聞き終えると頭を何度も下げて謝ったが、彼女は許した。


「これは、私の過ちだからいいのよ」


 オレと熊谷先輩は、その男とすこしだけ話をして、帰らせた。

 もう二度としないという約束と、鍵の複製を返してもらった。


 オレと先輩の二人になった生徒会室の椅子に腰をかける。

「今回の一件は全て私が招いたもの……生徒会長として面目ないわ」自嘲気味に話すがどこかホッとした様子だ。


 彼が事前に侵入するタイミングを図る為に、今日の昼間に生徒会長とオレで密談した。その内容は、熊谷先輩と橘の間にある確執をテキトーにストーリー立てて話した。今ホットな話題だから食いつくだろうなと思った為だ。予想は見事的中し、この結果に至った。

 事前に熊谷先輩には盗聴の可能性があることを伝えていた。以前に来た時に明らかに不用な電源タップがあったからだ。まぁ、それを遥に聞いた所、『何それ? 充電とかしないから知らないけど』とぽか〜んとした顔で返してきたので、確信し、家で盗聴の場合の見分け方を調べた。

 それで、生徒会室に入る機会があった日に目を盗んでライトで照らすと盗聴機が仕組まれていると確認した。


「もし、この場で先輩が橘との一件をぼろっと溢してしまったら、彼は揺すっていたでしょうね。橘の事も考えて、会長が彼の要件を呑んだ場合、それに味を占めて他の人にもそういった悪どいやり方を用いてしまうかも知れなかった」

「そうね、だからこそ、貴方は早めに決着をつけたのでしょ?」

「……オレは自分のためですよ。文芸部は今日から短編小説を出し始めましたので、今回の一件で新聞部の伝手を獲得しましたので、あの子に拡散してもらうつもりです」オレは口角をゆるりとあげる。

「あなたも嘘笑い下手ね」

「……」オレは、付けていた仮面を外した。


「でも、今回はほんとうにありがとう」

 初めて、オレの前でまんまるのお月様みたいに笑う。

 明るい月夜が寝ている子供を笑いながら頭上で照らしているみたいだ。

 この一件を機に、彼女は前へ進んだ。いや、違うかも知れない。

 前へ進み続けていたが、その前を見誤っていただけなのだろう。

 今は、その前を、小さな彼女に手を引っ張られているのだ。

 オレが今対面している、熊谷睦月は、自然体で優しさに包まれていた。


 これが本当の彼女なのだとしたら、すごく素敵な女の子なのだと思う。


「いえ、生徒会長に媚びも売れたので万々歳ですよ」

「……優しいわね、明智さんは」

 優しいことなんてしていないのにな。

 

「橘との一件は、新聞部を使ってオレ達文芸部の話題で掻き消そうと思ってます。権力者がマスコミを使って重要事件をかき消すように」

「……そこまで考えてくれているのね」

「いえ、まぁ、普通に考えてそう至ったので」

 違う、最初からこういう筋道を頭で思い描いていた。自分の思った通りに全て殊に運べて一安心しているのだ。


 ___________遥の生徒会選挙に不穏なタネが潜まないように。


「やっぱり、貴方は…………」

 月を見上げながらそう思っていたら、生徒会長がなにか呟くので、顔を見ると切なげな表情だった。


「どうかしました?」

「なんでもないわ」

「そうですか……近くまで送りますよ」

 夜も更けている時間なので、このままひとりで帰らせるのは出来ない。オレが無理言って残ってくれたのだから。


「いいわよ、自転車だから」

「でも………いえ、では校門まで着いて行きます」

 熊谷先輩がそう言うのなら、無理についていっても悪いしな。

 

 施錠して、職員室に鍵を戻す。

 歩く中、先輩は言葉を言いたいのか、口を開くも閉じる。

 なんだろうか……。


 昇降口で靴を履き替えて、玄関を出ると、思ったよりも深い夜になっている。

 見上げているオレとは対照的にスタスタと自転車小屋へと向かうので、付いていく。カバンから鍵を取り出して自転車のロックを外すなり、カバンをカゴに入れる。

 ゆっくりとオレの横まで自転車を引いてくるので、それに合わせて歩み始めた。


「橘……様子を見るからに大丈夫そうですよね?」

「えぇ……さっき、『今日の部活動で新記録更新しましたっ!!』ってメッセージ届いていたから、大丈夫よ」

 部活動が大丈夫かを聞いたわけではないが……今の話を聞くに二人の関係性は良好な様子。

「ねぇ、一つ聞いていい……?」掠れた声は寒いからかそれとも……不安だからか。オレは間髪なく首肯し、自転車を止めたので止まる。


「女の子が女の子を好きになるっておかしなことよね……?」薄らとは気づいていたことだったが、やはりそうだったのだな。オレの短編小説を見て、橘が泣いたのはやはり親近感を抱いてだったのだろう。

