第6話 面白い世界。

 文芸部である二人が神様に小説の話を持ちかけると三人は結構盛り上がる。


 俺と坂本と西園寺さんは、小説にはあまり興味が無い為話に入らず、三人で今日の宿題を解いていた。


 帰ると言う選択肢もあるにはあったが、ここで帰っては今日の苦労が水の泡になると思った為、数学の宿題をやっていた。まぁ、それに神様がどういった動きを見せるかによって今後の方向性が変わってくるからな。


「ねぇ、この問題、どう解く?」

「あぁ、有理化して微分すんだよ。……って複雑だな、コレ。明智っ、わかるか?」

「……いや、俺もそこ解いてるんだけど、答え見ても分からん」


 高二の問題にしてはヤケに応用が効いており、答えを見ても計算過程が省かれており一向に答えへ辿る思考過程が分からない。


「うん? あぁ、コレは重微分を用いる必要があってね。貸して貰っていい?」


 俺のノートをヒョイっとスライドさせると、先程までホワイトボードの近くに立っていた二階堂が計算し始める。澱みなくスラスラとペンが動きながらボソボソと独り言を呟いて解く。


「二階堂さんは、こう見えても勉学優秀ですからね。悲しいことに、私には遠く及びませんが」


「暁さん……一言多いんだよ……答えのこの部分が抜かれているから分からなかっただろうけど、意外にシンプルな考えで解けるんだよ」

 ノートをもらうと丁寧に書かれた数式をなぞるように見ていくとスッと頭に入ってきて『そっか』と感嘆を漏らす。


 こぞって坂本と西園寺さんが見ようとしてくるのでノートを反対向きにして見してあげる。


 数学に関しては、予習をスイスイ出来るほど数的センスが無い為、宿題を当日するのだが……二階堂はもう宿題を終わらせていたようだ。

 俺よりも能力が高い学生がこの学校には多く居るのは当然のこと。


 要領よく宿題をしていたとしても周りにいる生徒の能力が高く、俺はクラスでも平均的な順位だった。まぁ、政明高校で平均的な順位となれば全国でも屈指の偏差値だろうけどな。


「ありがとう、二階堂」

「ううん、僕も分からなくて授業終わりに聞いたから、気にしなくて良いよ」

「そっか」


 分からない事があれば誰かに聞く。社会人となれば必要となっていく能力だろう。俺は誰かに質問する事なく自分で考え、解こうとする。

 どちらが社会で成功を収めるかはこういった学生時代である程度明白に分かるのかもな。


「……暁さん、さっきから気になっていたんだけど、そのホワイトボードは?」神様がマジックで書いてある文字に興味を惹かれたように呟いた。

 勿論、神様自身何をしようとしているのかは分かりきっているだろうけど。


「あっそうでした! 二階堂さん、すっかり主旨を忘れていましたよっ!」豊満な身体を机に押さえつけながら二階堂へ向けて声を高くする。

 二階堂は、視線を彷徨わせながら、ガシガシっと頭を掻いて『ううん』と頷く。


『やっべ、照れるとか可愛すぎんだろっ。うわぁ〜まじでかわいいよぉ〜』作者が自分の作り上げた主人公をべた褒めする声が響く。


「気づいているかも知れないけど、部員が僕たち二人なんだ。先輩達が居なくなって、新入生を呼び込んだんだけど、やっぱ他の部活が魅力的だからかな、部員確保できなくてね」


 二階堂がホワイトボードの話に繋げる為か時系列を追って話そうとする。

 その顔色は、先程までの純粋無垢なピュアボーイとは違い、深刻な顔色を浮かべていた。


「史明君と朋恵は、ちゃん頑張ったよ?」新入生の招き方を戒めてしまっているであろう二階堂に労いの言葉をかける。


「……うん。ありがとう、西園寺さん」


 


 なんだこの、優しい世界は……嘘で纏わりついた歪んだ関係では無いのが、一発で分かる。

 綺麗に濾過されたビーカーの底に溜まる純水のように清らかだ。


『とはいえ、みんな大便するけどね。へへっへへぇ』


 ……ホッペつねったろか、この下ネタ魔人。


 坂本と西園寺さんは下ネタ魔人と違い、二階堂の言葉を見守る。

「その痛い所を生徒会に目を付けられていてね、なんとか結果を出さないと廃部にするって御達しが届いたんだ。まぁ、他の部活が優秀だから予算を削らないと賄えないから当然の帰結だと思う」


