10.この気持ちも恋なんだ

「明日の午後、また演奏してさしあげることになりました」


 女官長が無表情に告げる。私は頭を下げながら、心の中で拳を握った。

 なんで私に演奏させるという気持ち半分、前日に予告してもらえてまだマシという気持ち半分。特別手当は出ますか、は今回も聞けなかった。


「しかし、なんで私なんだろう?」


 問いを口にしながら、同室の同僚を見向く。

 カタリーナはふわりと笑った。


「わたしが推薦したの」


 またか。苦笑いしか出てこないよ。


「カタリーナ、気持ちは嬉しいけど」

「しっかり演奏してきてね、ロッテ」


 会話が噛み合わない。

 銀髪をふわふわ揺らし、大きな瞳を潤ませて、カタリーナは続ける。


「わたし、あなたのヴァイオリンは優しくて切なくて、大好きなの。演奏にも個性があるって、あなたが弾くところを観て初めて知ったのよ。だから王妃様にも同じ感動を知ってほしくて、推薦したの。この間の演奏」


 だからね、と彼女は両手を握った。


「この調子で王妃様の応援を受けられたら、演奏家として活躍できるようになるわ。留学の夢も近づくと思うの。だから頑張って、ロッテ!」

「そ、そうね。ありがとう」


 答えてから、はた、と気が付いた。


「カタリーナ。王妃様とお話しするの?」

「ええ」


 彼女は屈託なく笑う。


「気さくな方よ」

「でも、いつ話すの?」


 私は、食事のサーブや着替えのお手伝いで、お傍に行くことがある。

 あるけれど、仕事中は私語厳禁だし、集中していると自然と無口になるし、何かを言えるタイミングなんかあったっけ? それも目の前の仕事とは関係ないようなことを。

 私が首を捻ると、カタリーナも同じように首を捻った。


「お傍にいれば、話す機会はあるでしょう?」

「そ、そう?」

「お天気のことや、食事のメニューについてとか」

「そうなの?」


 カタリーナってば、お仕えする中の一環として世間話もしているのかしら。す、すごいなぁ。

 目を白黒させていると、ガシッと肩を掴まれた。


「わたしも聞きたいことがあるのだけど、良い?」


 華奢な雰囲気のカタリーナだけど、腕力はちゃんとある。掴まれたところが痛い痛い!


「あ、改めて、何かしら?」

「ロッテは恋をしているの?」


 はい?


「王妃様とお話ししていてね。この間のロッテの演奏の感想をお伺いしたんだけど」


 はぁ。


「恋の歌がすごく心に響いたのですって。それで、あの人は恋をしているに違いないっておっしゃるから」


 それは王妃様ご自身では、とは言えない。口が裂けても言えない。

 だんまりを決め込んで横を向く。


「そう…… そうなのね、ロッテ」


 なにが、そう、なのでしょうか。

 カタリーナは一人で何か納得している。


「そうなのね。お兄様にもお伝えしないと」


 スヴェン様に何を伝えるって!?

 話題を逸らすべく。


「ちょ、ちょっと、明日に向けて練習しておこうかな~?」


 へらっと笑うと、カタリーナは両手をパンと鳴らした。


「それがいいわ。わたしは明日着られるドレスを用意しておくね」

「何言っているの、このままで十分よ!」

「わたしが見たいからいいの! 演奏家としても恋する乙女としても輝くドレス、期待してね」


 目力が半端ない笑顔でカタリーナが言う。私の笑いは引き攣ってしまった。



 そんなこんなでご指示の時間。

 モノトーンでシックにまとめられた衣装を着せられて、私は王宮の中でも特に広めの一室にいた。


 今日のお部屋は人が多い。


 布張りのソファに腰おろしているのは、アンネマリー王妃その人。彼女を挟むように二人、着飾った貴婦人がいる。さらに、壁際に控える女官長に、給仕係の女官が四人。そのうちの一人はカタリーナだ。

 さらに、別のソファに、エドゥアルド陛下がいるのだ。


「すまない。王妃がコンサートを開くと聞いて、私も聞きたくなったんだ」


 そんな無邪気な顔でおっしゃられましても!

 頬が引き攣るのを誤魔化そうとしたら無表情の能面になってしまった。


 国王陛下がいるってだけでも緊張するのに。陛下の後ろには当然、護衛の騎士が、白銀騎士団が控えている。これが大変良くない!

 椅子のすぐ後ろに立っているのは、ランドルフ隊長。そのさらに後ろの壁際にもう三人。スヴェン様とデニス様とアルブレヒト様だ。


 そうなのよ! なんでアルブレヒト様がいるの!


 ちらりと視線を向けたら、思いっきり顔を逸らされた。気まずい。

 デニス様はにっこりと笑って、右手を軽く上げる。スヴェン様は静かに頷いてくれた。

 あああああ、尚更、アルブレヒト様の無視がつらい。

 辛いけれど。


「あまり語ることはないわ。早速弾いてくださる?」


 アンネマリー王妃の言葉にぎくしゃくと頷く。

 ヴァイオリンを構え直して、深呼吸。


 きっとこの曲は好まれるだろう、と考えていた曲を始める。喪われた恋を嘆く歌。恋人の心変わりを責め、恋人の心を繋ぎ留められなかった自分を責める歌。

 半ば過ぎまで弾いたところで、やっと指が滑らかに動くようになる。

 気持ちもちょっと余裕ができるから、ちらりと反応を伺う。

 エドゥアルド陛下は前のめりで聞いてくださっているけれど。

 アンネマリー様は椅子に深く座ったままだ。あれれ。これは失敗かな。


 2曲目。

 やっぱり失恋の歌。でもこれは、周囲に止められての歌だ。家の事情とか、家の事情とか、家の事情とかね。

 エドゥアルド陛下はやっぱり前のめり。目がキラキラしている。

 そして、アンネマリー様は目を伏せて、じっとされている。うん、こっちは正解。


 3曲目。今度は初恋の歌。

 ときめきと甘酸っぱさだけで心が満ちる、そんな幸せで、どこか危うい旋律。

 アンネマリー様は動かない。ただ、じっと、旋律に意識を向けていらっしゃる。


 もう、私の中で、疑いがない事実となった。

 アンネマリー様は恋をしている。それも叶わない恋をだ。


 一瞬、視線を遠くへ。

 アルブレヒト様と視線が合ったような気がした。


 ああ、もう。

 私のこの気持ちも恋なんだ。もう、認めざるをえなかった。

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