「……オレには…………分かりません」

「えぇそうよね…………」大切に育ててきた花を他人に興味ないと言われたような悲しげな表情を見せるので、言葉を補足する。


「もし、オレが過去に好きになった女子が仮に男だったとしても…………本来好きになってはいけない相手だったとしても……オレはそれでも好きだと思います。ですが、これはあくまでも推論でしかないです。恋心を抱いた当事者同士にしかわからないものだと思います」

 唇を口に入れて、頷く先輩に向けてさらに続けた。

「オレが好きになった女の子を好きになった理由なんて説明できそうで、出来ないんですよ。可愛いけど、まじめ。子供っぽくて、一直線…………色んな言葉や感情は湧き出てきますけど…………何故、それがオレに取って特別かなんて……ところはわからないです。だから思うんです。恋は、涙でできているんだ、と」

 

 愛や恋。

 その理由を説明できたらどんなにいいだろうか。

 好きになった理由を列挙すれば、それが恋した理由だろうか。

 

 多分、それでは足りない。

 

 自分の意思ではどうにもならない程に、残酷で、遺伝子レベルほどまでに刷り込まれたさがなのだから。


 性、か。


 そう、橘も言っていたっけ。

 もしかすれば、オレよりも前にその結論に至っていたのかも知れない。


 何故、オレは遥を好きになったのか。

 溢れんばかりに湧き上がってきた彼女への愛。

 それを説明するには、あまりにも、人間という人類には生きる時間が短すぎた。


 …………図書室で見たジャネーの法則を思い出す。

 

 生きてる時間は僅かしかないん……だ。


 合理的に周りを説得できないのであれば、彼女らは前へと進むだろう。

 何故なら、それはオレ達が恋をするのと同じなのだから。


 誰だって、恋や愛を嘘だ、と言えないのだから。


「……自分でも分からない衝動に突き動かされてしまうのが、恋。だから、涙でできている、か。ほんと、分からないよね、恋って」

「……えぇ、まったくです」脳裏に背が低い頃の遥の無邪気に笑う姿見が写しだされて、ふっと笑みが漏れる。


「君の短編小説出来上がっているんでしょ? 今度見に行っていい?」

「勿論です。来週一杯までやっていますので……」

「……そう」自転車を進み始めたので、オレも進む。

 校門を出ると、反対方向らしくオレは『お疲れ様でした、ではまた』と呟くと、彼女はオレの顔を見て何かを言いたそうにした。


「熊谷先輩……?」

「……貴方のおかげで、私は、今大切な時間を過ごせているわ。ありがとう。理央も自分の記録を更新して……貴方には感謝しかない」

 薄らと彼女の頬を伝って涙がこぼれる。校門の上から柔らかい照明が彼女をほんのりと照らす。

「君は、自分が思っているよりも、誰かに良い影響を与えている。だから、思うの……貴方に良い影響を与えれる存在になりたいって。恩返しとかそんなんじゃなくて…………貴方の頼れる女の子でありたいって」

 流れた涙は、一滴だけだった。

 その涙の意味を深く考えないことにした。

「……急に話し始めてごめんなさいね、また明日」涙を拭わずに踵を返す先輩を眺めていた。

 暗闇に深まっていくにその言葉には、何も答えれれないが、オレは大声で言葉を出した。


「また、明日!!」


 振り向いた先輩の顔は薄暗くて見えなかったが、ほんのり笑ったように思う。

 誰かの明日のためにオレは笑顔で手を振った。


 いつぶりだろうか、こんな感じで一日を終えるのは。


 帰る最中、何故あんなに笑って、また明日と言ったのだろうか。

 些細なことだったが、悩みながら歩く。


『私の物語に感化されたんでしょ』


 街灯したに照らされた神様が佇んでいる。デジャビュだな。

 彫刻に彫られた美人な彫像みたいに白い肌と綺麗な容姿の口が開く。


「これで君は、満足?」

「……食べ放題で食べ過ぎずに腹八分目で終えれた自分を褒めるぐらいに満足ですかね」

 自分が危惧している箇所は全てフォローして、現状において最良の着地点に下すことができたと思っている。

「へぇ〜〜、これが」ワザとっぽく煽るような声音なので、眉間がピクッとなる。

「橘理央と熊谷睦月の中に潜む因縁を引っ張れば、熊谷睦月生徒会長が文芸部との間に確執を生んで、面白い展開を生んだよね?」

 確かに、そうなっていただろう。

 面白いかはとにかく、生徒会長と文芸部にある程度の仕返してやりたいと言うモヤモヤを残しておけば、文芸部は危機に陥る。それを二階堂が解決して、主人公の見せ場を作ることもできただろう。

 オレは、その展開を壊し、早い段階で一手を取った。

 