 おそらく生徒会からは、人数的な原因から廃部という簡単な理屈を説明されたのだろう。だが、彼らは理屈よりも核となる諸事情を見つけ出した。それが予算と、結果を出している部活をより活躍させる使命感だと。

 自分たち生徒会がある程度握っている権利でより部活動を活発的にさせるための止むを得ない処置に他ならないと。


 流石は二階堂、表面上の問題のみならず相手の思考を読み、彼らにも正義があるといったことも把握しているようだ。この近視眼的にならず多角的に視る能力が彼の強さだろう。


 ただ、それを把握した所で問題が解決する訳ではない。

 そのために、何が必要かを四月から考えてそのホワイトボードへ書き込んでいたのだろう。

 薄らと二階堂は、目線をあげる。


「そこで、僕たちは結果を出さないといけない。この部室を使う権利や夏冬にはエアコンを使う予算や部費を無駄だと思わせないためにも、打開策を考える必要があった」


「打開策?」

 神様が興味を持った顔で二階堂へ問いかけると、『少し長くなるけど良いかい?』って聞き返すと『うん、どうぞ』と神様は返すのでホワイトボードを裏返する。


 そこには、『春夏秋冬部集の作成』と書かれていた。


「見て分かるかも知れないけど、部集を作ることにしたんだ」オーソドックスな解決方法と言えなくもない。言うなれば、その結論以外で結果を示すのが困難ということの裏返しとも言える。


「まぁ、部集をただ闇雲に配布しても話題性が無く、一過性のトレンドを取るだけで廃れてしまう」


「……」坂本と西園寺さんはいつもの光景なのかリラックスした状態で興味深そうに聞いていた。心強い仲間の作戦を信頼する……そんな綺麗な関係性に、口を横に締めた。


「そこで。図書室に置くってのは誰もが考えると思う。それもする予定だけど、ホームルームが終わった後に十分の読書時間……朝読書が設けられている。その時間を僕たちは狙う。教室の左後ろにある棚へ部集を置く。そうする事で普段読書をしない学生が試しに文芸部が作った部集を読む。そして、内容が評価されれば、それは波紋のように全生徒間で話題になるってのが理想かな」


「へっ? あそこに置くんです?」目をまん丸にして椅子に座ろうとする二階堂へ質問する。


「ごめん、暁さん。今朝、神さんが朝読書を知らなくて本をそこから取り出した時に思いついたんだ」

 頭をふんわりと掻きながら申し訳なさそうに答えると、暁さんはボソッとお熱い事を言う。


「……二階堂さんの助平すけべい」ジトっと二階堂を睨む。


「すけ…き…きょっ、今日の帰り道、アイス買うから許して?」

「はい。それならいいです、よ」満面の笑みでそう言うと二階堂は、胸を撫で下ろすようにホッとした表情を見せながら続けた。


「大事なのは、一冊を読み切る習慣がない人にも手に取ってもらって読破できる作品だね」

「おいっ、そこで俺を見んな、史明ふみあき


「太一、いっつも眠そうに本読んでるからね。時々一ページも読まずに寝てるでしょ」

「うっせぇよ。本見ると眠たくなんだよ」

「それで良く、政明せいめい受かったよね。幼馴染の献身さにもっと感謝を示しても良いけど?」

「……はい……史明悪い、バカが話を断ち切って」プクーっとなる西園寺さんを無視して二階堂へバトンを渡す。


 なんだこの渋滞したラブコメのやり取りは。


『ははは』作者である神様がいつもとは違ったぎこちない笑い方をする。新鮮だな。


「えっと……じゃあ続けるな。校内放送で文芸部の作品が置かれると宣伝し、周知させ、内容が評判を呼べば、次回作を熱望する声が上がると思う。そこで、春夏秋冬。三ヶ月に一回切り替わる季節毎に新作を発表すれば朝読書の時間に色がつくと思うんだ」


 朝読書は読書習慣がない学生達にしてみれば無駄な教員達の押し付けだと思っているだろう。それを逆手に取る。フラストレーションじみたモヤモヤを部集によって昇華させる。


 定期的に新しい作品を一人ではなく、学校全体が共有すれば話の種にもなるし、朝読書を学生の一端である文芸部が主導権を取って改革するのは興味を惹かれること間違いないだろう。


「そして、そこで終わることなく、英語翻訳をだね才媛の暁さんに訳してもらうことで受験を意識した我が校独自の長文英語本を配布する考えも可能。

 その和訳として、ノーマルの本を読めば英語訳の勉強も兼ねて、進学校の学生の心を掴むことも計算のうち。英語の長文って結構、手に入れるの難しいからこうやってタダで貰えるなら誰もが手に取ると思う」


 確かに、図書館で借りた英文の本などは、直接書き込みをすることはできない。対して、文芸部が配布する部集には著作権もなければ所有権もない……ことにして仕舞えば学生達は、文芸部へ増刷の依頼を懇願するだろう。


 進学校を意識した戦略。

 読書好きのみならず学校全体を巻き込んで文芸部の存在意義を確認させる恐ろしいほどに計算尽くされたアイデアに俺は、息をのんだ。


「それが学年を超えて広まれば、文芸部を生徒会は認めざるを得なくなる」


「予算は?」静観しておこうと思ったが、つい口が滑って聞きたい事を聞いてしまう。二階堂の思考に俺の思考が追いつけているか確認するためにも。


 予算は、資本主義で成果を出すためには最も確認しておくべき点だからだ。


 影響力をつけるためには初動が大事になる。そのためには、初版をどの程度刷れるかも重要となってくる。


「予算は、部費で賄うし、賄いきれなければ電子化させて皆が授業で使うタブレットへ入れ込む事ができるか先生方と生徒会と協議するつもりだよ。勿論、それよりも先に話題が広まれば、生徒会は予算をこちらに流す決断も考えられるね」