「圭吾とは、考えが交わりそうにないね」

「……なら、壊しますか? この世界を」

 ヤケクソで言った訳ではない。神様が思い浮かべていた世界を否定した訳ではない。

 オレはただ、今の、今進んでいるこの世界が好きだから、問いているのだ。


 ____________神様は、この世界は嫌いですか? って。


 まるで、主人に差し出したスープのお味を尋ねるシェフみたいな様子だっただろう。


「へへへぇっへへぇ。あったかいスープはポカポカするけど、味を味わいづらくさせる。私には、冷たいスープを口の中で転がして食べるのが好きなのよね」

 シェフは眉を落とす。主人の好物を把握していたが、ワザと趣を変えて挑んだが、どうやら趣味嗜好は変えれないようだ。


「でも、そうね……味はまだまだ薄味だし、あったかくて味が感じられなかったけれど…………悪くないわ」

「えっ?」こくりと首を傾げる。

「新鮮だった。自分の想像したラストが百八十度変わっていくそんな予感がして」

「……おっオレは、違う世界を見せるって言いました。明るい世界をと」

「言ったね、小っ恥ずかしいのを」思い出して顔に熱が篭るのを気にせず、続ける。

「でも、神様が想像したラストってのは……ハッピーエンドなんですか?」自分は、未来を予言することも言い当てることもできない。であれば、それに縋りたくなる。ハッピーエンドが待っているのなら。

 

「最高のハッピーエンドだと、思っていたよ」

 どういう意味だ……?

「君と関わらなければ、きっと私はそのとおりに淡々と物語を紡いで、話を締め括って終わらせれたと思う。誰にどう言われようと、ハッピーエンドはコレしかない終わり方だって」

 教えてくれよ、その終わり方を。

「でも、今の私は…………そのラストを嫌だと思っている」

 なんでですか? ハッピーエンドなんでしょ?


「圭吾は、自分を犠牲にしても、この世界を救いたい?」


 頭の中。脳の中が空になってしまう。

 シナプス小胞で伝達物質を巡らせていたはずなのに、それがピタッと消える。

 回路が回らなくなってしまったおもちゃが静止したように。


「圭吾?」

 神様に体を揺すられて、気を取り戻す。

「なんで。オレが犠牲になって救う世界を望むかを……わざわざ聞くんですか?」

 オレにそんな質問をするなんて事、神様からする意味がわからない。


「…………」小鼻から息を漏らして目を細める仕草がオレの心を揺さぶった。

 ずきずきと、胸がバラにふれたような音がする。

 バラの芳醇で甘美な匂いが脳に染み込んでいく。

 

「……圭吾が笑うから」

「……えっ?」

「………………短編を書いている時に浮かんだの、圭吾の顔が」

 苦い。苦い、ビターなんて言葉じゃ言い足りないくらい苦い。

 渋い、違う、もっと苦しい。

 切ない、違う、もっと情調的だ。

 

 自分の心に置いてあった辞書では引用できない感情が潜んでくる。

 

「圭吾が死んだ時、私は笑えないから。圭吾とあの物語の青年をリンクさせたら、辛かった…………悲劇的で。でも、きっと意味を与えてくれる笑顔を……望まない」


 寒空の下でオレ達は何を話しているのだろう。

 オレは、何故、久々に神様と話す瞬間瞬間をいつも心待ちにしているのだろう。

 神様と話す時に何故、オレの頭に、遥の笑顔が過ぎるのだろう。

 その笑顔に救われたのに、彼女もオレの笑顔に救われたことがあるだろうのに、何故神様はオレの笑顔を望まないのだろう。


 笑顔を見て、あの物語の神様は、人間を知ったのに。

 なぜ、この神様は、オレの笑顔を悲しむのだろう。


「だから、圭吾。…………私が思い描いたエンディングにはならないで」

「……教えてくれれば、回避しますよ」

「できない、それは」

「ふっ……滅茶苦茶なこと言いますね」

「わかってる、でも、あの物語…………いえ、帰りましょう。体が冷えたから」

 体温など感じないと言っていた神様はそう言いながら、同じ家へと歩いていく。その時に見た彼女の指は袖に隠れていた。


 オレは、頭で遥を思った。

 自分を遥かで埋め尽くした。 

 遥の笑顔、遥と体験した出来事、遥と流した涙、遥の体温や温もり。

 

 考えないようにした、自分の違和感を遥で誤魔化す。

 もう直ぐ夏。

 明後日で夏だ。

 

 生命が隆起し、地球が一番盛んになる季節。

 太陽からの生命力を一心に受けて、活動的になる。

 

 だからこそ、何故今なんだと思う。

 もっともっと……後にしてくれよと。

 勘違いしてしまうじゃないかと。


 自分が神様にとって大事な『欠かせない人物』になってしまったんじゃないかと。


 嬉しがる必要はないのに。

 神様にとって自分の存在が認められたようで。


 胸に抱いた苦しさを超えた形容しがたい何かをオレは言葉にできないが、神様の後を追った。


 神様が望む、明日を描けるのなら、付き合おうこの変梃な世界に。

 オレと神様だけが知っている、この世界の真実に辿り着くまで、一緒に歩もう。

 

 

 

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オレの神様はラブコメのイロハを知らない。 あけち @aketi4869

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