 ……電子化。


「まじかっ、すげぇよ、史明! 天才かよ」

「はは……ちゃんと読んでくれよな」

「……た、ぶん」言葉がしぼんでいく坂本は良いサンプルになるかもしれない。


「でも、太一が言うとおり、この作戦は上手いと思う。まさか、電子化も考えてるなんて」

「…ありがとう。紙の本が好きな僕にとってはアレだけど……電子化っていう流れは変わらないだろうからね」

 ハニカミながら自分の考えと世間の考えを棲み分けして述べる。言わずもがな、優秀な人の思考法だろう。


「……」

 クラスで彼の活躍を何度か見てきた俺だが、事細かにここまで話を聞くことはなかったからこそ、深い知略に脱帽した。

 これが、主人公と凡人である俺との歴然とした差か、って。


「……ただ、この方法には決定的な課題もあるのです」暁さんが利点だけではなく、欠点もあるのだと告げる。その言葉に二階堂以外が視線を寄せた。



「それは___________この部集が面白いという最低条件の達成」



 先程、二階堂もその点を話していたが、それを再び強調する。

 戦略が功を奏するのはあくまでもセンセーショナルを巻き起こすような優れた書物に限る。ツマラナイ本をただ量産しても誰も見向きもしないからな。


「それに併せて、作品数も多い必要があるんだ」

 二人は、その点を主張したかったのだろう。神様へ熱い視線を向けた。

 それは、神様が転校生という話題性を持っていてクラスのあの盛り上がりようを見れば是非とも文芸部に招きたいだろう。


 換気扇の音だけが聞こえる。


 彼女の言葉を待つ空間は、時間の淀みを感じさせるほどに硬直していた。


 ここまでの構想を聞けば誰だって、熱い意欲が湧き出て自分も属したいと思ってしまうだろうに、なぜ、神様は即決しないのだろうか。 


 その答えを俺だけが知っていた。


 これはあくまでも神様が登場人物視点で作品をどう物語を綴っていこうかと考えているだけだ。


 であれば、そこに自分が割り混んで目立つのは作品への懐柔に他ならない。

 また、神様だって作者といえど、愛するキャラクターの言葉を否定したく無いだろう。


 どっちへ転んでもあなたの本意とは言えない。


 俺は、神様へ眼を向ける。


『そんな不安そうな顔をしないでよ。……圭吾、君は優しいね』

 時間の淀みを感じたが、本当に静止しているかのように俺と神様だけの刹那に入っていた。


 とはいえ、受け入れる選択は絶対出来ないだろう。受け入れる事で神様が登場人物として際立ってしまうからだ。だから、あなたの選択は、『断る』の一択になる。


 でも、ここで断るのはっ。


『そうだね。こんなにも素敵な提案を無下にしづらいね』

 ……。思考がこんがらがって、この選択の中で最良の返事が俺には見えてこない。


『だから圭吾っ……ここが決断の場だよ。君の、人生の分岐点だよ』


 何故俺なんだよ……彼らは、俺を求めていない。

 あんたを求めてるんだよ。

 圧倒的なカリスマ性を持った転校生のあんたを。


『求める物が本当に必要な物かは使ってみなければわからない。そして、人というのは大抵の場合、自分が求めていない物に人生を変えてくれるパワーが宿っている』


 ……見ただろ? 翻しようの無い能力の差を。俺には、二階堂みたいな優れたアイデアは生まれてこないんだよ。


『それはそうだよ。私が君よりも二階堂史明に圧倒的な才能を与えたんだから』


 だったらっ! ……俺に縋るなよ。


『ただ、君にはそれ以上の強さがある。彼には無い君だけの強みがある。それが開花した時、二階堂史明の最高のライバルに、君はなる。主人公へ一矢報いるのは他の誰でも無い君なんだ、明智圭吾。私の物語には君が必要なんだ』


「必要……」


 時が止まったように錯覚する刹那の中でポツリと言葉が漏れる。


 窓から外を見れば、鬱屈とした俺の気持ちとは裏腹に心地よい蛍光ペンの青みたいな空が広がっていた。雲達もぷかぷかと浮かんでいる。


 自然の光景を見て、自然に右手が自分の胸の真ん中へ伸びる。


 鼓動が速い。擽ったいほどに。

 荒々しかった思考を整え、凪いだ気持ちへと落ち着いてく。

 でも、心臓の鼓動は速い。そして、擽ったい。笑える。

 なんだ、これ。

 フッフっ。気持ち悪いほどに凪いでいる。

 あぁ、わけわかんねぇけど。

 俺の何かが指示してくる。


 どこからかと言えば、心臓のようにも思えるし、もう少し下からにも思えるし、逆に頭の上から指示されているようにも思える。


 右手で鷲掴みできるほどの心臓は単調なリズムを放ち、脈打つ。


 明らかに異常な状態にも関わらず、狂喜が神経系を支配する。


 奥底に秘めた小瓶の蓋がクルクルと回り、その中から白い気体が上がってくるような感覚。


 そうか、これが。

 理解した。

 人生には転機が三回訪れると言う。

 結婚や就職、別れ。

 往々にしてそんな所だろう。

 だけど、気づいた。


 神様と出会ったあの瞬間から転機は訪れていたんだ。

 今、貴方と出会い、決定的に俺の人生は変わる。

 その現実を受け入れているように見せて、俺は真に受け入れていなかった。

 自分のスイッチが入ったとか、神様に背中を押されたとかそんな話じゃなくて。


 根本的な俺と言う人間が生まれ変わる、それほどの転機。


 その新しい自分と向かい合っていたから、驚いてさっき笑ったんだ。


 気持ち悪いほどに凪いで、でも、狂ったように高揚感があって。


 複雑すぎる新しい『オレ』をやっと受け入れる。


 五段階目の『受容』に入った俺は、心に安らぎが訪れるも、その先に新しいオレが生まれた。

 そのオレは、常軌を逸したほどに高揚感が溢れていて、その混沌が今のオレを作っていた。


 第六の段階『自己変革』その境地に辿り着いたんだ。


『そんなのキューブラロスは言ってないよ』

 脳内でそんなことを呟いてくる。

 それは、第五の段階しか学術的には述べていないからだ。


 あぁ、そうだな。俺が辿り着いた境地だから。


 もくもくと雲みたいに膨れ上がった気体はオレを緩やかに支配する。


 神様、見せてやるよ。


 面白い、世界をよ。

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